第211話 22-4 水泳ジャパンオープン(2)

 17時20分から女子200mバタフライの決勝、優奈は当然のように5コースでした。

 そうして今度は決勝のため、第一コースから順に所属と名前がアナウンスされるのです。


 優奈の名が呼ばれるまでは折畳み椅子で待機です。


「第5のコース、加山優奈さん、オーレサンテ・クラブ所属」


 アナウンスがあると、観客から一斉に咆哮にも似た歓声が上がる。

 水泳の場合は、立って前に進み片手をまっすぐに上げるだけなのです。


 水中眼鏡を付けて、水泳キャップの位置を治し、スタート台の脇で待機。

 「位置について」から「用意」、ホイッスルまでは結構早いのです。


 逆に優奈は、飛び込んでから浮き上がるまでが長い。

 一気に15mほどは進んでしまい、それだけで二位以下とは身長分ほども差がついてしまう。


 それから、優奈のバタフライが始まるけれど、ピッチが速い上に、空中を飛んでいるのではないかと思うほどに身体が浮き上がる。

 50mのターンは22秒41で世界記録を上回り、100mのターンでも46秒19で同じく世界記録を破り、そのまま200mは1分49秒81でゴールインした。


 800mに続き、女子の世界記録だけではなく男子の世界記録さえ上回る驚異の記録である。

 観客席はその表示が画面に出た途端、アナウンスが始まるより先に大歓声を上げたのでした。


 その興奮も冷めやらぬ17時45分から女子200m自由形が開始されました。

 優奈の快進撃は続きました。


 50mのラップでは20秒87、100mのラップでは43秒26をたたき出し、200m自由形を1分38秒24のタイムでゴールしたのです。

 これもまた男子の世界記録を上回る快挙であったのです。


 優奈は200mの競技であるにもかかわらず、50m及び100mの世界記録を塗り替え、また800m自由形のラップでは400mの記録さえも上回っていました。


 従って、50m、100m、200mのバタフライと自由形の6種目、更には400mと800mの自由形でも男子の記録を上回る世界記録を持つ女性となったのです。

 今日のメダルは僅かに3個にしか過ぎないけれど、実質、8個分に相当することになるのです。


 日水連幹部は、優奈を無理に勧誘することはできないのは経験で十分に知っている。

 従って、彼らは、何としてもオリンピックを含めた国際競技の日程を優奈に合わせるべく努力をしなければならなかった。


 優奈が出場すれば観客を呼べる。

 そのことはスポンサーが喜ぶことでもあるのです。


 優奈が表彰台に上がるたびに観客席ではウェーブが起きていたが、第一日目は会場がざわめく中でも無事に終了した。

 優奈が泳いでいる時以外は、待機しながら競技を見たりできる場があるのだけれど、そこにオーレサンテ・クラブ代表の村越女史が控えてくれていた。


 そのため、村越さんに手荷物を預けることができるほか、上に羽織るグレイのタオル地のフード付きバスローブを着て待機するのが優奈のスタイルになった。

 待機している僅かな時間でも、優奈の周りに人が来てサインを求めるようになったのは自然の成り行きであろう。

 第一日目の日程が終了し、ネットは勿論、マスコミが大騒ぎである。


 実質的に8つの世界新記録を達成しているのである。

 『第二日目以降も絶対に注目です。』

とは各報道局のスポーツキャスターの決まり文句だった。


 第一日目から優奈の周囲にはとにかくTVカメラマンが増えた。

 スタート台付近は勿論だが、待機しているところにも常時カメラが向けられている。


 プールサイドに入る許可を取った優先局らしいのだが、ある意味でしつこい。

 トイレにまでついて来ようとしたので、厳しく注意するとさすがに少し離れるようになった。


 第二日目、400m個人メドレーと200m背泳の予選及び決勝がある。

 9時半に400m個人メドレー予選があり、12時16分から200m背泳予選がある。


 その後夕方5時頃から始まる決勝までは優奈に出番はありません。

 今日は最寄りの公園で読書をすることにしているのですが、これも難しいかもしれません。


 400m個人メドレー予選も手を抜いて4分5秒29、同じく200m背泳ぎ予選も手を抜いて1分59秒22でいずれも女子の世界新記録であったが、観客は十分に知っていた。

 優奈が予選では手を抜いていると。


 拍手喝采は大きかったけれど、咆哮するほどの歓声は上がらなかった。

 優奈も村越女史も今日はお弁当であり、待機場所で食べて、優奈は着替えてから最寄りの公園に向かった。


 多少は日陰になる場所でベンチに座ってサングラスをかけながらの読書であるのだが、地味色のジーンズスラックスにブラウスそれに薄い生地の白っぽいポンチョをまとって、麦わら帽子を被った出で立ちは左程目立たないはずだったが、やはり、気の付く人はいるようだ。

