第310話 28-5 理子の結婚

 10月7日には、YUNA動物病院のすべての開業準備が終わっていました。

 ペントハウスの自宅については、優奈が選んだ家具を運び入れ終わって、いつでも住めるようになっていますが、一応の目安として10月9日から住むようにしています。


 住民票の移動もその日付で行う予定です。

 まぁ、12月には新たに夫婦別姓で籍を入れることになるのですけれどね。


 ユーリーも、8日に荷物入れを行いますが、優奈は8日午後から理子の結婚式の披露宴に出かけます。

 ユーリーも超能力者なので引っ越しはいたって簡単です。


 必要なモノを転移すればいいだけですから、何度か社宅と我が家を往復すればおしまいなんです。

 優奈が披露宴に出かけるときはユーリーが行ってらっしゃいと玄関でハグをしてくれました。


 キスしちゃうともう一度口紅をつけ直しですからね。

 出かける準備ができてからは、キスはご法度なんです。


 今日の衣装は鮮やかな群青色のマキシムタイプのワンピースですが、肩から同じ色のショールを斜めにつけることでほんの少しアクセントをつけています。

 婚約指輪は左手の薬指にはめています。

 外出時に付けるのは初めてですが、全体が赤みがかったとてもきれいな宝石と指輪です。


 新築の我が家から披露宴会場までは電話で呼び出した無線タクシーで移動です。

 理子の結婚式披露宴は、新港第一突堤先端にある神戸ラ・スィート・オーシャンズ・ガーデンです。


 披露宴の規模は多分100名前後の招待客だと思います。

 私の席は、坂下愛ちゃんなど同級生10人が一緒でした。


 同級生の皆と会うのは少なくとも三年ぶりぐらいでしょうか。

 2024年はウィーン留学中とペスト騒ぎで神戸に帰っていないですし、2025年には獣医師免許の取得のための準備で神戸に帰ってもわずかな日しか滞在していませんでした。


 同級生は皆相応に年を取ってお年頃になり、綺麗になっていましたね。

 愛ちゃんの案内で披露宴が始まる前に控室で花嫁に会うことができました。

 ウェディングドレス姿の理子はとても可愛くて綺麗でした。


「理子、結婚おめでとう。

 とっても綺麗だよ。

 幸せになってね。」


 皆と一緒に優奈がそのようにお祝いを言うと、はにかみながら理子が言いました。


「ありがとう。

 優奈にお祝いを言ってもらうのが一番嬉しい。

 随分遠くに行っちゃったような気がしていたから・・・。

 次は優奈の番だよ。

 万難を排して2か月後には優奈の披露宴に行くからね。」


 勝気な理子はいまだ健在。

 小柄だけれどいつでもエネルギッシュなのは変わらない。


 愛ちゃんによれば、旦那様になる人は二歳年上の会社員、理子の勤め先と関連のある会社で、仕事つながりで知り合ったようだ。

 新郎新婦入場で初めて見かけた彼の身長は多分175センチぐらいで優奈よりは低いような気がするけれど、理子がハイヒールを履いているとちょうど釣り合うみたいだね。


 とても凛々しい良い顔をしている男性でした。

 きっと理子を幸せにしてくれると思います。


 披露宴では、式場の司会が次々にエピソードを交えながら新郎新婦を紹介し、次に出席者からの祝辞の出番になりました。

 双方の親戚代表に次いで職場の上司などが続き、理子の同級生からは愛ちゃんが代表でお祝いを述べ、やがて演芸披露の時間になりました。


 カラオケあり、ダンスあり色々な披露があって、司会の女性から名指しで優奈が呼ばれました。


「加山優奈さん、どうぞ、こちらの方へおいで願います。」


 あれ、確かエレクトーンでの演奏と歌を歌うはずなんだけれど違うのかなと不審に思いながらも席から立ち上がって、司会の立つ場所に向かうと、司会の女性がものすごくにこにこしていました。


「こんな時に私的なことで申し訳ないのですが、私、昔から優奈さんの大々ファンなんです。

 そうして優奈さんを皆さんにご紹介できる栄誉にあずかり、本当に舞い上がってしまいそうです。

今 日は新郎山口勝彦さんと新婦理子さんのお祝いの席ではございますが、新婦にお伺いしましたところ、優奈さんも二か月後に華燭の典を上げるご予定がおありとか、・・・。

 左手薬指にはめられている素敵な指輪はおそらく婚約指輪でしょうか。

 この際ですから是非に優奈さんのお相手も少しご紹介いただけませんか?

