第201話 21-6 ラコルプログ菌

 残った三人の女子は顔を見合わせました。


「対策の検討って言っても、原因が何か特定しないと対策も立てられないわ。」


 ターニャが首を振りながら言う。


「いいえ、できることはある。

 ターニャ、貴女はマダガスカルのアンタナナリボ大学医学部の研究レポートを探して頂戴。

 表題は確か・・・、そう、『緑黄菌の増殖に関する考察』だったはず。

 エミリー、貴方は、ワオキツネザルについてのドイツのハノーバー大学の論文を探してくれる。

 確か全部で六つぐらいしかないから全部ダウンロードしておいてね。

 ドイツ語と英語両方でお願い。

 私は、フランスの文献をあたる。

 確かパリ大学で似たような菌の症状について記載した論文があったと思うの。

 ただ、表題も思い出せない。」


「ワオ、凄いね。ユーナって、そんなのまで読んでるんだ。」


「暇のある時にね。

 それより急ぎましょう。

 仮に人や家畜に伝染する病気だとパンデミックになる恐れもある。」


 リンジーが電話をかけ終わった時、いくつかの論文がパソコンの画面に映されていた。


「これは何?」


 リンジーが尋ね、エイミーが返事をした。


「ユーナの指示で探したドイツのハノーバー大学の論文です。

 ワオキツネザルについての論文です。

 6つあるんですけれどそのうちの一つに、ワオキツネザルの病気について細胞が徐々に自壊する病気が記載されています。

 あと、同じくユーナの指示でマダガスカルのアンタナナリボ大学医学部の研究レポートをターニャがみつけて今読んでいるところです。

 ユーナは他にパリ大学の論文を当たっているところのようです。」


「そう、何か関連するものがあればいいけれどね。

 保健省では今の情報だけでは動けないと言っている。」


 アランが報告する。


「市役所の保険課に一応連絡しました。

 保険課では調査員を念のためクラハン農場に派遣する手続きを始めるそうです。」


 マイクも報告した。


「クラハン農場で作業員に異変はありません。

 但し、牛の一頭が昨日あたりから病気になっているそうです。

 一応念のため、隔離するよう助言しておきました。

 作業員もできるだけ病気の牛に触れないよう注意を与えました。

 出荷は当分自主的に停止するそうですが、あまり長くは困るそうです。」


 パソコンの画面に向かっていた優奈が振り返って言った。


「リンジー先生、今の段階では推測でしかありませんが、可能性のある菌を見つけたのじゃないかと思っています。

 そちらでエイミーに探していてもらったハノーバー大学の論文にあったワオキツネザルの病気ですが2年前の段階では原因不明とされていました。

 そうしてマダガスカルのアンタナナリボ大学医学部の1年半前の研究論文は、動物のかまれ傷のある子供の死体についての解剖及び所見ですが、人間にも似たような症状で死亡するケースがあることを示しています。

 同じく原因は特定されてはいません。

 私の探していたのはパリの細菌学研究室のチームが半年前にマダガスカルに入り込み、グラム陰性桿菌に分類される新しい菌を発見し、研究した論文です。

 緑膿菌と同様に、生体内にあって通常は何もしない菌ですが一定のストレス下に晒されるとやや蛍光性のある色素を排出し、それが限界に達すると菌自体が変異して悪質な腐敗菌に変わります。

 ある種の酵素を排出し、それを元に増殖するんですが、その酵素が生体細胞に接触すると腐敗が進み、菌がその腐敗細胞を食って増殖するために通常の腐敗に比べおよそ100倍の速度で腐敗が進行します。

 この菌は一旦変質すると、生体内でも変質したまま増殖します。

 従って、生体は生きながら腐敗が進行します。

 フランスのチームはこの菌をフランス語のLa corruption progressive からLacorprog(ラコルプログ)菌と名称を付けています。

 ラコルプログ菌による感染ですが、体液による接触感染のみです。

 変質する前の菌が地表に落ちた場合、周囲に動物性の生体細胞が無ければ数秒後には死滅します。

 基本的に動物性細胞でしか生存できない菌なのですが、変質した場合は環境によっても異なりますが湿った環境では24時間ほど、砂漠のような乾燥地域では2時間ほどで死滅するとされています。

