【序幕】選抜、魚々島 洋 其の五
何が起きたかはわからない。だが想像は出来る。
忍野は《鮫貝》の白線を叩き落し、退いた洋を追って前に出た。
その足元には当然、白線が落ちている。蛇の抜け殻のようなそれが、もし
「
数歩距離を取り、切り出したのは洋だ。
「リーチはオレのが上だ。片足じゃオレに勝てねぇよ。
あなどるわけじゃねーが、勝負はついた。殺すまでもねえ」
「合格条件は、お伝えしたはずです」
身じろぎせず繰り返す忍野に、かぶりを振る。
「大阪に来る前は殺しで稼いでた。二桁は越えてるぜ。
人が殺せるかってテストなら、実績には十分だろ。
魚々島じゃガキの頃から、『敵は魚と思え』って教えられんだ。
人なんざ手足の生えたマグロってなもんだ。
血も内蔵も毎日触ってりゃ慣れちまう。それが《魚々島》なんだよ」
洋は自嘲めいた笑みを浮かべた。
「それに──イケメン嫌いなオレだが、どうもあんたは嫌いになれねえ。
クソ真面目で剣の腕が立つ。殺すには惜しいってのが本音なんだよ。
これ以上続けても、あんたが無駄に死ぬだけだ。
致命傷ってことで合格出しちゃくれねえかい?
急いで医者行きゃ、その足も繋げてもらえるかもだぜ」
「……お心遣い、痛み入ります」
神妙に答えた忍野が、ゆっくりと片足で立ち上がる。
「ですが、我ら《空木の民》に、そのような配慮は無用」
「そりゃどういう意味──」
問いかけた洋の口が、眼前の光景にこわばった。
袴から覗いた左足の断面から、無数の糸が垂れていた。蜘蛛糸のように極細で、地面に届くほど長い。
動いていた。波打ち、煌めきながら、断面に吸い込まれていく。束になった糸が、何かを引き摺ってくる。
それは、切断された忍野の足首だった。
絶句する洋を尻目に、糸に引き上げられた足首は断面同士をあてがわれる。湧き出た細糸でかがられ、傷口は消え失せた。足袋の指が動く。神経までも繋がったらしい。もはや足袋の血痕程度しか、切断の物証は残されていない。
「……おいおいおいおい。
妖術とは無縁とか言ってなかったか?」
「妖術ではありません。空木の血の業です」
「空木……空木か。待てよ、思い出したぜ。
魚々島の最長老から聞いたことがある。
富士の樹海に隠れ住む、伝説の一族がいる。
そいつらは不老不死で、切っても突いても死なない、ってな」
「それが《空木の民》です」
頷く忍野に、洋は感心しきりだ。
「ご先祖はかぐや姫か? なるほど、天皇家と関りが深いわけだ。
オレも畔で色々化け物を見てきたが、不老不死は初めてだぜ」
「残念ながら、それは伝説の尾ひれにございます。
《空木》は不老でも不死でもありません。
首を落とすか、心の臓を貫けば致命となります」
「つまり、それ以外は致命にならねーと?」
「然り」
「それ以外の方法じゃ、止めようがねえと?」
「然り」
「然りじゃねーよ、くそったれ」
毒づく洋を前に、忍野は改めて二刀を構え直した。
甦った左足を前にした、砦の構えだ。
「洋殿──改めて、お覚悟を」
一際強い海風の中、忍野が三度、円を描き始めた。
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