第213話 22-6 *耶祭(2)
優奈は、エレクトーンの伴奏を始めた。
若者ならば知っている前奏のメロディがふわっと広がり、その伴奏に合わせて優奈が歌い始める。
優奈の声量は大きい。
マイクなしでも講堂の隅々まで声を行き渡らせることができる。
その絶妙な声のコントロールで聞く者全てを一瞬で弾きつけてしまう。
それからは優奈の独壇場である。
メロディと歌声に酔いしれているうちに流行り歌が次々と披露される、
本来の持ち歌の歌手も相当の力量の持ち主なのだが、歌い方を変え、伴奏を変えた優奈の演奏には遠く及ばないと誰しもが感じた。
優奈の歌を聞いた者は、必ずと言っていいほどに曲の情景に引きずり込まれるのである。
歌詞の意味がこれほど脳裡に映像のごとき明確さで伝わる歌も珍しい。
勿論、優奈が歌うからこそ味わえる新たな感覚なのである。
会場に来ている人達は、大なり小なり優奈の演奏をネットで見て、聞いて、知っているが、生で聞く迫力と押し寄せる情熱を感じ取って優奈の歌は別次元の歌と改めて気づくのである。
5曲の流行り歌が余韻を残して終わった時、観客は次々に立ち上がり拍手を送った。
優奈は立ち上がり、丁寧にお辞儀をしてその賞賛と声援に応えた。
「では二つ目のパートの古いバラードを演奏します。
2004年に発表されたスキ*スイッチさんの「
そうしてバラードの最後はDolly *artonさんの1973年の楽曲で「Jolene」ですが、この曲はOli*ia Newton Johnさんが1981年に歌ってよく知られるようになりした。
バラードというよりもカントリーウェスタンに近い曲です。
一番古い歌は今から56年前の歌ですが、いずれもとてもいい曲ですので、皆さんが好きになっていただけると良いなと思っています。」
優奈が演奏を始めると一気に雰囲気が変わる。
結構知られている曲ではあるけれど、優奈が歌うと元歌の感じが違ってくるような錯覚を起こす。
「奏」と「初恋」は、エレクトーンの伴奏で歌ったが、「秋桜」は立ち上がってエレクトーンから離れ、そばにある椅子に立てかけてあったギターを取り上げて、その椅子に座ってギターを爪弾きながら歌い出す。
このギター演奏が
普通ならばコードで和音をかき鳴らすだけの伴奏であるのに、優奈の場合は明らかに編曲した伴奏で、より秋桜の歌に似合った伴奏をしてくれる。
多少ギターを知っている程度では絶対にできない芸当である。
霧の摩周湖も同じくギターで伴奏しながら哀愁の籠る歌を繰り広げ、次の洋楽「Power of love」では、エレクトーンを演奏しながら切れのいいアップテンポで歌いあげた。
そうして「Jolene」では、エレクトーンによるオートテンポのパターンとカントリーウェスタンのにぎやかなギター伴奏で比較的年配の方に一頃の人気洋楽を思い起こさせた。
優奈はエレクトーンに戻って、再度観客に語り掛ける。
「さて、最後のパートになりますが、これから披露する歌は世界中の誰もが知らない歌です。
ここ1年ほどの間に私が書き溜めた曲の中から選んだ「風の妖精」、「エンジェルダンス」、「湖畔の宿」、「月と古城」、「オディッセイア」をご紹介します。
あくまで独りよがりの曲なんですが、その違いを楽しんで聞いていただけたなら幸いです。
では「風の妖精」からお聞きください。」
演奏が始まると全く新たなジャンルの音楽が始まったように感じられた。
最新の音楽にあるようなアップテンポの曲ではないのだが、スローなのにどこか踊り出したくなるようなそんな独特のリズムを持っていた。
演歌のように短調は余り使っていない。
それにもかかわらず曲の中に和を感じてしまう聴衆だった。
妖精とは欧風のものであって和風には似たようなものがあったにしてもそのような名前では呼ばれない。
しかしながら、歌詞に引きずり込まれ、妖精がそこかしこに見えるような錯覚に陥っていた。
「エンジェルダンス」もまた違うリズムの歌である。
先ほどと異なり、かなりのアップテンポである。
だが間違いなく聴衆の頭の中では翼を持った天使たちが空中を跳ねまわりながら踊っていた。
「湖畔の宿」は、とても爽やかなすっきりとした曲であるが、とても音階の幅が広い歌である。