 従って、カンガルーが死体で発見された周辺での地表からの感染は時間経過から見て既にないと思われます。

 データ上、大学に持ち込まれたのが凡そ30時間前です。

 仮に腐敗した死体に健康な皮膚が触れても水で洗浄すれば大丈夫です。

 但し、怪我をした手などで触れると感染する恐れがあります。

 動物が変質した菌の付着した植物などを食べた場合、口腔内に怪我などがあれば感染の危険があります。

 で、見分け方ですがプレパラートに置いた腐敗細胞片に光を当てた後で暗室で見ると僅かに緑黄色の蛍光色を呈します。

 更に染色を行って顕微鏡で見ると、桿菌が動き回るのが見えるそうです。

 腐敗が進行して動物性細胞が全て破壊されると居場所を失ってやがて死滅しますが、最大24時間ほどは生きています。

 冷凍すると菌の活動も酵素の排出も停止しますので腐敗の進行速度が極めて遅くなるか停止します。

 菌がぶどう糖や乳糖を分解することは有りませんし、染色で観られる形状は棒状でGNRと判定されています。

 除染は現在のところ煮沸するか次亜塩素酸ぐらいしかわかっていません。

 仮に、人間がり患りかんした場合の特効薬は今のところありません。」


「なるほど・・・。

 後で暗室を作って検体を確認してみましょう。

 でも、マダガスカルでしか発見されていない菌がどうしてオーストラリアに来たのかしら?」


「それはわかりません。

 マダガスカルの動物がインド洋を渡って来たとは思えません。

 南北に移動する渡り鳥はいますが、6800キロも東西に移動する渡り鳥はいないと思います。

 一番可能性があるのは人間ですね。

 従って、誰かがマダガスカルの動物を西オーストラリアに持ち込んだ可能性が高いです。

 その動物が逃げたか投棄されて、荒野でカンガルーに噛みついたか、もしくはディンゴあたりに襲われて体液が飛び散って、周囲の植物に付着したものを口腔内に傷があるカンガルーが食べたというところでしょうか。

 一方でカンガルーに噛み傷があったのなら噛みついたディンゴがその宿主になった可能性もあります。」


「アラン、カンガルーがウチに来た時の写真はある?」


「多分あります。受け取ったときの状態を確認するための写真を撮り、それから冷凍室に入れるのが手順となっていますから。」


 アランは、パソコン内でデータを探した。

 まもなく画面にいくつかの写真が表示された。


「噛み傷がありますねぇ。

 噛み痕と大きさから言って、まずディンゴと思います。

 大トカゲやワニではありません。」


「そうするとディンゴが宿主でまだ生きている可能性があるということ?」


「先ほど言った菌の変質するストレスですが、生体細胞の壊死がその一つです。

 仮に変質した菌を持つ死体を漁ったディンゴならば生きてはいません。

 生きながら腐敗して死んでいるでしょう。

 生きたまま食った場合、胃酸で通常は菌も消化されるような気がするのですが、或いは、生き残って体内に吸収され宿主を変える可能性もあります。」


「あちゃー、確認のしようがないところまで来ちゃったねぇ。

 仕方がない。

 みんなで研究室の暗幕を閉めてくれる。

 それに、LEDのポータブル懐中電灯どこにあったっけか。」


「あ、そこの引き出しの二番目です。

 停電の際の非常用道具が置いてあります。」


 暗幕で外光を塞ぎ、室内灯を消しただけで、グローブボックスの検体三つが淡く緑黄色の蛍光を発したのが見えた。


「あぁ、なるほど、見分け方は簡単だ。

 これだとブラックライトでも反応するかもね。

 照明を点けてくれる。」


 照明がつくと棚の上にあったブラックライトでグローブボックスに当てると検体が僅かに発光するのが分かった。

 比較的明るい場所でもブラックライトで菌のあり場所がわかるのはありがたい。


 まぁ夜中に蛍光する死体もちょっと怖いものがあるのだが・・・。

 ついで、用心しつつ検体を顕微鏡で確認し、棒状の桿菌がうごめいているのを確認して、作業を終えた。


 再度、教授を含めた三人はそれぞれの連絡先へ連絡を入れたのだ。

 取り敢えずのレポートのとりまとめはリンジー教授からご指名があり、優奈が担当することになった。


 今後ともこのラコルプログ菌の検証は進めて行かなければならないが、早めに論文を出して警鐘を鳴らさねばならないからである。

 仮にディンゴが生きていて、なおかつ雌の場合は、保菌体のまま子孫を増やす可能性もあるからであり、ディンゴは絶滅危惧種として保護されているから、増殖の可能性もあり、更には犬の亜種であるため人にも慣れやすく、なおさらに危険なのである。


 何れにしろ、保菌体に噛まれて唾液等により接触感染したカンガルーは最終的に死亡することにより、菌が変質を始め腐敗が始まったものと考えるべきである。

 この時ディンゴが瀕死であったかどうかは問題にならない。


 ディンゴに噛まれることにより菌が体内に入り込むことが恐ろしいのである。

 ある意味では毒蛇に噛まれるようなもので、その場で死なずとも何れ毒が回って死ぬようなものである。

 残念ながら毒蛇に対する血清のようなものは、現在のところラコルプログ菌については何もなく、噛まれれば死を待つだけになるだろう。

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