第191話 20-6 講道館鏡開き(2)
形(型)だけなのであるが、概ねその目的は優奈にも推測できた。
それらすべての披露が終わると、隣の館長が優奈に言った。
中央に警察庁次長、その左隣に館長その隣に私が居たのだった。
「加山さん、急な話で申し訳ないのだが、折角道着でいらっしゃるのであれば、是非とも柔道につながるような形を見せてはいただけませんかな。
特に隅落としに似た型を見せて頂けるとありがたい。」
やっぱりそれかいと優奈はため息をつきながらも言った。
「恐れ入りますがその前にご挨拶と準備運動を含めて、概ね5分間で第4の型をお見せし、その後でどなたか大柄な方が相手をしていただければありがたいのですが、いかかでしょうか?」
「はい、ではお願い申しましょう。」
上村は直ぐに立ち上がりマイクに向かった。
「本来形の演技はこれまでなのですが、本日は特に鬼一楊心流宗家の加山優奈さんが第4の型を披露し、次いで講道館柔道の門下生一人を相手に隅落としによく似た投げの形を見せてくださります。
門下生は特に心して拝見するように。
それでは、加山さん、お願い申します。」
優奈はそのまま、道場中央にしつらえた試合場の辺縁をなぞるように奥へと進み、角を回って中央に達するとそこで正座して拝礼した。
正座したまま優奈は続ける。
「鬼一楊心流の加山優奈と申します。
この流派は平安末期に端を発し、戦国時代に様々な武術をはぐくんだ殺人術にございます。
従って講道館の教えである自他共栄とは相反する武術が源流であることを承知してください。
鬼一楊心流の技の中で柔道の技によく似た組手がいくつかございます。
本日はその中でも浮き落としという隅落としによく似た技を披露しますが、その前に準備運動として鬼一楊心流の第四の型をお見せいたします。」
優奈はその場で拝礼し、立ち上がった。
それから前にすすっと出るや否や、体操競技のようにその場で手もつかずに空中で全身を立てたまま前転し、着地するや更に跳ね上がって前転で三回転ほどもして見事に着地、そのまま前転しながら方向を変えて角に向かった。
角でいったん止まるとそこからバック転を開始、まるで体操の床運動か忍者の動きを見ているような気になる。
但し、その速さがとても速いのが凄い。
角から角まで走らずにバック転だけで2秒とかからずに移動し、しかも最後には二階の階段席にまで達するかと思うほどの高さに跳びあがっているのである。
無論最高点がそこに達しているというだけでそこまで跳びあがっているわけではないが、床に座ってみているものの目からすれば凄い高さに跳びあがっていると見える。
そうして着地するやいなや、凄い速さで拳と足刀を繰り出している。
道着と袴が凄まじい速さで繰り出される拳と足刀によって有り得ないようなシュッ、シュッという無数の摩擦音を繰り出していた。
そのままの体勢を維持しつつ舞台中央までゆっくりと進み、再度高く飛び上がって空中でバランスを取りながら、前方宙返りを一回転行いつつ、拳と足刀を空中で各5回ずつ繰り出していたのである。
そうして片膝ついた状態で着地、その場で正座して正面に拝礼した。
優奈はゆっくりと顔を上げると立ち上がり、右サイドの開始線に移動した。
「恐れ入ります。
受けの方をお願い申します。」
優奈が言うと奥の方に控えていた後藤清三が立ち上がった。
後藤清三は本日来ている中では一番の巨漢であり黒帯4段の猛者である。
身長188センチ、体重は100キロを優に超えている。
「失礼ですがお名前を教えて頂けましょうか。」
「後藤清三と言います。」
「後藤さん、では演技を始めるにあたり、注意点を申し上げます。
投げられたなら死ぬ気で受け身をしてください。
さもないと怪我をするかもしれません。
もうひとつ、私が始めますと言ってから3秒で私が技をかけますが、その前に貴方が攻撃を仕掛けても構いません。
むしろ私を倒すつもりで動いていただいた方が柔道の隅落としに近いと存じます。
その場合は3秒より前に技が掛かります。
一応の心づもりをしておいてください。
また、わざと投げられる真似は一切不要です。」
優奈の凛とした声は道場の隅々まで聞こえる。
後藤は頷いたが、一方で少々苛立っていた。
つまりは3秒以内で自分を倒すと公言しているようなものだからだ。
優奈は相手が理解したのを察して、正面を向き、正座して拝礼し、後藤にも向かって拝礼した。
柔道ではそのような礼はない。
試合場に入る前に一礼、開始線で相手に向かって一礼、精々それだけであるから、優奈の儀礼に戸惑っているが、それでも立ったまま、武骨な一礼をした。
優奈は立ち上がり、そのまま無造作に始めますといった。
一瞬、気をそがれた感じであるが、すぐに後藤は前に進み出て優奈につかみかかろうとした。
途端に後藤の身体が前方に一回転したのだった。
後藤は未だ優奈の身体に触れてはいないし、優奈も後藤に触れたようには感じなかった。
にもかかわらず、後藤はすさまじい勢いで床に叩きつけられていた。
叩きつけられる瞬間優奈の言葉を思い出し、必死の思いで右手を床に叩きつけるようにしたが、それでも受け身は十分ではなかった。
背中から叩きつけられ一瞬で肺の中の空気が全部押し出された感じで、一瞬の間空気を求めて喘いだ。
何とか気を失わずに済んだが、仮に全く受け身が取れなかったら間違いなく気絶していただろう。
そうして後藤にはどうやって投げられたのかが全く分からなかった。
優奈が片膝をついて後藤を見下ろしていた。
「大丈夫ですか?」
滅多にみられない美人顔を目の当たりにして、後藤は真っ赤になりながらも起き上がりつつ言った。
「はい、大丈夫です。」
講道館での隅落としは無事に終了した。
何れにしろ、あれでは道着を掴みに入った時点で技をかけられてしまうから、下手に手出しができない。
柔道の試合では、襟若しくは袖の壮絶な取り合いで争うが、優奈の場合はそれが必要ないことになる。
取りに仕掛ければ必ずあの技を使われる。
受け身ができないほどの荒業である。
不用意に一本喰らったなら試合続行も不可能となるだろう。
余り芳しくはないが、優奈に対しては最初から寝転がって寝技に持ち込むしか方法が無いのかもしれない。
但し、未だ奥が見えない鬼一楊心流である。
寝技にすらなにがしかの必殺技がありそうだ。
特に殺人術というからには、絞め技が絶対にありそうだと上村は思った。
上村にも優奈のとっさの動きは目で追いきれなかった。
一瞬優奈が前かがみになったような気もしたが、後でVTRを見て確認する必要があると思った。
とにもかくにも、優奈は正面に対して拝礼をし、盛大な拍手で模範演技が終了した。
その後、汁粉が配られ優奈も美味しそうにいただいていた。
当日は朝食にバナナ一本、牛乳一杯だけだったからである。
こうして講道館の鏡開きは無事に終わったのである。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます