【一幕】魚々島 洋 VS 松羽 烏京 其の二


 それは、卒然と眼前に出現した。

 まるで空間を超越したように。

 速い──速い以上にはやい。

 洋は体を揺すり巡らせ、つぶてを回避した。

 動かなければ右眼直撃のコースだ。恐るべき精確さである。

 避けたところに、次弾が見えた。戻る反動でこれもかわす。そこに三発目。たまらず首を下げた鼻先に、四つ目の礫が飛び込んだ。

 炸裂する。

「……おいおい、何発投げんだよ」

 いや、弾いた。かざした《鮫貝》の裏に、苦笑する洋の顔がある。

 いつか港で試したように、洋は銃撃すら避ける修行を積んでいる。

 礫の速度が銃弾以上のはずがない。ならば余裕かと言えば、それは違う。

 ──ゼロかよ。

 唇を舐め、洋は10メートル先で構える烏京を見た。

 黒衣の両袖は、ペリカンのような袋状だ。その大きな袖口を胸元に揃え、向かい合わせた構えである。不可視のボールを挟んだようにも見える。

 その袖口から、ノーモーションで礫が飛んでくる。

 動きはない。視線も、音も殺気もない。

 ここまでなら洋にも同様の技があるが、烏京はその上を行く。

 手元を完全に見せない──袖の中から投げているのだ。 

 膨らんだ袖は骨組フレームが入っているのか、投擲にも形を変えず、皺一つ生じない。袖口を飾る黒い薄布は握りを巧妙に隠匿し、さらには黒手袋で、手指を袖の闇に同化させるという念の入れようである。

「……今の、どっちの手で投げやがった?」 

 耳に届いた浪馬のつぶやきも無理はない。

 正面に立つ洋ですら、礫の出所が見えなかった。連弾の速度から見て、両手で打っているのは間違いないが、避けた石の角度から、ようやく左右を判別する始末だ。

 起こりがなければ、体感速度は倍化する。

 速い以上に疾い──その意味するところである。

「拳銃相手の方が、まだ気楽だぜ」

 思わず独りごちた。10メートルの距離が、まるで心許ない。

「──《竈門かまど打ち》」

 その不安を見透かすように、礫の連打が再び、洋を襲った。

 目、喉、そして膝。今度は顔に限らず、全身の急所を狙ってくる。

 丸い体躯を躍らせ、礫をかわす洋だが、かわすほどにその動きは大きくなっていく。肥満体はゴムまりのように弾み、ついに耐えかねたように一歩下がった。

 飛び道具対策は、敵との距離を詰めるのが常道である。

 まさかの後退に烏京はほくそ笑み、同じだけ前に進み出た。

 10メートル──この間合いが安全圏だと、改めて確信する。

「なーんだ。

 ここで本命ほんめいが来ると思ったのによ」

 洋の発した声に、礫の雨が止まった。 

「《カマド打ち》だっけ?

