【序幕】魚々島 洋、畔 蓮葉を調える 其の三

 


  

 昼食を終えた二人は、同じ階のゲームコーナーを散策して帰ることにした。宅配を頼んだので、荷物は蓮葉のバッグだけだ。

 華やかな彩色を施された筐体や画面、大掛かりな遊具を、不思議そうな顔で蓮葉が眺めている。やりたいと言い出さないのは、それらが遊び道具とすら知らないからだろう。洋も教えるつもりは微塵もない。経験則だが、陸の娯楽は《麻薬》だ。

 壁際に並んだUFOキャッチャーを覗き込む蓮葉の様子も、現代アートの美術館に連れて来られた子供のそれだった。趣味や遊びにも素養が必要だ。幼児向けコーナーの方が相性がよかったかもしれない。

 ふと洋の目を引き留めたのは、その幼児向けコーナーの一角だった。

「蓮葉。あれ見ろ」

 振り返る少女の瞳に、木馬を模した遊具から幼女を抱き上げる中年男の姿が映り込む。薄手の背広を着ているがノーネクタイ。細面の横顔に引きつった笑いが張り付いている。

「あの男、どう思う?」

「嘘つきの匂い」

 小鼻をひくつかせ、蓮葉は即答した。

「いい鼻だ。付け加えるなら、前科者ってところか。

 そいつが子供を拾って、駐車場に向かってる」

 コーナーを離れ、男が向かったのは北のエレベーターだ。上階行のボタンを押すのが見える。四階から上に売り場はない。七階まで立体駐車場だけだ。

「とはいえ、嘘つきや前科者でも本物の父親の可能性はある。

 あいつが誘拐犯かどうか、一応確かめとかないとな」

 フロアを見回し、洋が近づいたのは南からベビーカーを押してきた女性だ。木馬の周囲をしきりに見回している。ベビーカーに子供の姿はない。

「ちょっといいか。あんた、ここにいた子のお母さん?」

 洋が幼児の服装を言うと、母親の顔色が変わった。

「うちの子、どこに行ったかご存じですか?」

「あー、やっぱりか。

 一人でエレベーターに乗ってったからおかしいと思ったんだよな」

「エレベーター? 何階ですか?」

「何階かは見てないが、だったよ」

「そうですか、ちょっと探してみます」

「来てるのはあんた一人か? 旦那さんは?」

「私だけです。主人は仕事ですから」

「なら、先に三階のサービスカウンターに行くべきだな。

 迷子の呼び出しをしてくれるはずだ。警備員も探してくれる」

「そうですね。ご親切にありがとうございます」

 母親は頭を下げ、早足で姿を消した。

「先払いで言われちまった。はこれからなのによ」

 洋はにやりと笑うと、駆け出した。

 ブランジャーに撃ち出された鉄球のように勢いよく、フロアの日常を突き抜ける。蓮葉がそれに追随する。

 北のエレベーターを無視し、隣の階段室に飛び込んだ二人は、三段飛ばしで階段を駆け昇る。常人ならば秒で息を切らすペースも、この二人には平常運転だ。

 目標は七階。男が乗ったエレベーターが直行した階である。

「言っとくが、今からやるのは修行を兼ねたオレの趣味だ。

 魚々島には《敵は魚と思え》って言葉があるが、こいつは敵ですらない。

 たまたま見かけた悪党、魚々島はもちろん畔だってはなも引っ掛けねえ奴だ。

 だが、オレは見過ごせねえ。

 女子供を狙うような連中がのさばってる、それだけで飯が不味くなる。

 だから潰す。それがオレ、魚々島 洋だ」

 五階から六階へ。喋りながらでもペースは落ちない。

「だから、おまえがオレの趣味につきあう必要はねえ。

 必要はねえが──

 オレはおまえと一緒にやってみたい。そう思ってる」

 踊り場を回った。蓮葉を見ないまま、続けた。

「蓮葉。ちょいとを手伝っちゃくれないか?」

 床が高鳴る。六階の表示が背後へ飛んでいく。

「……やる」

「お。いいのか?」

「お兄ちゃんの敵は、わたしの敵。

 ──蓮葉は、そう思う」

 表情は定かでない。だが、蓮葉の声には高揚の響きがあった。

「オーケー、初の共同作戦だ。よろしく相棒」

 茶化すように応じて、洋は足を止めた。七階に到着したのだ。

 店内出入り口に身を寄せ、ひそかに駐車場の様子を窺う。

 七階は屋上だ。青空の下、無機質な駐車スペースが広がっている。人影はなし、車はほぼなし。この時間帯、普通なら下階の駐車場で用足りるからだ。降り口は出てすぐ右。出口精算機を越えると、ウイステの建物の壁際をつづら折りに下るスロープに繋がっている。

 今しも、一台の軽自動車が精算機に近づいてきた。運転席には見覚えのある顔。例の男だ。

「最終確認といくか」

 洋は出入り口の扉を開け、無造作に車へと近づく。窓を開け、無人機に手を伸ばしていた男だが、二人の接近に不穏な空気を感じたのだろう。突如、アクセルを踏み込んだ。ゲートバーをへし折りながら、高速でスロープへと乗り入れる。

「間違いなし、だな」

 洋は慌てた風もない。

 男の反応もそうだが、助手席に幼女の姿があったのだ。洋の目は、その口を塞ぐ養生テープまで確認していた。ほぼ透明で肌と判別しづらい色だ。チャイルドシートがないのは多少怪しいが、余人が一見で誘拐と断じるのは難しい。

 軽自動車の背中が下り坂の奥に消えた。後部座席に人影はない。単独犯と見てよさそうだ。

「蓮葉、あの子を助け出せるか? スロープを出る前に、傷一つつけずにだ」 

「だいじょうぶ」

「あと、男には手を出すな。忘れるなよ、にだ」  

「うん。わかった」

「オーケー。作戦開始だ」

 階下を覗き込む洋の視界に、早くも半周を終え、スロープを戻ってくる軽の姿が現れた。安全運転に唾を吐くようなスピードに男の焦りが浮かぶ。

 鋭いジッパーの音に、洋は振り向いた。

 蓮葉がスポーツバッグを開けていた。取り出したのはバッタの脚を思わせる、折り畳まれた道具だ。長さは50センチばかり。色は黒で、二つある。

 ジャキ! 立ち上がった蓮葉が両手の道具を振るう。

 バッタの脚がZからIの形に伸展し、先端から幅広の刃が飛び出した。クワガタ虫の顎を思わせる奇怪な形状で、黒光りするさまもそっくりだ。

 それに続く柄は約150センチ、刃は50センチ。長柄と呼べるサイズの二振りの獲物が、蓮葉の手に握られる。

 ──薙刀、いや蛇矛に近いか?

 武器に惹かれるのは魚々島の性だ。洋の思考もしばし誘拐犯から逸れた。

 即座に浮かんだ疑問は二つある。

 薙刀に矛、どちらも両手を用いる武器だ。片手で振るう豪傑も存在するが、はありえない。

 もう一つは、刃の腹に等間隔で穿たれたコイン大の三つの穴。穴開き包丁を思わせるそれが、強度を落とす以外の意味とは。

 二つの謎が解けたのは、次の瞬間だった。

 突き出された二振りが交差し、Xを描いたのだ。刃の腹に突き出した突起が、もう一方の穴を捉え、連結する。

はさみ……か!」

 思わず洋はつぶやいた。



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