【序幕】魚々島 洋、畔 蓮葉を調える




 洋は、蓮葉と買い出しに出ることにした。

 青沼に言われたからではない。妹のバッグを調べた結果、日用品の持ち合わせがほぼないと判明したのだ。特に女性特有の品は、洋が貸すわけにもいかない。食料の買い込みも必要だ。

 洋たちが住む廃スタンドは、大阪北港に位置する。人工島に渡る橋を除けば、三方を海に囲まれた出島であり、一帯はほぼ工場地帯だ。住人が少ないため電車の路線はなく、バスは一時間に一本。コンビニすらない都会の僻地である。

 必然、買い出しには移動を伴う。

 大阪駅を中心とする都心に出れば何でも揃うが、洋にその考えはなかった。

 都心は人が多すぎる。何をしでかすかわからない蓮葉を連れて行くには若干の不安があった。

 《天覧試合》の手前、衆人環視のトラブルは避けておきたい。さりとて女物の買い物に、当事者不在というわけにもいかない。

 洋が買い出し先に選んだのは、《ウイステ野田阪神》である。

 大阪都心部より阪神本線で二駅。この地域ではもっとも大きなショッピングセンターだが、祝日以外はさほど混雑しないのは、開発の緩やかな野田という土地柄かもしれない。施設の名称は《吉野の桜》に並んで有名な《野田藤》の学名、ウィステリアにちなむ。

 洋の住む廃スタンドからウイステまではバス一本だが、洋はあえて徒歩で行くことにした。

 運賃を惜しんだのではない。道すがら蓮葉とゆっくり話が出来ると思ったからだ。距離は片道5キロ程度。道々のともがらにとっては散歩の距離だ。

「行くぞ、蓮葉」「うん」

 開店時間である十時の三十分前、二人は出発した。

 淀川沿いをまっすぐ東へと続く此花通。左手に延々と続く堤防の上には、四月の青い空が広がっている。見るべきものもない殺風景な道だが、頭上をぎり川を越えていく湾岸線の架橋だけは別格だ。思わず見上げさせる存在感がある。

「あれは5号湾岸線だ。大阪湾に沿って神戸まで続いてる。

 南に行けばUSJの近くを抜けていく。知ってっか、USJ?」

「ゆーえすじぇー?」

「ユニバーサル・スタジオ・ジャパン。知らねーか」

 蓮葉は二歩ほど遅れてついてくる。洋は思いつくまま話し始めた。

 少女の興味を引きそうな話題を色々並べてみるが、芳しい反応はない。

 さりとて蓮葉について訊ねても、今一つ要領を得ない。

 もっとも蓮葉の口が重いわけは、洋にも心当たりがある。

 畔は徹底した秘密主義だ。情報、とくに組織や内情について外部に語ることを絶対にしない。

 生活様式にほとんど進歩のない魚々島に対し、現代における畔は闇の複合企業コングロマリットへと成長した。専門の研究機関を有し、素性を隠した多数の畔を大企業に潜伏させている。それだけの組織の実態が秘匿され続ける理由の一つが、この鉄の掟だ。五年交流し畔に詳しい洋ですら、その全容については見当がつかない。

 蓮葉の過去を訊くことは、確実にその禁忌に触れることになる。

 家を出て十五分。蓮葉の口から得た情報は、十六という年齢だけだ。

 とはいえ、語らずとも得られる情報というものもある。

 まず知識。日常生活に必要な程度は備わっているが、一般常識の欠落が目立つ。

 性格。素直で受け身。喜怒哀楽に乏しいが、感情は顔に出る。嘘やごまかしを言わない。沈黙する際も申し訳なさを伴う。

 一方で頻発する「忘れた」には、そういった影がない。嘘には見えないが、本当なら健忘症の疑いすらある。族に拉致された際もそうだが、どこか

 興味。唯一にして強烈に示すのは、兄である自分への執着だ。

 理由は謎だが人懐こい犬のような熱意で、こっちが気恥ずかしい。

 蓮葉がもっとも興味を示したのも、洋自身の話だ。他愛ない日常ネタだが、食いつきぶりが他と明らかに違う。嫌われるよりはいいが、覚えのない愛情というのもそれはそれで複雑である。

「おまえ、前にオレと会ったことあるのか?」

 駄目元で訊ねるも、首を横に振られる。

 洋は嘆息した。やっぱ過去について問うのは無駄かな。

 結論。総合的な蓮葉の印象は、というに尽きる。

 抜群のモデル体型、クール系の美貌とのギャップが激しいが、中身は思春期前の内気な小中学生と思えば納得がいく。着てきた制服もおそらくフェイクだ。世間の十六歳はもっと大人びている。

 ──畔の教育課程が終わっていない、とかか?

 思案する洋だが、答えが得られるはずもない。

 洋はポケットからメジャーを取り出し、蓮葉に見せた。

「こいつは《鮫貝さめがい》。

 メジャーに似せてるが、畔に特注して作ってもらってる武器だ。

 オレはこいつで《神風》に挑む」

 次いで蓮葉の提げたバッグを指さす。一見は大柄なエナメル張りのスポーツバッグだが、これも畔謹製のはずだ。

「おまえの武器は、何て名前なんだ?」

 洋は港の一戦で、蓮葉の武器を見ていない。名越の相手をしている間に、残りを蓮葉が殲滅したからだ。

 武器や技術に興味を持つのは、魚々島の男として当然である。とはいえ武器を教えるのは、手の内を一つ明かすことを意味する。故に、せめて名前だけでもと思ったのだが。

「…………」

 わずかな逡巡の後、蓮葉の首はやはり横に振られた。

「──そんな顔すんなって。無理に聞くつもりはねぇよ」

 洋は慌ててフォローし、言葉を続ける。

「もうすぐ始まる《神風天覧試合》だが、その前に候補者の選抜が行われる。

 部族の代表に選ばれたオレらを、次は主催者が選んでくるわけだ。

 これに合格して初めて、出場が確定する。

 これまでの慣例だと、このテストは抜き打ちらしい。

 つまり主催側の人間が、いつ襲って来るかわからねえってことだ。

 言うまでもないだろうがよ。その武器、常に手放すんじゃねえぞ」

「……うん」

 ──こういうところは素直なんだがな。

 ともあれ、無理に訊くつもりがないのは本音だ。

 洋は蒼穹を見上げた。時間がかかると青沼も言った。

 こればかりは努力で埋められないものなのだ。

 


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