【番外】魚々島 洋 —潜窟の夜— 其の二




 それでも攻撃は当たらない。水に映る月を打つかの如く、数の暴力がことごとく空をきる。そして空振りには必ず反撃が伴う。恐怖のメジャーに顔や膝を打ち抜かれ、仲間が転がる。

「……《ウミボタル》」

 魚々島が、自ら動き始めた。

 己が体重を忘れたかの如き機敏さで集団の間隙かんげきを縫い、《審判邪眼》を翻弄ほんろうする。もはや囲いを作ることもままならず、散発的な攻撃を繰り返すばかり。そうなれば回避と反撃のルーティンワークだ。攻撃の度に味方が消えていく。

 あまりに一方的な展開に、さしもの悪党たちも血色を失った。ものの数分で仲間の半数が呻くむくろと化したのだ。彼我の戦力差を思い知るには十分すぎた。

「さて、と。まーだ続けるかい?」

 円柱を背に魚々島が足を止め、笑みを浮かべる。こちらは汗一つ流さず、憎らしいほど最初と同じ姿だ。誰の目にも明らかな決着に、攻撃の手が止まるのも無理はなかった。

「おまえが普通やないのは、ようわかった」 

 膠着こうちゃくを破ったのは金髪の若者。《審判邪眼》の頭領、吉田だ。 

 誰何すいかの後、戦闘に加わる様子はなかったが、それには理由があった。

「けど、これは避けれんやろ?」

 突き出したノズルの黒。後に続く円筒の赤。

「!」

 ブシュウ──ッ! 消火器から放射された粉末が、前方の空間を瞬時にピンクで染め上げた。立ち込めた煙幕に魚々島が飲み込まれる。

「今だ! 全員投げろ!」

 頭領の号令に気を取り戻し、パイプが、釘バットが、金属ロッドが煙幕に放たれる。幾つか反響が返るも、全て金属音だ。

 間髪入れず、吉田は煙の中へ飛び込む。右手でノズルを掴んで円筒をぶらさげ、空いた左手を前方に突き出したまま。

 スタンドは今、無造作に転がった人と凶器でいっぱいだ。煙で視界を奪えば、フットワークは使えない。とはいえ攻撃を座して待つ相手ではないはずだ。煙幕の向こうから飛来する凶器を避ける唯一の手段、それは。

「──ここやろっ!」

 左手指が触れた瞬間、横殴りに消火器を打ち込んだ。  

 吉田が目指したのは、魚々島が背にしていた円柱だ。だが狙いは無論、柱ではない。柱の後ろの死角。瞬時に身を隠す場所はここしかない。

 ノズルの分だけリーチの伸びた紅の鈍器が、半円分の遠心力で加速し、柱の裏側に吸い込まれる。柱を周り込ませたのは、吉田の周到さだった。万一の反撃も柱の盾に阻まれる。

 果たして、吉田の読みは当たったか?

 当否を報せたのは、固い金属音だった。消火器が柱に当たる音、すなわちだ。消沈と戦慄の味が口に広がる。

 消火器を手放し、吉田は転がるように煙から逃れ出た。立ち尽くす仲間に首を振ってみせた時、その目が揃って上を向いていることに気が付いた。

 柱が屋根と接がる位置に取りついた、球体のシルエットに。

 豚もおだてりゃ木に登る──場違いなことわざが浮かんだのは、桃色に着色されたデブのせいだろう。煙幕は天井までは達していない。それにしてもよく見つけたものだ。チームでは切れ者で通る吉田だが、流石にこれは予想外だった。

 ぐるりが一抱えもある金属の円柱の表面は滑らかで、あちこち錆びてはいるが手掛かりは皆無だ。手足に吸盤でもなければ、登ることなどおぼつかない。それをこの数秒の間に、この煙の中で、この豚野郎が成し遂げるとは。

「……か、かしらぁ」 

「ビビんなアホ。追いつめてンはコッチや。あっこからどこ逃げるちゅーねん」

 スタンドの屋根、キャノピーは平たい構造で、柱同様に掴めるとっかかりなど見当たらない。柱から屋根の端までは七メートル余り。いかな怪物といえど、助走なしで飛び移れる距離ではない。

 何より今、敵は両手を封じられている。仕留めるにはまたとない機会だ。

 音もなく煙幕が散じていく。

凶器ドーグ拾え。今度こそ叩き落したるわ」

「おっとぉ、絶体絶命か?」 

 魚々島の軽口を聞き流し、吉田は油断なく角材を拾い上げた。残った仲間もヘッドに倣う。

「合図と同時にぶん投げろ。降りてきたとこをオレが潰す」 

「オッケー」「任しとけや」「動くなよデブ!」

 俄然、勢いづく暴走族の面々。魚々島はもぞもぞと動くが、柱を離れる気配はない。屋根の高さは五メートルばかり。この人数で全員外すことはないだろう。ならば跳ぶか。滑り降りるか。

 いずれにせよ、その隙を叩く。

「やれ!」 

 声と同時に、再度、凶器が唸りを上げ放たれた。

 精確とは言い難いが、その散り具合が逆にいい。多少移動しようと避けようがない範囲の攻撃、加えて後背を狙う形になる。

 その背中から、吉田は片時も目を離さない。角材を持つ手に力がこもる。跳ぶか。滑り降りるか。まさか命中するのか?

「あーら、よっと」

 ピンクの肥満体が宙に躍ったのは、直撃の寸前だった。

 跳び降りた、のではない。伸ばした両手を円柱に添わせたまま、柱を軸に横回転したのだ。

 着弾した凶器が五月雨さみだれのシンバルを奏でた時、すでに魚々島の姿は柱の裏にあった。そのまま一周し、悠々と元の位置に戻って来る──!

 物理法則を鼻で笑うような動きに、荒くれたちが騒然となる。

 瞬時に見抜いたのは、やはり吉田だ。

 おそらく。魚々島は手中のメジャーを伸ばし、もう一方の手で先端を掴んで柱に沿う輪を作った。こうすれば柱を軸に回転するという動作が可能となる。

 そもそもこの輪は、柱を昇る為に用いられたのではないか。手掛かりのないヤシの木を昇る際、現地人は丈夫なロープの輪に体を引っ掛けて用いる。同様の技をデブ男が使ったとすれば、有り得ないスピードの登頂にも説明がいく。無論、怪物的な身体能力を前提とする話ではあるが。

「どうした、もう打ち止めか?」

 その怪物の揶揄が、吉田の神経を逆なでした。

 うるせえ!と叫んで投じた角材は、狙い過たず、丸みを帯びた背中に向かう。

 魚々島は両手を手放し、だらりと逆さにぶら下がった。支えは柱を挟む両脚だけ。蝙蝠のようなその状態で、腕を振るった。

 白線が閃き、角材に絡みつく。両断された凶器が、柱の左右に吸い込まれる。

「《ノコギリ》……って技だが、まんまだなこれ」 

 宙で回転し、何なく地上に降り立った魚々島を前に、吉田はついに観念した。



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