第127話 13-17 近代五種へのアプローチ(3)

 体育学校の敷地内には、厩舎と馬場があり、馬場には障害が常設されているようです。

 流石に馬場で練習している者は居なかったのですが、男性が二人ほど待っていました。


 一人は明らかに厩務員のようです。

 もう一人は迷彩服の上下に紐付き長靴を履き、戦闘略帽を被っている精悍な顔つきの男性です。


 優奈はその男「小城正則一等陸曹」を紹介されました。

 その上で厩舎に案内され、小城から一番いい馬はどれかわかるかと聞かれました。


 厩舎には5頭の馬がいました。

 栗毛・流星・鼻白が、一番よさそうに見えたのでこの馬だと思いますと告げたのです。

 厩務員が満足げに頷いていました。


「ふむ、よくわかったな。

 その通りだ。

 だが、実際にはどんな馬に当てられるかわからないのが近代五種だ。

 普通の馬術競技は自分の馬を使えるが、近代五種の騎乗馬はあくまで抽選になるからどんな馬が当たるかはわからない。

 基本的には能力のある馬なのだが、相性が悪いとどうにもならない場合もあるな。

 で、今日お前さんが騎乗できるのは、この馬だ。」


 小城はそう言って黒鹿毛の馬を指さした。

 その馬には鞍が置かれていた。


「乗る前にちょっと話しかけてもいいですか?」


「ああ、構わん。

 名前は、サレムだ。」


 優奈は、サレムと呼ばれた馬に近づいた。

 馬は本来臆病である。


 だが、本能的に自分にとって良い人、悪い人を知っている。

 サレムは、見知らぬ女が自分にとって良い人であることを瞬時に認識し、受け入れた。


 優奈のオーラに触れたサレムは、この女と意志を通わせることを理解し、喜んだ。

 これまで人間と話すことなどできなかったから、不満も礼も言うことができなかったが、この女はサレムの言うことをわかっていた。


 女は他所者であり、此処に所属しているわけではないので処遇に関してよくすることはできないが、持病を治してあげると言った。

 常日頃からの悩みの種であった脇腹の痛みと左前脚の関節痛を取り除いてくれたのだった。


 サレムはこの女ユーナに心服した。

 優奈は、サレムの鼻づらを撫でながら言った。


「良い子ですね。

 私を気に入ってくれたみたいです。」


 厩務員の坂下は少々驚いていた。

 本当にめぐりあわせではあるのだが、午前中の厩舎での抽選で当たったサレムは、一番人見知りのする馬で気難しがり屋なのである。


 初見では先ず乗せてもらえないのが普通である。

 騎手によっては暫く時間をおいてもまるで無視されることがあるぐらいである。


 従ってダメな場合に備えて、二頭目のクナイの鞍も準備してあるのだが、サレムの様子を見る限りは必要のないぐらい懐いているようである。


「そうか、・・・。

 まぁ、ひとまずは、馬場を軽く走って来るがいい。

 障害の跳び方は後で教えるが、まずは騎乗の姿勢を見てみる。」


 手渡されたヘルメットをかぶり、サレムに騎乗した。手綱を緩めるとサレムが自ら馬場に入っていった。

 優奈はサレムに言って、パッサージュ、ピルエット、ピアッフェ、斜め横足を試しにやってみるようにお願いした。


 するとサレムは軽快な足取りで優奈の指示通りに動き出した。

 いきなり踊り出したサレムを見て驚いたのは小城と坂上である。


 少なくともサレムがこんなダンスをすることができるなど全く知らなかった。


「ほう、あれが馬場馬術というやつですな。」


「左様、パッサージュからピルエットに移りましたな。

 見事です。」


「しかし、なかなか見事なものだが、・・・。

 一体どうやったらあんなことを教え込めるんだろうか。」


「さて、私も馬術部の顧問は長いのですが、生憎と障害の方ばかりで馬場馬術の方はさっぱりです。」


 河原崎と崎島は、優奈の乗馬を眺めながらそう語りあっていた。

 斜め横足を左右方向に一度ずつした後は、トロットを始めて、馬場を一周する。


