第二十一章 豪州での短期研修
第196話 21-1 ソーンダイク家の人々
7月に入って夏季休暇中の懸案が一気に動き始めました。
先ずは豪州への短期留学の目途がついたことでした。
以前から仮に行くならばということで、8月初めから2週間の予定を立てて、崎島教授主導で受け入れ先の打診をしていたところ、ようやく了解が取れて、ビザ発給手続きにまでこぎつけたのです。
行く先は、豪州の西オーストラリア、パースにあるマードック大学の獣医学部なのです。
ここでは主として畜産動物の免疫組織化学について、担当のリンジー・フェルトン教授のゼミに加わり、免疫染色の実技を見学し、あるいは聴講することになります。
優奈の豪州滞在中の下宿先は、そのリンジー教授の配慮で、ジェシカ・ソーンダイク夫人の家に決まりました。
ジェシカ・ソーンダイク夫人は、リンジー教授の古くからの友人であり、3年前に病で早逝した夫君が残した邸で長男夫婦と住んでいるらしいのです。
ソーンダイク夫人は、当年とって58歳、子沢山で4人の子宝に恵まれたけれど、そのうち三人までが結婚によって家を出ており、孫が5人もいる。
但し、生憎と一緒に住んでいる長男夫婦には子供がいないそうであり、二階建ての大きな屋敷に部屋が余っていることから、予てから、良さそうな留学生が居たならホームステイ先として預かると、リンジー教授に言っていたのです。
リンジー教授は、優奈の日本*医生命科学大学での成績及び評価を確認したうえで、ソーンダイク夫人に初めてのホームステイ先の仕事を頼んだのでした。
長男夫婦も優奈の受け入れに了承を与えていました。
マードック大学での留学生受け入れは短期でも数か月に及ぶ者が多く、優奈のような2週間程度のお試し留学はかつてないことであり、マードック大学でも扱いに困ったようですけれど、崎島教授と親しい獣医学部長のレイバン・マクブライド教授の鶴の一声で決まったようです。
但し、ドイツのハノーバー獣医大学の場合と異なり、初日に白豪主義の雰囲気を漂わせる三人の教授による口頭試問があり、その結果如何ではマードック大学の施設見学を行わせるだけにしてお茶を濁すことになっているそうです。
リンジー教授からの極秘情報であり、それを聞いた崎島教授曰く、豪州のえせ紳士どもの度肝をぶち抜いてやれという言葉で送り出された優奈でした。
羽田空港若しくは成田空港からオーストラリア東岸への直行便はありますが、パースへの直行便はないので、どうしても香港、シンガポール、若しくはオーストラリア国内での乗り継ぎが必要になります。
そのため出発から到着まで最短で12時間、最長は16時間、乗り継ぎ回数の多い24時間というのもありますが、これはチョット例外ですね。
優奈が選んだのは、7月31日の羽田2250発シンガポール行きのVirgin Australia International航空のフライト便であり、シンガポールで乗り換え、フライトナンバーの異なる同じVA機でパース空港へ向かうもので、パース到着は翌日の1255になります。
夜中に着く便や早朝に付く便よりよほどいいし、乗り換え便も同じ航空会社であることは、預けた荷物のセキュリティがより高まる筈です。
乗り換え便の場合、航空会社が異なると手違いで空港に置き忘れられたり、別の便に載せられたりと色々な不都合が生じる恐れがあるのです。
基本的には荷物もいずれ戻って来るのですが、それまでに1週間ほども必要なものが手元にないという事態が起こり得るのは困りますよね。
そんなこんなで優奈はVirgin Australia International航空の航空機でパースに到着、8月1日午後3時頃にはパース空港からタクシーでマードック方面に向かっていました。
パースでは、結構公共交通機関が発達しているので電車やバスが便利なのですが、生憎と日本でネットから探した時には空港からマードック方面のバスがよくわからなかったのです。
クローバーデール地区のショッピングセンターでバスを乗り換えると下宿先のソーンダイク邸の近くまで行くらしいのですが、待ち合わせの時間を入れると凡そ1時間半もかかる上に、バス停から500mほども歩かねばならない様なのです。
それならばむしろパース中心街のエリザベス・キーまでバス、そこで電車に乗り換えてマードック駅へ、更に路線バスを使って近くまで行く方が1時間10分程度と早いのです。
