【序幕】選抜、魚々島 洋 其の九



 

 ──秘剣 《かわほり》。

 かわほりとは蝙蝠こうもりの古名である。宙空の小刀の急激な変化を蝙蝠に見立てての命名だろう。

 左の小刀を敵に投じ、ほぼ同時に大刀で横薙ぎに払う。これだけでも十分に必殺だが、真の狙いは大刀を避けられた後。横薙ぎの軌道は投じた小刀に交わり、これを叩き落すことで下腹部、または脚への奇襲へと繋ぐ。

 自ら投げた小刀を打つという離れ業に重要なのは、剣速ではなく投げ技の方だ。普通に投げれば、いかなる抜刀術も間に合わない。ゆっくりと、かつ敵にそうと悟られぬ卓越した投法が不可欠になる。野球でいうところのチェンジアップだが、距離は至近だ。技術と胆力が求められることは語るまでもない。

 まだだ。

 逸る気持ちを抑え、忍野は大刀を跳ね上げる。

 避けたという確信は裏切られ、驚きに変わる。驚きとは隙だ。

 ──ここで終わらせる。

 蒼穹に突き上げられた大刀に左手を伸ばすと、気合一閃、諸手の袈裟切りを振り下ろした。

 その柄頭が、眼前で停止する。

 止めたのではない。止められたのだ。洋の腕が斜めに伸び、諸手で掴んだ柄の隙間を握りしめている。

 至近で見るそれは、まるで生ハムの原木のようだった。打点をずらしたとはいえ、渾身で振るった一刀を片手で止めるという荒業を納得させる凄みがあった。

 ──何故だ?

 驚きの前に、疑問がまず浮かぶ。

 間合いは大刀のものだった。素手の及ぶ距離ではない。一瞬で距離を詰める芸当は、洋なら或いは可能かもしれないが、脚には手酷い傷を与えたばかりだ。

 では何故?

 洋は、最初からこれを狙っていた。

 掻い潜ったのではなく、潜り込んだ。太刀の下を突進したのだ。

 《海蛍》の体内エンジンを用いて、秘剣が脚を奪う前に迫撃に至れば、脚の負傷は無意味となる。離陸した飛行機に車輪は不要だ。 

「──《ホオジロ》」

 身長差ゆえ、下から届く洋の声。

 同時に炸裂した。

 《鮫貝》を握った掌底が、忍野の左脇腹に、過剰に過ぎる洋の全体重を載せて。

 凄まじい一撃に、忍野の足が浮いた。振り子のように振り回されたのは大刀を掴んでいたからだが、それも一瞬。圧倒的な威力に刀をもぎ取られ、水切りのように草の上を飛ばされる。

 地面に擦過する脇腹に電流が走った。足を跳ね上げ立ち上がるも、激痛に顔が引きつる。肋骨を砕かれたのだ。秒単位とはいえ修復にはしばらくかかる。

「……してやられたぜ。今のは読めなかった。

 正統派の剣だと踏んでたところに、まさかの大道芸とはな」

 間合いの向こうで、洋が苦笑交じりに続ける。

「けどまあ、手間は省けたか」   

 言葉の意味を計りかねる忍野の前で、洋は奪った大刀を地面に突き刺した。脚から引き抜いた小刀も、同じ場所に突き立てる。

 忍野は瞠目した。 

 洋の目的は反撃ではない。二刀を奪うことだったのだ。

「不死身相手に命がけじゃジリ貧で当然だ。じゃあどうする?

 答えは簡単だ、命がけでなくせばいい。

 簡単つっても、気付いたのはついさっきだけどよ」

「状況は変わりません。

 洋殿が私に致命傷を与えねば、合格はありませぬ」

「いいや、あるね。だ。

 この試験には制限時間がない。オレを殺せない限り、試験は終わらない。

 試験が終わらなきゃ《天覧試合》は始められない。

 オレにはない時間切れが、あんたにゃある」

「……素手の私相手なら永遠に戦えると? その脚で?」

「横ならやばかったけどな」

 洋の言う横とは、小刀の傷のことだ。

 腿に対し刃が水平に刺されば、縦に比べ筋肉の断絶は広く、神経や血管も損傷しやすい。幸運にも洋の傷は縦だった。激しい出血もない。

「跳んだり走ったりは厳しいが、なら何とかなる。

 それに取り返したいだろ、これ?」

 地面に突き立った二刀の柄頭に触れると、洋は《鮫貝》をポケットにしまい、おもむろに手を打った。

「こっからは相撲だ。オレを転がせたら負けでいいぜ」

 突然の申し出に、忍野は戸惑いを拭えない。

 しかし得物がなければ無手で戦うのは道理だ。相撲はともかく試験を継続する以上は、洋の提案に乗るほかない。

 肋骨はすでに癒えた。状態は万全だ。

 忍野は無言で腰の鞘を外すと、構えを取った。

「無手の心得がないとお思いか」

「あるだろうな。

 でもま、達人の二刀流よりゃましだ」

 さも当然という顔で言うと、洋は首を鳴らしてみせた。 

「それじゃ、再開しようか。

 のんびりしてると日が暮れちまう」 

「──いざ」

 草葉を散らし、忍野が一挙に詰め寄った。



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