【序幕】選抜、魚々島 洋 其の四




「──何故です?」

 《鮫貝》の白線の先端は、直角に折れた金具に過ぎない。

 もし鋭利な刃を備えていれば、致命と言わずとも重傷を与えられたはず。

 いや、それ以前に洋は《鮫貝》を当てていない。寸止めしたのだ。

「せっかくの二刀流だ。堪能しなきゃ損だと思ってな」

 白線が巻き戻され、洋の手中に収まる。

「──てのは半分ウソだ。どうしたもんか、まだ決めかねてる」

「条件はお伝えしたはずですが」

「納得してねえって言ったろ」

「決心がつかぬなら、それでも構いませぬが」

 忍野が、再び螺旋の軌道を踏み始めた。

「遅からず、洋殿の骸が転がることになろうかと。

 今の見切り、確かに魚々島の名に恥じぬ妙技でした。

 ですが、それだけで凌ぎ切れる我が剣ではありますまい」

「ま、そうかもしれねぇなあ」

 とぼけた返事だが、忍野の指摘は妥当だ。

 殺意の有無は、明確に戦力を左右する。攻撃のみならず、防御にあっても殺意は重要だ。反撃に殺意がないとわかれば、攻撃側は勢いづく。殺意は無形の防御でもあるのだ。

 それを証明するように、忍野が再び動き始めた。

 初回同様、洋を中心に円を、いや螺旋を描く。

「調子に乗んじゃねーぜっ」

 声と同時に放たれた《鮫貝》の一閃は、次の刹那、物悲しい音を奏でて叩き落された。大刀で一打ちされたのだ。

「出所がわかれば、対応は弾丸より容易い」 

 《アゴ打ち》は銃弾と異なり、帯というがつく。弾丸を弾くには点の精度が必要だが、帯なら線で足りる。起こり──技の始まる気配さえ読めれば、遅れを取る忍野ではない。

 同時に、忍野は確信する。

 《鮫貝》──恐れるに足らず。

 手首の捻りだけで帯を放つ技は隠密性に優れるが、威力に欠ける。刃のない状態では、武器として不完全と言わざるを得ない。

 形状から見ても《鮫貝》とは暗器、暗殺用の道具だ。隠し持つに便利な暗器は奇襲を前提とする。まっとうな武器と正面から闘えば、遅れを取るのは自明の理だ。

 後は《海蛍》と称する回避術を攻略すれば、この勝負は終わる。

「チイッ」 

 攻撃を防がれた洋が、草原を滑るように退き下がる。

 忍野の動きが直線に転じた。砦の構えのまま、風のように突貫する。

 千切れた草が舞った。撃尺に踏み込んだ。

 今度は、大刀の突きから入った。 

「……《海蛍》」

 風に分け入るように丁寧な突きだったが、結果は同じだ。刃は丸々とした脇腹の右横を毛一本の差で通過するのみ。我知らず外したかの如き非現実感はまさに《海蛍》だが、それはもはや知るところ。忍野の策は次の手だった。

 空を切った大刀を引かぬまま、さらに前に出たのだ。

 右足を踏み出し、左構えを右構えに転じる。前衛と後衛が入れ替わり、繰り出した大刀が遮断機のように洋の右横を塞いだ。さらに手首を曲げ、大刀の反りを利して背後までも阻む。

 洋が気付いた時には、すでに遅し。

 二方を封じられた上で、残る一方から小刀の薙ぎが放たれる。

 洋が息を呑むのを、忍野は見た。

 狙いは首だが、やや下へ角度をつけたのは、洋が真下に沈むことを想定してのことだ。その際は斜めに変化し、袈裟斬りで止めを刺す。

 逃げ場はない。これは命中する──

 小刀の切っ先が通過したのは洋の頭上。遥か上だった。

 洋が避けたのではない。忍野が外したのだ。

 瞠目した忍野の視界が、急速にかしいでいく。

 何故か体がふらつく。耐えられず、左膝から草地に崩れ落ちた。膝立ちのまま、かろうじて砦の構えを立て直すも、何が起きたのか皆目謎のままだ。

「ふーう。ギリッギリで間に合ったぜ」

 洋の《鮫貝》に白線が戻っていく。朱に塗れた白が。

 草いきれに混じる血の臭い。そして左足の違和感。

 忍野はゆっくりと振り返った。

 一歩後ろに、足が転がっていた。

 あまりにも見慣れた、草履に足袋履きの足が。正しくは足首から下だけが。骨肉の断面もあらわに。

「《鬼磯目オニイソメ》──言ったろ、調子にのんなって」

 切断の激痛が、今にして脊髄を駆け上ってきた。




  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る