優奈の歌声は、3オクターブを優に超えて4オクターブの領域に間違いなく入っている。
生身の人間に出せるとは思えないほどの高音域と低音でありながら、低音でさえ声量のある優奈の声に、聴衆は驚きつつもその音色を楽しんでいる。
「月と古城」は、日本の民謡に近い歌である。
おそらく民謡の歌手が相応のコブシを使って歌ったならばそれなりに歌えそうな歌ではあるが、優奈はコブシをほとんど使わなかった。
ストレートなビブラートのみで演歌とは違う新感覚の歌を歌っている。
何処か哀愁を帯びながらも、聴衆の心に故郷を思い起こさせる歌であった。
少数の老人たちではなく、むしろ若者たちがこの歌に惹かれたのは優奈が歌ったからであろう。
「オディッセイア」は、歌劇で用いられそうな歌だった。
宝塚ならば喜んで使いそうな表題である。
歌は5分の長丁場であるが、最初から最後まで一つとして同じメロディは使われていなかった。
歌劇の歌としてはかなり稀な形だろう。
歌詞を追いかけて行くと、海あり、山あり、谷あり、湖ありの情景が思い起こされ、昔日の英雄譚が目の前に広がるのである。
ギリシャ神話のオデッセイウスを知らずともその情景が優奈の歌によって目に浮かぶのは凄いことである。
オディッセイアを歌いきって、時間は3時40分にかかるところであった。
「一応予定の歌は終わりましたが、次の相澤さんに引継ぐまでもう一曲ほど行けそうですので、歌います。
街中の商店街はそろそろクリスマスの飾りつけも始まったところがあるようです。
クリスマスまでまだ一月余り、少し早いのですが、皆さんへのプレゼントの意味合いを込めて山下*郎さんの「クリスマスイブ」を歌います。どうぞ聞いてください。」
確かにデパートなどは11月中旬にはクリスマス商戦を始めているようであり、クリスマスソングも商店街のバックミュージックでよく聞かれる。
クリスマスイブの歌は発売が1983年と古いが今でも歌い継がれている歌である。
優奈の高い声が爽やかなイブの夜を演出する。
観衆がほんわかと甘い気分に浸って歌は終わった。
優奈が立ち上がって、観衆に向かってお辞儀をすると、観客が一斉にブー垂れた。
そうして客席の一角でアンコールの声が上がるとたちまちのうちに観客全員の手拍子とアンコールの合唱になった。
これを見て優奈が頭を振りながら言う。
「えーっと、予定にはなかったのですけれど、仕方がないですね。
ではもう一曲だけ。
もうこれ以上はありません。
次の相澤昌介さんにご迷惑が掛かりますのでどうかご了解ください。
それでは私の好きなマ*イア・キャリーのクリスマスソングから、日本語では何故か恋人たちのクリスマスという表題になっていますが「All I Want for Christmas is You」を、聞いてください。」
鐘の音を思わせるピアノの高い音が静かに響き、ハミングで始まる。
次いでドラムを思わせるオートビートとピアノの伴奏で聞いたことのあるマ*イア・キャリーの歌が始まる。
声だけではなく、優奈の英語はネィティブの発音であるところが凄い。
賑やかな欧風のクリスマス・パーティのイメージが観客の脳裡に広がり確かにその中に恋人たちが居た。
英語はわからずとも語り合っている若い男女の姿が透けて見えるのである。
優奈のアンコール曲は、にぎやかに終わった。
皆総立ちの拍手の中で優奈が言う。
「はい、ありがとうございました。
次いで、相澤昌介さんにお願いしますが、バンドの方が準備するまでの間の少しの間だけ私と相澤さんでお話しすることになっています。
相澤さん、どうぞお越しください。」
相澤昌介が袖から出て来るのと同時に、スタッフやバンドマンたちが設営にかかる。
エレクトーンは片付けられ、折畳み椅子二つが残されている。
「相澤さんとは初めてお会いしますね。
加山優奈と申します。
どうぞよろしく。」
「こちらこそ、どうぞよろしく。
初めてではありますが、ネットの中で色々なお姿を拝見させていただいていますのでとても初めてとは思えないのですが、・・・。
こうして近くで見ると、本当に凄い美人ですね。」
優奈が苦笑しつつ言った。
「お上手ですね。
お世辞を申されても何も出ないのですが・・・。」
