【序幕】選抜、魚々島 洋 其の六
「洋殿は殺しを生業にされていたとのこと」
洋を中心とする円の軌道の中、
「では、意に染まぬ者を手にかけたことは?」
「痛いとこ突くじゃねーか」
忍野に合わせ向きを変えながら、洋は口角を歪めた。
「ねーよ。納得いかねえ殺しをすると、メシが不味くなんだ。
悪党相手だけでも十分稼げたしな」
「《神風⦆は契約ではありません。
恵与にあずかるは報酬にあらず便宜と名誉のみ。
《天の方》のお言葉を聞き、それを請け負う立場というだけです。
お言葉は命令ではなく希望。強制力はありませぬ。
ならばこそ、我らは試す必要があるのです。
《神風》たらん者が、意に染まぬ理不尽に対処できるかを」
「言ってることはわかるけどな。確かに現実はお花畑じゃねえ」
油断なく忍野を視界に収めながら、洋は言う。円が螺旋に移る兆しを見逃すわけにはいかない。
「確かに、このまま続けりゃ先に死ぬのはオレだろうよ。
本気で殺しにかかるのが正解だ。晩飯が多少不味くなろうがな」
「然り。まずは、その《鮫貝》を」
忍野の指摘は、洋の持つメジャーに向けられたものだ。
「ま、バレてるよな」
洋の太い指が《鮫貝》の底をなぞる。
澄んだ音とともに、《鮫貝》の端から針状の刃が飛び出した。
長さは約5センチ。メジャーの底に仕込まれ、ボタン一つで先端の《爪》と連結する仕組みだ。
「無印は《
お察しの通り、こっちが殺し専用の本式だ」
やはり、と忍野は得心する。
この針の鋭さ、長さ。十分に人を殺め得るものだ。刀に例えるならば《アゴ》とは峰打ち。《ダツ》にしてようやく本身を抜いたと言える。ここからが正真正銘、本気の《魚々島》だ──
「だが、使わねえ」
再び引っ込んだ針刃に、秀麗な眉目が驚きの形で固まった。
「世界はウザったい理不尽に満ちてる。
そりゃあ確かに間違いないが、それをブッ壊すためにあるのが強さってもんだ。
理不尽に屈して強さもクソもあるかよ。
試験に合格する。あんたも殺さない。両方やれてこそ強さの証明だろ」
「お説ごもっとも。
ですが、ございますか? その強さ」
「足りなきゃ知恵で補うさ。オレは小賢しい系のデブだからな。
それに──」
《鮫貝》を掴む洋の手が、所定の位置に戻る。
「一度、《アゴ打ち》を捌いたくらいで、ナメてもらっちゃあ困る」
言い切る洋を中心に、大気が密度を増していく。
戦慄が血管を駆け拡がるのを忍野は感じた。
それ以上応じることなく、構えを引き締める。
洋の佇まいに変化がある。姿勢はやや前傾になった程度だが、醸す気配が明らかに異質だ。殺意はない。ないが、ギアを一つ上げた確かな感覚がある。《ダツ》を使わずとも出せる未知の本気があるということか。
我知らず、忍野の脚は止まっていた。
防御の点で見れば、これまで続けてきた螺旋の動きが最善のはずだ。
二刀による捌きは、足を止めた方が精確さを増す。《鮫貝》を打ち落とすことに特化したとすれば一つの選択であるが、洋の本気に当てられたと考えた方が早いだろう。それだけの圧を、今の洋は発している。
ともあれ、彼我の距離は5メートル。
刀が届く距離では無論ない。洋の初弾を忍野が受けて立つ形だ。
「行くぜ」
実戦ではありえざる宣誓の後、洋が《アゴ打ち》を放った。
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