 起こりの消し方は流石だけどよ。が何匹たかろうが、人は殺せねえ。

 そんな投げじゃオレを倒せねーことくらい、わかってるはずだぜ?」

 《竈門打ち》の正体は、肘を固定した手投げである。

 手首と運指のみで、高精度の速射を実現する技量は超人的だが、威力までは補えていない。弾が砂利である限り、急所に当たろうとも効果は知れている。

「柔軟ついでにつきあってたが、そろそろ本気で投げて来な。

 でねーと、おまえさん──赤っ恥かくことになるぜ」

「……ほざくな豚が。

 おまえは最後まで、肉の標的まとだ」

 洋の不敵な笑みを射殺いころすように、烏京が礫を放った。

 闇夜のこうもりのように、突如飛び出す飛弾──《竈門打ち》。

 その小石が、洋の目を突き抜ける。

 抜けたかに見えるほど引き寄せ──すり抜ける。

 「《海蛍うみほたる》」

 洋の名乗りが、我知らず動いた忍野の唇に重なった。

 起こりのない流水の動き。体型を失念させる速さ。されど破壊的な重さ。

 見開かれた烏京の瞳の中で、洋は鉄砲水のように飛び出した。


 ──これが、《海蛍》か。

 心中で唸ったのは、忍野である。

 岡目八目という言葉があるが、傍から見る勝負は、対峙する以上に得られるものが多い。立会人の役得である。

 選抜戦において《海蛍》を攻略した忍野だが、その術理は最後までわからなかった。手掛かりは謎の微振動だけだった。

 しかし今。横から見た《海蛍》に、忍野は新たな手掛かりを得た。

 高速の礫が着弾する寸前、洋は決まって頭を引いている。

 ボクシングでいうスウェーの動きだが、《海蛍》のそれは尋常ではない。

 わずかに頭を引き、弾を見切った後にかわし、元の位置に戻す。これを一瞬でこなす為、ように見える。

 頭を引くのは、見切りの精度を上げるためだ。

 時速100キロメートルで迫るボールを、時速70キロの車で後退しながら受ければ、相対的なボールの速度は時速30キロになる。原理はこれと同じである。

 もちろん説明ほど簡単な技ではない。そもそもが洋の体重で、超速度の反応を体現できる術理が解明できていない。

 魚々島 洋の闘いの根幹を成す技──《海蛍》。

 果たして、この闘いで全貌が見えてくるものか。


 それにしても……と忍野は己に問う。

 候補者の一人である洋に入れ込むのは、立場としてどうなのか。

 立会人として、厳正かつ公平であらんと思う半面、奇妙なほど洋に惹かれる自分がいる。それが洋の性格か、実力か、生い立ちに依るものかはわからない。

 わからないが、洋の友としてありたいと強く思う。数ある候補者の中で、そう思えたのは洋だけだ。

 ともあれ、今は立会人に徹する他にない。

 忍野はまなじりを上げ、距離を詰める両者に意識を戻した。

 

 接近する洋を食い止めんと、烏京の礫が続けざまに飛んだ。

 だが、《竈門打ち》を恐れぬ洋に分がある。

 避ける。抜ける。前に出る。

 距離7メートルに達して、烏京が動きをみせた。

 後方に倒れながら身を翻し、砂利道を蹴って駆け出す。

 あろうことか洋に背を向け、のだ。

「マジ、かよ」

 単なる後退では追いつかれるとはいえ、まさか敵に背を向けるとは。

 ガシャガシャと砂利を鳴らすその背中は、暗殺者にあるまじき醜態に映る。

 当然ながら、その隙を逃す洋ではない。

 踏み出した足に圧し掛かるように、体を沈める。突進が止まると同時に、《鮫貝》を握った右手が閃く。

 動きは手首を捻る最小限。けれど威力は最大限。突進の勢いをありったけ上乗せした一撃だ。

 洋の得意技──《飛魚アゴ》打ち。

 流星の如く飛び出した《鮫貝》の尖端が、白い線を引いて、烏京の背中に吸い込まれた。

 烏京が奇妙な動きを見せたのは、その時だった。

 縦長の長身が、突如、左に傾いだ。走る勢いそのままに、体が倒れ込む。

 長い両腕は泳ぎ、洋は一瞬、烏京が足を滑らせたのかと思った。

 そうではなかった。

 かしいだ状態から、烏京が反転したのだ。

 斜めに伸びた脚が錐揉みし、直線運動を円に変える。

 プロペラ状に振り回す両腕の遠心力で、斜めの角度を維持しながら。

 《アゴ打ち》を潜りかわすと同時に、地を掠めた右腕が跳ね上がる。

 放たれた飛礫は、かつてない唸りを上げた。

 逃走の勢いと遠心力を、ありったけ上乗せしたカウンターだ。

 《アゴ打ち》の引いた白線を、稲妻のように逆流する。

 凄まじい着弾音が、京都御苑を震わせた。

 観戦一同が、揃って振り返る。

「何だァ、今の音はヨ?」

 洋は、無事だ。からくも身を伏せ、かわしている。

 礫の着弾点は、御所の土壁だった。

 白い壁面が、杭を打ち込んだように穿たれている。

 いかに勢いを乗せたとはいえ、玉砂利で生じる破壊では、断じてない。 

「……やるじゃねーノ。やっぱ、こうでなきゃーな」

 満足げに目を戻した浪馬の目の中で、烏京はすでに体勢を整えていた。位置こそずれたが、洋との距離は再び10メートルに戻っている。

「《独楽こま打ち》──

 7メートルものようだな」

 白線を戻し立ち上がる洋を一瞥し、烏京はそううそぶいた。


 洋殿、ご用心を。 

 忍野は胸を突く懸念を、立会人として圧し留める。

 侮りはあれど、松羽 烏京は並ぶ者なき松羽の怪傑。

 選抜の折り、触れることすら叶わず、忍野は敗れたのだ──


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