「いいえ、先日HALSの波照間さんという方から、優奈さんの新譜を戴いたばかりですから、お礼を言わねばならないのはこちらです。
本当にありがとうございました。
私もバンドもとても気に入ってまして、目下猛練習中です。
何とか今年中のレコーディングに間に合わせたいと思っています。」
「そうですか。
私の曲が気に入っていただけたなら幸いです。
この後の公演予定もあるのでしょうね?」
「ええ、来月5日と6日の二日間、武道館でライブの予定です。
優奈さんが先ほど歌ったクリスマスイブも歌う予定なのですが、優奈さんが一緒に出演していただけるととても嬉しいのですけれど、如何でしょうか?」
「ごめんなさい。
私はアマチュアなので基本的にプロの方の興行のステージには立たないようにしています。
日本の場合は特にそうですね。
今まで日本でプロの興行ステージに立ったのは一度だけ、神戸で公演されたソニンのステージだけです。」
「そうなんですよね。
ボクを含めて、優奈ファンは皆優奈さんの日本でのコンサートを心待ちにしているのですけれど、どうしてもダメですか?」
「そうですね。
私がオバサンになった時、まだ、皆さんからそんな希望があれば考えてみます。
今のところは、学業と色々としがらみがあって、趣味の陸上や水泳などに時間を取られていますので正直なところ無理ですね。
今日のこのコンサートも全く練習なしでやっていますので、本当はお客様に失礼に当たると思います。
仮にコンサートを本気でするのならばできるだけの練習を積んでから披歴すべきだと思いますが、今はそんな余裕はありませんし、今後もそんな暇はないでしょう。
ですから私の場合は、出演料を一切頂かないで此処に来ています。
あくまでアマチュアの活動ならば構いませんが、それ以上ならばできません。」
「なるほど、仕方がないですね。
じゃぁ、諦めます。
最後に一つだけ、お会いした記念に握手させていただけますか?」
「あ、はい。
喜んで。」
優奈と相澤昌介はステージの上で握手をした。
優奈がその上でマイクに向かって言った。
「それじゃ、後のステージは相澤さんにお任せして、私は引っ込みます。
皆さん、私の歌を聞いていただいてありがとうございました。
ごきげんよう。」
優奈は優雅にお辞儀して、袖へと引き上げる。
「舞台の華が去ってしまって、実のところ寂しい限りなのですが、頑張って彼女の後を引き継ぎましょう。」
そう言って相澤昌介の合図でバンドがイントロ演奏を始めた。
人出の多い*耶祭は、多くの優奈ファンが6号館の外で待ち受けていた。
講堂や体育館に入れなかった人々が、周囲でたむろしていたのである。
このまま優奈がキャンパスの中を出歩くと必ず人混みになってしまう。
優奈は止むを得ず武蔵野大学の*耶祭を全く見ずにハイヤーに乗って自宅へ戻るしかなかった。
ハイヤーに乗るまでは、実行委員会のスタッフが大勢で優奈を取り囲み、優奈を守ってくれたのである。
優奈のこの武蔵野大学*耶祭への出演は、翌日にはネットで公開され多くの人々の関心を集めていた。
ウチの大学祭に招けばもしかすると来てくれるのかもしれないということで、一斉に来年の大学祭に向けて動き出したのである。
大学祭は概ね10月終わりから11月中旬にかけて開催され多くの大学がネットワークを持っている。
従って、翌日から最も被害を受けたのは武蔵野大学*耶祭実行委員会の委員長である館林であった。
彼の携帯が翌早朝から鳴りっぱなしだったのである。
その全てが他大学の実行委員会の委員長やメンバーだったのである。
無論舘林の知った名前もあるが全く知らない名前の方がはるかに多かった。
彼らの知りたがったことはただ一つ、優奈をどうやって大学祭に引っ張り込んだかである。
従って、10人を超えた頃には舘林も慣れて来て、相手の用件を聞き、要領よくまとめて回答できるようになっていた。
そうして優奈の元ヘは、翌年の大学祭の出演についての招待状が異様に増えたのである。
それらは全て日本*医生命科学大学気付きの宛名であった。
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