第210話 22-3 水泳ジャパンオープン(1)

 9月9日は、東京辰巳国際水泳場でジャパンオープンの初日です。

 堂前理事の努力が実り、これまでジャパンオープンを開催していた5月に相応の選考会又は記録会は行うものの、ジャパンオープンの日程を9月中旬に移動することにより、優奈を担ぎ出すことに成功したのです。


 従って、他の選手はともかく優奈が出なければ意味のない大会でもあったのです。

 堂前理事は、できるだけ多くの競技に出場させたがっていたが、優奈は自由形、背泳ぎ、バタフライ、平泳ぎ及び個人メドレーの各200m、400m個人メドレー並びに自由形800mのみの出場を希望した。


 堂前理事も優奈にお願いする側なので強くは出られない。

 ましてや全種目出場は、体力的にも無理があると通常ならば考えねばならない。


 結局優奈の出場は、7種目になったのだけれど、これでも異常なエントリーであることは確かである。

 優奈の最初の種目は、9時半から200mバタフライ予選だった。


 これが公式競技では初参加となる訳なのだけれど、注目度がもの凄く高い。

 日水連のサイトに、加山優奈の名前が載ったエントリー名簿が出された当日に、5000枚の入場チケット三日分がすべて売り切れた。


 これまでのジャパンオープンでもそこそこの観客は入場したが、それでも最大で2000名を超える事はほとんど無かったのだ。

 それが名簿掲載だけで完売である。


 ほとんどの日水連幹部もなぜそのような現象が起きたかを碌に説明できなかったが、堂前理事が断言した。


「ミラクル・ユーナが出場するとなれば、例え地区予選でも競技場はいっぱいになります。

 そのことはこれまでの陸上競技大会などで立証されています。

 彼女の高校時代、神戸のユニバー陸上競技場では地区予選ですら観衆で埋まったそうですが、優奈が居なくなった今は元に戻ったそうですし、逆に駒沢の陸上競技場その他の施設は、彼女が出場するとなるとほぼ満杯の人出があると聞いています。

 彼女が出れば、この水泳場でもオリンピック開催時の特設会場にすれば1万5千の観客を集められるのは間違いありません。」


 当日、会場に入ったマスコミ関係者もこれまでの倍以上になったのには、日水連幹部も驚いた。

 特にABC、BBC、KBS、CCCS、CNNなどの有力な海外放送局がカメラマンを送り込んで注目しているのも初めてのことだった。


 優奈の東京体育館でのテスト・スゥイムは、当然のようにネットで公表されている。

 手伝ってくれた*大水泳部ではなく、たまたま体育館を訪れていたアマチュア・カメラマンが撮影したVTRを投稿したのでした。

 当該VTRには、秒単位まで表示される時間が写り込んでいたので、期せずして、ネットで世界記録連発が暴露されてしまったのです。


 優奈は、今回の水泳競技に参加するにあたり、水着を新たに購入していました。

 水着のサイズが多少合わなくても、前回同様、サイズ調整は自分でやってしまうのです。


 勿論FINAマークのついている水着ですが、改造しているので本来は再度の検査を受ける必要がある可能性もあるけれど、そこは敢えて省いています。

 要は素材の面で種々の規制が課せられているのだけれど優奈の改造は寸法的なものでサイズが変化しているだけの代物であり、繊維表面の摩擦抵抗は極限まで減らされているものの従来の確認方法では証明できない部分であるので問題がないはずなのです。


 また必要とあれば、随時その改造程度を優奈の能力で変更できる。

 それやこれやで、もともと色違いが三種類あったものを改造しており、今回は日替わりで着用するようにしているのです。

 初日は、全体に薄い緑の生地に白色、黄色、ピンク色、青色のラインが入ったスパッツタイプの水着で、勿論、日水連の型式承認で公式に使用が容認されているものなのです。


 9時30分過ぎ、第一組の出場選手が入場し、スタート台付近に集まるとすぐに電光掲示板に所属と名前が表示されるものの一人一人の紹介はありません。

 これが決勝になると一人一人アナウンスされて、その都度挨拶をするのは陸上競技と一緒です。


 因みに200mバタフライのエントリー数は61名、当日欠場の者もいるかもしれないけれど7組の予選で開始され、タイムで上位8名が決勝に進出できるのです。

 優奈は最後の第7組(8名)に出場し、コースは6コースでした。


 そうして第6組のスタート直後にプールサイドの決められたエリアに待機するため、第7組がスタート台に向かって、縦一列でプールサイドを歩き始めた途端、これまでの喧騒が静まり、拍手に変わった。

