【一幕】魚々島 洋 VS 松羽 烏京 其の三
「魚々島には、素足で海面を駆ける技があると聞くが──」
腹ばいの姿勢から、ゆっくりと立ち上がる洋。
それを傲然と見下ろしながら、松羽 烏京は言葉を続ける。
「──貴様のような豚には望むべくもない。
《
シュルシュルと巻き戻る《鮫貝》の白線を前に、烏京は追撃を選ばない。
代わりに、またしても半身を屈める。礫の補充を優先したのだ。
うなじを敵にさらす不用心は相変わらずだが、《
「……好き放題言ってくれやがる」
10メートル先から烏京の装弾を許した洋もその一人だが、ただ見送ったわけではない。頭をフル回転させ、今の攻防を分析している。
武器戦闘はその殺傷力の高さ故、徒手格闘より対峙が生じやすい。
相手を威圧し、隙を窺いながら、武芸者は呼吸を整え、気を高めていく。同時に敵の技を読み、対策を講じる時間でもある。例えるなら相撲の仕切りである。
──まずは反省点。
烏京に迫ってからの《アゴ打ち》は、完全に誘われたものだった。序盤の隙はスルーできたが、今回はまんまと引っ掛かった形だ。
単純な駆け比べならば、烏京は確実に洋の上を行く。
洋が距離を詰められたのは烏京が応戦したからだが、身を翻した瞬間に追いつけないと悟った。追撃の機会はあの瞬間しかなく、烏京はそこに罠を仕掛けていた。遠間の攻防を知悉したやり口は、流石、飛び道具の専門家というところか。
──《
起こりのない礫を連射する恐ろしい技だが、出所の両袖が近い。つまり二つの発射口を同時に視野に収められるという弱みがある。《海蛍》を使えば、見てから対処可能だとわかった。礫を掻い潜り接近できたのは、この気付きが大きい。
とはいえ、これは礫の軽さあらばこそだ。大きな石や
──《独楽打ち》。
全力疾走から体を倒して回転し、その反動で礫を放つ。
いかにも奇天烈な技だが、重心の配置、振り回す腕のバランス、つま先の運用など、精妙な技術の複合体だ。振り返りざまに礫を放つだけでも、常人には不可能に等しい。
背丈に応じて難度が高まるはずだが、烏京の技は堂に入っていた。おそらくは磨きぬいた得意技、自分にとっての《海蛍》のような技に違いない。
細身の長身が根元から傾くため、《アゴ》のような点の攻撃はまず当たらない。その体勢のまま両手を振り回して反転、背後の敵にカウンターの礫を放つ。不安定極まる姿勢ながら、狙いは精確。攻撃直後の居つきを狙われるため、追う側の回避は困難。疾走と遠心力で威力を高めた礫が、敵の胸板を突き破り、絶命させる──《竈門打ち》とは違う、当たれば終わる技だ。
先刻はからくも避けられたが、あれは避けたのではなく、逃げたと言う方が正しい。
──自信の技ってのは、逆に狙い目じゃあるんだがよ。
思案しながら、洋はさりげなく後方に目をやった。
視線の先にあるのは、先刻、《独楽打ち》の流れ弾が命中した土壁だ。白塗りの表面には、銃痕を思わせる穴が穿たれている。
もう一つ、見逃せない謎が《独楽打ち》には存在する。
あまりにも強烈な、その威力だ。
洋の頭上を通過した《独楽打ち》の礫は、螺旋を描く飛翔体特有の風切り音を発していた。確認こそできなかったが、強烈な
疾走の勢い、遠心力、螺旋回転。三位一体の妙技をもってすれば、爪先ほどの玉砂利は銃弾に進化するだろうか?
それはない、と洋は思う。
御苑の玉砂利はあまりに小さすぎる。威力を乗せるには、最低限の重さが必要だ。いかに投げを極めようと、物理法則は覆らない。
しかし現実に、土壁は撃ち抜かれている。この謎は看過できるものではない。
──礫以外のものを投げた?
もしそうなら、銃痕かその付近に物証が残る。後方を見たのはその確認だが、壁、道どちらにも異物は見当たらなかった。
遠くに跳ね飛んだ可能性もあるが、観衆も探している気配がある。忍野に選抜された目ざとい連中が、見逃すとは思えない。
「……せっこ」
不意につぶやいたのは、宮山たつきだった。
闇夜に白く浮かぶ巫女衣装に、一同の視線が収束する。
「何だァ? 何か見つけたのかヨ」
「見つけたっていうか、見たらわかるでしょ」
「見てたっておまえ……さっきのアレをか?」
「そうだけど。
あんたには見えなかったみたいね」
「ザッケんなテメ! 見えたってーの!」
声を荒げる浪馬だが、動揺を隠し切れない。
夜目が利き、街灯があるとはいえ、御苑の闇は依然として深い。かてて加えて、《独楽打ち》は奇襲である。速さ以上の疾さで夜を駆け、壁に到達した。
弾を見たのは嘘ではないが、その正体などわかろうはずがない。
「……たつき殿。
公平な勝負のため、それ以上の言及はお控えいただきたく」
傍から制したのは、立会人の忍野である。
「わーかってるわよ。ネタバレ厳禁でしょ」
唇に指を当てる少女を、浪馬は改めて見つめ直した。
宮山たつき──麦わら帽子の巫女。
候補者六名中もっとも小さく、おそらくは最年少。
その素性は不明だが、
今、この瞬間までは。
──あのバカ、選りすぐりのバケモン集めやがって。
心中の忍野に毒づくと、浪馬は腹に手を当てた。
冷えたばかりの肝が滾り出すのを、
そんな浪馬を気にした風もなく、たつきは一人、歩き出す。
ほどなく足が止まった。見物勢からやや離れた場所だ。
「ねえ。あんたは見えた?」
再び、少女に視線が集まった。正しくは二人の少女に。
それが、たつきの話しかけた少女の名であった。
洋と浪馬を除けば、これまで蓮葉に話しかけた者は誰もいない。後者は
畔の名声、溢れる実力、そして氷の美貌。三つの障壁を前に、彼女に近づかんとする者は皆無に等しいが、ここに新たな挑戦者が現れた。
たつきの挑発めいた問いを前に、蓮葉の返答や、果たしていかに。
応えは、なかった。
「ちょっと、あんたね……」
噛みつきかけた少女は、蓮葉を見上げ、声を失った。
熱を帯びた双眸に、自分の姿はどこにもない。
そこに映るは、道の先の背中。広く丸い、唯一無二の背中だ。
たしか、兄妹だったっけ。
浪馬を遮る洋の言葉を、たつきは思い出す。
──兄っていうか、恋人を見るみたいな目なんだけど。
おかしい。普通じゃない。メンヘラぽい。
でも、聞いてた畔の印象とは全然違う。
残虐非道。冷酷無情。人ならぬ魔物。《畔の水妖》。
宮司さまはそんな風に、《畔》を教えてくれたのに。
ふいに、蓮葉の瞳が揺れた。
「さーて。そろそろ行こうか」
映り込む丸い背中が、のっそりと動き始めた。
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