 この場にいらっしゃる方たちも多分ものすごく興味津々ではないかと思うのですが、いかがでしょう。」


 途端に男性の野太い声と女性のやや甲高い声が数多上がった。


「教えてやぁ。」

「お願い教えてぇ。」

「ミラクル・ユーナ結婚するんやて?そんなん嘘やん。」

「相手は誰?知ってる人?」


 様々な声が上がるがいずれも知りたがっていることには違いないようです。

 さてどうしたものかと少し考え、やむを得ないかなと思い少しだけ披露することにしました。


 司会からマイクを借り受け、その場で慎重に口を開く。

 

「えーと、本日はあくまで新郎新婦のお祝いの席ですので、お二人に関わりのないことは申し上げるべきでないかもしれませんが、・・・。

 私の祖父曰く祝い事は重なってもよいとのことですので、ほんの少しだけ私の旦那様になる予定の男性の話をします。」


 途端にざわざわしていた会場が一瞬で静まった。

 うーんこんなに注目されちゃうとちょっと気恥しいですね。


「彼の名は、ユーリー・ミハイル・マクシムと申します。

 彼はエストニアの起業家です。

 或いはご存知かもしれませんがESTO-ITONという昨年日本に進出してきたIT企業のCEOです。

 彼とは、留学先のウィーンで知り合い、2年越しのおつきあいです。

 この12月に結婚する予定です。

 そうしてこれ以上の情報はプライベートに関わるので申し上げられません。」


 ふうとため息をつきながら司会の女性が言った。


「貴重な情報をありがとうございました。

 それでは、恐れ入りますが優奈様の歌と演奏をお願い申します。

 エレクトーンはあちらにご用意してございます。」


 司会が掌で指した方向にエレクトーンがあり、優奈がそこに向かう間、司会が早口で優奈と理子の間柄を説明し、優奈が獣医を目指して東京の大学に行き、優秀な成績で卒業、明後日にはポートアイランドのYUNA動物病院を開業する予定であることまで告げてくれた。

 病院の宣伝にはなるけれど、少々結婚式の司会の職分を越えているような気がしますよね。


 優奈がエレクトーンの調整を行い、USBメモリーで若干のプログラムを走らせて準備を終えた。

 演奏曲はこの一年の間で最も流行った『ラッフェルダンスの恋歌』という歌なのです。


 6、7年ほど前に流行ったシャッフルダンスのテンポをやや変えたラッフェルダンスが欧米を中心に流行り、そのテンポを取り入れたシンガーソングライターのニューアイドルである香取順子の歌なのです。

 切れのいいテンポが若者に受け、ハッピーエンドの恋歌なので結婚式によく歌われるのだけれど、優奈の本音を言えば、ネットで流れているカバーソングやカラオケはどれも上手とは言えないんです。


 それで、優奈が今回祝いの歌として取り上げることにしました。

 できれば歌い方を覚えてほしいと思いつつも、敢えて香取順子とは異なる歌い方にするのです。


 香取順子は独特の声と特徴のある歌い方をするので、素人が下手に真似すると聞くに堪えない歌になるのです。

 優奈の歌いぶりが仮にネット等で物議をかもしたところで、優奈にかかわりのない人物がネットに挙げるのだろうから、優奈に責任はないのです。


 優奈が始めた演奏は、そもそも前奏からして香取順子の曲風とは異なりました。

 いったい何の曲だと聞いている者が不審に思うほど違うイメージになるのです。


 でも優奈が歌い始めるとすぐに若者ならば誰でも知っている『ラッフェルダンスの恋歌』に思い至るのです。

 それでも曲想は大分異なるはずです。


 山あり谷ありの歌詞にふさわしく、エレクトーン伴奏の音程が乱高下し、音色が変化しますけれど、優奈の歌声は凛として会場に響き渡り、恋歌の何たるかを知らしめるのです。

 優奈が歌い終わった時には居合わせた老若男女の心に大きな感動だけが残っていました。


 たちまちにして湧き上がる歓声と拍手はちょっと結婚式の披露宴に相応しくないような気がします。

 それでも優奈は静かに立ち上がって優雅にお辞儀を為してお祝いの演奏を終えました。

 花嫁の理子の瞳がとってもウルウルしていたのが印象的でした。


 披露宴の後は、新郎新婦の友人30余名が集って、新郎新婦を交えての二次会です。

 優奈も愛ちゃんら同級生に誘われていましたので勿論参加します。


 二次会のお店は北長狭通1丁目にある100名前後の団体さんまで収容できるカラオケ・バーラウンジで、ちょっとしたおつまみもいろいろ出ました。

 そこでも優奈に歌のリクエストがありましたけれど、二曲だけという条件を付けてリクエストに応じました。


 今日は私のショーではなく、主役はあくまで理子と旦那様なんです。

 そこはしっかりとわきまえなくてはいけません。


 夜10時半までおつきあいしてタクシーで我が家に帰りました。

 午前様にならないだけまだましでしょうね。


 ポートアイランドの我が家では引っ越しを終えたユーリーが玄関に続くホールで出迎えてくれました。

 結婚式まであと二か月、それまでの我慢です。


 今のところはユーリーの抱擁とキスだけで満足している優奈なのです。

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