 時折「優奈ちゃん」とか「ユーナ」とかの呼び声がかかる。

 まるで前世のステージの雰囲気である。


 そうして一旦第7組の選手達はスタート台付近のプールサイドエリアで待機となった。

 第6組目が競技を終えるまでは、その場に控えているのです。


 第6組目の選手が泳ぎ終えてプールから上がると、第7組がスタート付近に移動するのです。

 全員が揃うと「位置について」でスタート台に上がり、「用意」でスタートの構えです。


 スタートは号砲ではなく、ホイッスル。

 優奈もそのホイッスルの音でプールに飛び込みました。


 タイム制で上位8位までなのだけれど、女子200mバタフライの日本記録は2分4秒69である。

 従って優奈は50mを概ね30秒のタイムで流すことにしました。


 予選で全力を出す必要はないからです。

 タイムは1分59秒63で予定通りなのですが、これでも日本記録を達成しちゃっているのです。


 観客は若干不満そうながらも拍手はしてくれました。

 61名中第二位の選手とは8秒近くも差がついていたからなのです。


 不満なのは、世界新記録を期待していたのにそれが見られなかったからに違いありません。

 次の種目は予定では10時8分から200m自由形予選ですけれど、競技の進行自体が少々遅れ気味です。


 この競技の日本記録は公式には1分56秒33ですが、非公式には近代五種で達成した1分42秒08の記録があるのです。

 今回の予選は、50mを概ね26秒程度で泳げば十分の筈ですよね。


 優奈は実際に1分44秒32で泳ぎ、世界新記録を達成しました。

 この時は観客スタンドがそれなりにざわめきましたが、近代五種の記録よりも遅い記録では十分ではなかったようです。


 次は11時15分から800m自由形ですが、これは予選無しの一発勝負なのです。

 韓国から帰国して2回ほどプールで泳いだので、800mのペースは概ねわかっているつもりです。


 左程無理をせずに記録が出るはずと優奈は考えています。

 そうして始まった800m自由形、優奈は50mを25秒台、100mを50秒台で泳ぎ出したのです。


 200mのラップタイムは先ほどの記録を上回る1分41秒11を出して観客を驚かせました。

 その後も概ね100mを51秒台のペースで泳ぎ切り、400mのラップでは3分24秒87で400m自由形の世界記録を上回り、800mで6分51秒73というとんでもない記録を打ち立てたのです。


 これは男子800mの世界記録を40秒程も上回る大記録でした。

 この時は流石に満員の観客席が大いに沸きました。


 そうして予選では優奈が明らかに手を抜いていたと誰しもが気づき、決勝に期待をかけたのです。

 因みに、同じ組で泳ぐ第二位以下の選手達は完全に150m以上の差を付けられており、優奈がゴールしてかなり経ってからようやくゴールできたのでした。


 800mを終えた後は、夕方まで暇になるけれど、実はこの水泳場は待機場所以外に余り居場所がないんです。

 一応レストランはあるけれど、狭いし、100名もの人数が一度に入れる余裕はありません。


 今日は観客が5千、選手及び競技役員で千名以上がきているのですから、小ぶりなレストランに休憩場所などほとんど無いに等しいのです。

 天気が悪ければ外にも出にくいけれど、幸いなことに此処三日は天気がよさそうです。


 ファンが多数来ているので余り近くでは騒ぎになると思い、村越さんと計らって、今日は豊洲にある「ららぽーと」に行き、そこのカフェ等で時間を潰すことにしています。

 優奈はレンタカーを隣の夢の島公園駐車場に預けているんです。


 当日は混むことを予想してのことであり、この駐車場から徒歩10分(約1キロ)ほどで東京辰巳国際水泳場なのです。

 帰宅時は、場合によってはタクシーで駐車場まで移動するつもりでいるのです。


 優奈と村越女史は「ららぽーと豊洲」で昼食を食べ、店を変えて喫茶店で時間を潰しました。

 競技開始時間の一時間前までには戻っていなければならないけれど、正午時から概ね4時間の余裕があったのです。


 水泳場から「ららぽーと豊洲」まではおよそ三キロ、タクシーで10分の距離なのです。

 優奈はいつものようにバッグの中には洋書を入れて持ち歩いています。


 軽食を食べ、次いでカフェでコーヒーを二杯もお替りしながらひたすら洋書を読んでいる優奈です。

 その様子は、たった今水泳で世界記録を連発した選手とはとても思えません。


 顔が売れてしまっているから誰でも知っているけれど、知らなければただの美人の女子大生であろう。

 そんな優奈を見つめながら微笑んでいる村越さやかでした。

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