第313話 28-8 幕間 動物看護師あかね
私は、北条あかね。
今年の三月に日獣大の獣医保険看護学科を卒業したばかりの22才です。
神戸市西区小山に実家があります。
神戸市とは言いながら神戸市の外れで明石に近く、高校は県立明石南高校に通学していました。
普段は自転車通学だったのだけれど、徒歩で行くとすれば45分ぐらいの距離かなぁ。
バスを使っても35分程度はかかるんです。
高速道路のインター出入口は近いけれど、最寄り駅は4キロほど離れたJR西明石駅若しくは5キロ以上離れた地下鉄
家では犬やら猫を飼っていたおかげで私は幼いころからペットが大好きで小学校の頃の将来の夢は獣医さんになることでした。
でも現実は厳しく、私のおつむでは到底獣医さんにはなれそうもなかったので、色々調べて動物看護士を目指すことを決めたのが高校時代です。
両親や進学指導の先生とも相談して、岡山と東京にある二つの大学の動物看護学科を受験しました。
岡山の方は残念ながら不合格でしたが、幸いなことに武蔵野市にある日本❆医生命科学大学の獣医保険看護学科に合格し、進学できました。
大学には入れたものの、正直なところ勉強は結構大変だったし、私大なので授業料も高く、生活費がいつもキチキチなので、夏季休暇や冬期休暇は結構バイトをしなければいけない状況でしたね。
何とか無事に4年が終了できる見込みがついて、就職活動を始めようかという時期に、同じ日本*医生命科学大学の獣医学部6年生の加山優奈さんに声をかけられました。
加山優奈さんは私よりも二歳年上で、高校時代からミラクル・ユーナとして知られる陸上競技界での有名人。
アスリートとしてだけではなく、歌手、音楽家としても知られ、更には海外留学中にインフルエンザ対応ワクチンやら各種検査機器などを開発している我が大学切っての美人であり才媛なのです。
獣医保険看護学科でも彼女のファンがたくさんいますけれど、私もその一人でした。
彼女の話は、彼女自身が神戸のポートアイランドで動物病院を開業する予定なので、そこの動物看護師をしてみませんかという就職のお誘いでした。
加山さんについてはものすごいお金持ちだという噂がありましたので、彼女が卒業してすぐに動物病院を作れることについては何の疑問も持ちませんでした。
それよりも、大学での実地研修はありますけれど、普通は卒業して暫くはどこかの病院等でインターンとして勤務するのが普通ですから、優奈さんがいきなり開業できるということ自体に驚きました。
勿論、私が就職するためには動物看護師の国家試験に合格しなければなりませんが、加山さんからの話は私にとっては渡りに船でした。
実のところ去年は十数件あった神戸地区の求人情報が今年はゼロだったのです。
たまたま時期が悪かったのかもしれませんが、大阪府、奈良県、京都府については数件の募集がありましたけれど、就職案内担当職員の話では兵庫県全域で動物看護士の求人が皆無と言うのは大変珍しいことのようです。
まぁ、私も成人ですから必ずしも実家にはこだわらないのですけれど、できれば実家の近くで就職したいと願うのはごく普通の人情じゃないですか。
動物病院の動物看護師以外にも就職口が無いわけではないので、そういった別口を当たるしかないかなと思っていた矢先の話でした。
私はすぐに是非採用をお願いしますと即答しました。
実績のある動物病院ではないのですから若干の不安がないわけではありません。
でもミラクル・ユーナならきっと成功するという訳のわからない確信にも似た予感が働いたのです。
因みに同じ学科で兵庫県出身の同級生は7人いたのですけれど、加山さんが声を掛けたのは、私と
林さんは獣医保険看護学科の中でも成績優秀な人なんです。
声を掛けられなかった他の5人が優秀じゃないとは言いませんが、林さんは別格と思っています。
その林さんと一緒に憧れのミラクル・ユーナから声掛けをしてもらえるなんて本当に嬉しかったです。
ですから国家試験も相当に気合を入れて受験、見事に合格しました。
まぁ、大学を履修しているのですから本来は合格が当たり前なんですけれどね。
卒業式の前に結果が出て、ミラクル・ユーナから支度金と一緒に仮採用の通知書を貰いました。
ポートアイランドに造る新しい動物病院は、今年の9月末に竣工予定で4月から建設工事が始まるんだそうです。
支度金は額面150万円の某銀行振出の小切手でした。
支払日は4月1日から3か月のようです。
ミラクル・ユーナ曰く
「この支度金は10月の正式採用までのつなぎですから自由に使ってもらって構いません。
生憎と宿舎は用意していないので、賃貸アパートの敷金・礼金に使ってもいいでしょうが、家賃の補填は正式採用までありませんので注意してね。
正式採用後は、通勤費や家賃の一部補填ができると思います。」
加山さんはそう言って、新たな病院の建設予定地の住所を教えてくれました。
この時には林さんも一緒に加山さんの話を聞いています。
もう一つ、私の中学・高校時代の後輩で実家が近所にある岡崎詩織さんが事務員として採用される予定との情報も聞きました。
岡崎さんは明石南校を卒業後、元町にある医療秘書専門学校に入り、そこから神戸市西区の西神中央駅近くの個人病院に勤務していたはずです。
昨年の高校の同窓会でたまたま話をしましたから間違いない筈です。
彼女の実家は私と同じ西区小山にあり、そこから通勤していると聞きましたが、何でもお兄さんが結婚して夫婦で実家に同居し始めたので、家が手狭になりいずれ兄夫婦の子供も生まれるでしょうから、岡崎さんが何処かにアパートを借りなければいけない状況になったと話していたのを覚えています。