 1時間もしないうちにサインを求められた。


 その後は雪崩のごとく人が集まり、臨時のサイン会である。

 2時間ほどサービスをして、水泳場に戻ったユーナであるけれど予定していた読書は左程できなかったのです。


 やっぱり喫茶店辺りに入ったほうがよさそうだ。

 明日は、有明にあるロハスカフェに行こうと思っている優奈である。


 17時10分頃から女子400m個人メドレー決勝があり、優奈は3分21秒90の世界新記録を作った。

 ついでその15分後に行われた200m背泳ぎでも1分39秒45の世界新記録を樹立した。


 この記録はいずれも男子の世界記録を上回るものであった。

 またしても水泳場を揺るがすような咆哮の歓声とウェーブが起きた。


 第三日目、日水連幹部もそろそろ新記録のラッシュにマヒしてきていた。

 優奈が出場する種目は全てが世界記録なのである。


 しかも200m競技にも関わらず、50m、100mの記録さえ上回るラップタイムであり、公式には認められないものの参考記録として残されるタイムである。

 最終日の200m平泳ぎと200m個人メドレーも間違いなく世界新記録を打ち立てるに違いないと信じるに至った。


 審判団はそれだけに緊張感を持って計時を行っていた。

 万が一にでもタイムを疑われないようにである。


 そうして9時半から女子200mメドレーの予選、11時20分頃から女子200m平泳ぎの予選が始まり、200m個人メドレー予選では1分56秒19で女子世界記録、200m平泳ぎ予選では2分7秒92の女子世界記録を更新した。

 当然に優奈は決勝ではもっと早くなると観客も審判団も知っていた。



 その日は、昼食を兼ねて有明のロハスカフェにタクシーで向かう。

 ここで3時ころまでは粘ることになる。


 此処は武蔵野大学の学食でありながら一般にも開放されているカフェであるらしく、武蔵野大学有明キャンパスの一角にある。

 優奈のジーンズ姿に運動靴がキャンパスでは何の違和感もない。


 帽子の麦藁帽もちょっとおしゃれな感じ。

 髪はストレート、サングラスは外せないが、今日はポンチョを脱いでいる。


 何の疑いもなく学食に入れたのは僥倖であった。

 軽食を頼んで、それからコーヒーで粘るつもりである。


 だがここでも1時間をやや過ぎた辺りで、変装が見破られた。

 隅の方の席で優奈は後ろむきに座っていたのだが、わざわざ顔を確認しに来た男がいる。

 男はにんまりと笑って言った。


「もしかして、ミラクル・ユーナ?」


 さほど大きくはない声であったのにその言葉に反応したのは一人や二人ではない

 優奈からすれば店の中に居たほとんど全員が優奈を見つめていた。


 何も言わずともわっと集まってきて、サインを強請ねだられた。

 こうなればどうしようもない。


 止むを得ず、片っ端からサインをするのだが、追い付かない。

 学食にミラクル・ユーナが居るという情報がスマホであっという間に学生たちに伝わったのだ。


 キャンパスに居る連中がわんさかと集まって来た。

 店の中では流石に迷惑が掛かるので、外に移動、戸外に置いてあるテーブルに移動してそこで臨時のサイン会を始めることにした。


 但し、学生の一人に大学事務部の了解を取りに行ってもらってのことである。

 優奈が許可をもらいに行こうとすると、自分が行くと名乗り出た学生である。


 結局午後1時ごろから2時間近くサイン会と演奏会で潰れてしまった。

 件の学生は、サイン会と優奈の演奏会の許可までちゃっかりと取り付けて来たのである。


 その上で、数人がかりでエレクトーンやアンプ、スピーカーまで準備してお願いしますと言われてしまっては断れなかった。

 但し、優奈の方で演奏は二曲までに限定した。

 キャンパスでサインをし、二曲歌って、優奈はタクシーで水泳場に戻って行った。



 15時55分から予定の女子200m個人メドレー決勝、17時19分からの女子200m平泳ぎ決勝でも優奈は快挙を成し遂げた。

 200m個人メドレーでは1分39秒26、200m平泳ぎでは1分48秒17の男子に勝る世界新記録を打ち立てたのである。


 連日スポーツ紙には、優奈がトップで掲載され、夜の報道ではスポーツキャスターが趣向を凝らして優奈の特集をぶち上げていた。

 優奈の記録は、ある意味ではマラソンで2時間を切ったのと同じインパクトがあったようで前人未到の記録とさえ表現されているのである。


 スポーツ医学に詳しい整形外科医の一人は人間の限界を超えているかもしれないとさえ言うほどであった。

 今までの大会からみると狂乱とさえ思えるほどのジャパンオープンが終わり、日水連の新たな動きが始まった。

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