【一幕】魚々島 洋 VS 松羽 烏京



 ──無造作に、拾い上げた。


 松羽まつば 烏京うきょうである。

 こうもり傘を思わせる黒衣の長身を折り曲げ、京都御苑の砂利道へ両手を伸ばす。人並外れて長い腕は、さして腰を曲げる必要なく、その手を地面に到達せしめた。膨らんだ袖に手元は隠れたままだが、いわゆる立位体前屈だ。

 なんという、豪胆。

 立会人、空木うつぎ 忍野おしのは心中で唸った。

 ともに《神風》を志す対戦者、洋と烏京の間には、10メートルの距離がある。

 武器格闘においては確実に射程外だが、投擲を含むなら話が変わる。棒手裏剣の一般的な射程は7~8メートル。10メートルは十分に危険領域だ。

 《投げを究めた男》──そう称される達人が、その事実を知らぬはずもない。

 その上でなお、顔を地に向け、後頭部を敵にさらすとは。

 ──あなどりの故か。

 試合前の烏京の言動には、洋への侮蔑が余すところなくまぶされていた。

 挑発が目的であれ、陸亀おかがめである洋の実力を下に見ているのは間違いないだろう。得物を小石のみに限定したのも、その顕れだ。

 洋の実力を試し、候補と認めたのは忍野である。烏京の侮蔑は、間接的に忍野にも向けられている。立会人という立場上、面と向かって批判こそしないが、烏京が自分を軽視する節は、何度かあった。理由にも心当たりがある。

 忍野と烏京、洋の見立てが正しいのは、果たしてどちらか?

 もはや論じる段ではない。

 すでに二人は対峙している。闘いは始まっているのだ。

 

 身を屈めた烏京を前に、果たして洋は──

 動かない。棒立ちの姿勢のまま、泰然と烏京を見守っている。

 何事も起こらぬまま身を起こすと、烏京は値踏みするように洋を見据えた。

 十分な距離を取り、闘いを見守る観戦勢も顔を見合わせる。

「今の、隙だらけじゃなかった?」 

「誘いに決まってンだろ、バーカ」

「誰がバカよ、ピンク頭のくせに」

 噛みついたのは宮山みやまたつきだ。巫女といえば奥ゆかしいイメージだが、この少女は小型犬のように喧しい。ピンクは八百万やおろず 浪馬ろうまの髪色だが、頭の中身に聞こえたのは、あながち気のせいでもなさそうだ。

「──ま、ただの誘いでもないみてーだがヨ」

 浪馬は槍を道に突き立て、腕組みした。

 烏京の屈伸に、陽動以上の意図を感じたのだ。

 その意図とは、洋の得物の間合いを測ること。

 洋は誘いに乗らなかったが、それすらも判断の材料となる。

 あんな隙を見逃す者が《神風》候補に残るとは思えない。

 もし間合いの内ならば、瞬時に攻撃を繰り出しただろう。そして間合いに遠ければ、足が動いたはず。

 洋の反応は、そのどちらでもなかった。

 故に、10メートルは安全圏。おそらく9メートルもない。

 ざっくりではあるが、そう読むことができる。

「どんな測り方だよ……頭イカれてンじゃねーか?」

 口ぶりに反して、浪馬の目は笑っていない。

 浪馬の得意は槍である。その全長は2メートル強。近接武器としては最大のリーチを誇る長柄の兵器だ。

 敵を寄せ付けず、一方的に刃を突き込み、勝利する。その為には敵との間合いの把握と維持が肝要だが、暗器や飛び道具の間合いを初見で見抜くのが難しい。

 それを、こんなやり方で解決するとは。

 驚きとともに、素直に感心している自分がいた。

 飛び道具に習熟し、嫌というほど実戦を積んでいなければ、こんな発想には至らない。大胆不敵、かつ絶対の自信がなければ、こんな真似はできない──そこも気に入った。

 ──ケド、これで勝つッてのは、さすがにナメすぎだろ。

 槍の穂先で路面を突き、跳ね上げた小石を一つ摘みとる。

 砂利の大きさは大豆ほど。重さは硬貨一枚にも満たない。サイズにばらつきはあるが、どれも似たようなものだ。何より、丸い。玉砂利というだけに鋭利な角がない。

 いかな達人であれ、こんな小石で、人を殺傷せしめられるものか。

 せいぜいが目を狙う程度ではないか。大量の砂利を散弾のように投げる手もあるが、弾の数だけ威力は分散し、飛距離は落ちるのが道理だ。

 この石のみで闘うなど、浪馬にはとうてい考えられない。

 しかし、あの烏京は違う。

 闇の向こうに立つ黒衣の双眸は、炯々と輝いて見える。

 自身の勝利を微塵も疑わぬ、捕食者の目だ。

 我知らず、浪馬は身震いした。 

「やれるモンなら、やってもらおうじゃねーノ」

 絶技の予感と失望の期待、相半ば。

 それは他の観戦者も同様だった。複数の熱い視線が、烏京の一挙一動に注がれている。これがおおやけのスポーツなら、観客を掴んだ烏京に有利なところだが、《神風天覧試合》は夜半開催の無観客試合。客席も声援も存在しない。

 あるのは鋼と刃、血と命のやりとりだけだ。

 

 ──ヒッ。

 かすかな音とともに、初弾のつぶてが夜気を切り裂いた。


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