それで林さんとも相談して岡崎さんに電話をかけ、8月ぐらいにポートアイランド若しくはその近辺でアパートか賃貸マンションを共同で借りることを相談しました。
共有スペースとは別に一人一室のプライベート空間があれば取り敢えずは十分です。
将来的に結婚等で独立するまではルームシェアができます。
三人で色々探して結局勤務先になるポートアイランドの賃貸マンションを見つけました。
築40年以上になる中古マンションですが、月額10万円の家賃で3LDKは魅力です。
敷金20万円、礼金10万円も比較的安い方じゃないでしょうか。
4月半ばに三人で現地に赴いて、其処に決めました。
生憎とその物件を待たせるわけには行かないようなので、5月から入居と言うことで話を進め、三人連名で契約を済ませました。
岡崎さんは早速5月に引っ越しのようです。
私と林さんは8月末までには入居予定とし、それまでは実家で過ごすことにしました。
林さんは因みに兵庫県豊岡市出身ですが、神戸市で勤務できることを熱望していたようです。
そうして私と林さんが8月中旬に相次いでポートアイランドのマンションに転居してまもなく、9月からは加山優奈さんが講師になって、医療検査機器等の研修が始まりました。
大学でも種々の検査機器などを扱いましたが、それら最新の機器よりも2グレードほど性能の違う機器が新たな病院に設置されるようで、それらすべてが加山さんの手作りなんですからもう驚きです。
何でも王子公園駅近くのビルの一室を借りて臨時の工房とし、そこで検査機器の製作を行っていると聞きました。
三宮駅近くの貸しビルの一室を借りて、そこに検査機器を設置し、私と林さんの二人が機器取り扱い研修を受けましたが、同研修は午前中のみで、午後からは岡崎さんを含めて医療事務関係書類の作成・整理等の事務手続きを勉強しました。
人を相手にする医院等の医療事務と動物を相手にする動物病院での医療事務とではやはり異なるようです。
特に人相手の医療は厚生労働省所管、動物相手の医療は農林水産省所管ですので法制度も似てはいますがやはり異なるのです。
一緒に研修を受けてみた感触では、岡崎さんもかなり呑み込みが早く優秀な人材だと思いました。
そうして10月10日開業初日、ネットでの宣伝が効いた所為か、朝からペットを連れたお客が30人ほども来ていました。
岡崎さんは朝8時半から受付で忙しかったようですが、9時半に院長である優奈さんの号令で診療が始まり、私と林さんも勤務を開始しました。
私たちも大学付属の動物病院で実地研修を十分受けてきたので多少は獣医医療の現場を知っているはずなのですが、優奈先生の診療はとにかく早いんです。
飼い主さんから話を聞きながらパソコン上のカルテに情報を入力して行くんですが、会話と入力がほぼ同時に進行しています。
私には絶対真似できません。
それに事情を聴いた後一応患畜の状況確認をしますけれどこれが手早い。
傍から見ると、所見はほぼ瞬時に下しているように見えます。
そうしてその診断がとにかく正確なんです。
物言わぬ動物相手なんですから異常を確認するのに中々手間がかかるはずなんですけれど、優奈先生はまるで以前から知っているように判断を下すんです。
イグアナなんか、飼い主も飲み込んだことを知らなかった胃の中のネットをあっという間にYUNA式3Dスキャナーで見つけ出し、開腹手術ですぐに除去しました。
その日3Dスキャナーを使用したのはこれ以外に二件だけですから、優奈先生は必要な場合にしか使っていないのです。
大学の付属病院での措置なら先ず手術だけで1時間は間違いなくかかると思うのですけれど、所見から手術終了まで僅かに30分です。
飼い主さんはすっかり驚いていましたね。
あれよあれよという間に手術まで行っちゃうんですから。
YUNA動物病院はスペースが広いですからね。
二階には診療室が四室と手術室が三室、手術道具だけでも各室6セットまで準備してありますし、使い終わった手術用具は所定の消毒洗浄機に入れておくと、3時間後には再使用が可能になります。
三階には大型患畜様の診療室もありますが、ペットでも余程大型でなければ使いません。
そもそも馬、牛、豚などを想定した診療室なんです。
診療中の優奈先生の熱気に当てられたような感じで飼い主さんがこくこくと頷いているうちに全ての処置が終わっていましたね。
入院患畜第一号のイグアナ君は、1両日入院してから退院してゆきました。
30件もの来院があって対応できるんだろうかと心配してましたが、驚くほどすんなりと診療が進み、最終的に初日は42件の患畜の診療を終えて午後6時には玄関のシャッターを閉めました。
取り敢えず入院したイグアナ君については、職住一体の優奈先生が見守ることにしています。
何でも、動物病院のペントハウスにある先生の書斎等では各種センサーや監視カメラの映像が常時確認できるんだそうで、異常があった場合の対応もすぐにできるようです。
尤も動物看護師が5人に増えたなら当直にも入ってもらうと優奈先生が言っていました。
来年4月からは現状に加えて獣医一名、動物看護士2名が増える予定だそうで、医療事務員も相応の人が見つかれば雇うようです。
私の勤めるYUNA動物病院は順風満帆の滑り出しですね。
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