何れにしろ、大きなトランクを抱えての移動は結構大変です。
なので、お金持ちの優奈は、安易にタクシーという方法を選んだわけです。
バスと電車を使って15豪州ドルほど、タクシーでは70豪州ドルほどで、タクシーがそう高いわけではありません。
空港からソーンダイク邸までは直線距離で20キロ、道なりで25キロほどの距離にあります。
スマホに記憶させたxxx Gilbertson Rd, Kardinya WA 6163, Australiaの住所表示を運転手に見せると間違いなく辿り着けました。
空港からここまで35分でやって来たのですから、かなり早い方だろうと思うのです。
パース空港で購入したセルフォンで、ジェシカ夫人には事前にこれからタクシーで空港を出ますと連絡しておいたので、ソーンダイク邸前にタクシーが到着するとすぐに玄関から、メガネをかけた赤毛の老婦人が出て来ました。
やせ形で、身長は優奈よりも少し低いくらい、気品のある知的な顔のご婦人でした。
タクシーから歩道にトランク二つを降ろし、支払いを済ませて、夫人の方へお辞儀をし、微笑みながら近づくと、敷地の門内に立った夫人が言いました。
「初めまして、ユーナ・カヤマね。
英語に不自由はないと聞いているけれどオーストラリアの英語はちょっと違うかもしれないわ。
大丈夫かしら?」
「初めまして、ユーナです。
ジェシカ・ソーンダイク夫人ですね。
英語の方は、多分大丈夫と思います。」
「うーん、写真で見た通りのキュートなお嬢さんね。
髪の色さえ違えばオーストラリア人でも通るような顔立ち。
とっても美人だし、スタイル抜群。
変な男どもに目を付けられないよう注意なさいな。
最近は麻薬があちらこちらにまん延していて、悪い奴も増えたのよ。
あら、また余計な話をしてしまって。
長旅で疲れたでしょう。
家に入って少し寛ぐといいわ。」
ジェシカ夫人は家の鍵を開けて中に入った。
どうやらオートロックになっているらしい。
「近頃は、家の中に居ても安心できなくなってしまってね。
ウチはオートロックにしているの。
だから家を出る時は必ず鍵を持って出てね。
さもないと家に入れなくなってしまうわよ。
鍵は後で部屋に案内した時に渡しますよ。
まずは、ウチの嫁に逢ってもらいましょう。」
そう言って中に誘い入れた目の前に比較的小柄な、金髪でブルーの瞳の若い女性が立っていた。
「ユーナ、私の息子の嫁でアリスよ。
アリス、日本からやって来たユーナ・カヤマですよ。」
それを継いで優奈が言った。
「初めまして、ユーナ・カヤマと言います。
お世話になると思いますがよろしくお願いします。
どうぞユーナと呼んでください。」
「初めまして、アリスよ。
アリスと呼んでくださいな。
それに・・・、本当にミラクル・ユーナなのね。
話を聞いた時、本当に驚いたわ。
まさかあのミラクル・ユーナが我が家にしばらく滞在することになるなんて全く思っていなかったもの。
メールで送られた写真を見せてもらって、まさかと思っていたけれど、本人だと今わかったわ。」
「ええ、時々ミラクル・ユーナと呼ばれることはございますね。」
ジェシカ夫人が微笑みながら言った。
「さぁさぁ、立ったまま話をしないで二人ともソファにお座りなさい。
荷物はとりあえずそこにおいておけば宜しいでしょ。
少し寛いでからお部屋に案内します。
今お茶を入れますからね。」
そう言って、ジェシカ夫人はその場を離れた。
アリスと優奈はソファに腰を下ろした。
「ところでアリスさん。
嫌なことをお伺いすることになるかも知れませんが、お子様は?」
少ししょんぼりした顔でアリスが言った。
「ええ、結婚して七年になるけれど、妊娠しないの。
一応不妊治療を受け始めてはいるのだけれど、原因がわからなくて・・・。
夫のケヴィンも私も健康なのに妊娠しないのがわからないの。
子供は私もケヴィンも欲しいのだけれど。」
その時、茶道具一式をキッチンワゴンに載せてジェシカ夫人が戻って来た。
「子供は神様の思し召し次第だよ。
気に病んでも仕方がないじゃないか。」
それを遮るように優奈が言った。
「いいえ、子供ができないのは多分アリスさんの
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