 そうしているうちに唐突に馬が障害に向かって走って行った。

 騎手は格別止めようともしていない。


 小城が声を上げる暇も有らばこそ、サレムは見事に障害を越えて着地、すぐに向きを変えて別の障害に向かっている。

 この間、優奈は手綱を一切使っていない。


 つまりはサレムの意志で跳んでおり、優奈はそれに合わせているだけなのである。

 設置されていた障害は9か所だけだがそれを全て見事にクリアしていた。


 そうしてからサレムと優奈は戻って来た。


「全くとんでもない奴だ。

 誰が障害を飛び越えろと言った。

 怪我をしても責任は取れんぞ。」


「済みません。

 でも、サレムが跳びたがっていましたので任せました。

 私はただ乗っていただけです。」


「おまえ、これまでに障害競技をやったことがあるのか?」


「いいえ、ありません。

 そもそも、ハワイの牧場で一度、富士の麓にあるウチの大学のファームで一度、そうしてこれで三回目ですから障害を跳んだのはこれが初めてです。

 中々面白いですね。」


 傍で聞いていた河原崎と崎島が盛大に笑い出した。


「なるほど、確かに馬に乗ることは間違いなくできるようだ。

 これならば、馬術に関してはあまり心配いらんでしょう。」


 そのそばで田畑すらも頻りに頷いていた。

 優奈は馬を降りて厩務員の坂下に手綱を渡した。


「右後ろの蹄鉄が少し甘くなっているようです。

 もし暇があれば見てあげておいてください。」


 蹄鉄のことまで言う騎手はこれまで極めて少なかったが、少なくともそうしたことにまで気を付けている騎手はとても素晴らしい腕前の持ち主であった。

 優奈もきっとそんな騎手に違いないと坂下は思った。


 優奈達は別の建物へ案内された。

 どうやら体育館のようである。


 そうしてそこには迷彩服を着用した女性自衛官が待っていた。

 優奈はその島津由美に紹介され、由美は優奈に合う防具の見繕いをその場で田畑から頼まれた。


 更衣室の前の棚にはサイズの異なる防具が取り揃えられていた。

 その中から胴体を含む上半身の防具は揃ったが、ズボンに相当する防具がなかなか無かった。


 島津二等陸曹がお手上げのポーズをすると、田畑が言った。


「ひょっとして、あいつのがまだ残っていれば使えるかもしれん。」


 そう言って田畑はその場を離れ、10分後に古びた防具一式を持って現れた。

 島津由美が言った。


「あれ、ひょっとして、これ藤堂さんのですか?」


「ああ、あいつも規格外のサイズだったからな。

 あいつのサイズに合うやつなど居ないと思ってたが、・・・。

 これで合わなけりゃ今日は無理だな。」


 島津が更衣室でそれぞれのパーツを優奈の身体に装着してゆく。

 下着姿になってしまうから無論男性はオフリミットだ。

 島津がセットして言った。


「うん、少しウエストが大きすぎてダブダブだけれど、これで何とかなりそうね。

 でも驚いちゃうわね。

 藤堂さん、2m8㎝もあったのよ。

 その人のユニフォームのズボンがちょうどいいなんて信じられない話よね。

 優奈ちゃん、背は高いけど、小城さんより小さいじゃん。

 だからプロテクターは小さいのに、・・・。

 まぁ、それはともかく、ちょっと手足動かしてみて?

 関節辺りで動きにくいところはない?」


 優奈はいろいろ動かしてみたが関節の動きに支障はない様だ。

 尤もアクロバティックな動きをするとどうなるかはわからない。


 シューズも運動靴のようなものを貸してくれた。

 グローブを付けてフェイスを被ればすっかりフェンシングの格好である。


 更衣室から出て、ピスト(フェンシングの舞台・試合場)に連れて行かれた。

 既に小城が用意をして待っていた。


「ルールは簡単だ、相手より先にどこでもいいから突けば得点になる。

 但し25分の1秒の内での誤差は相打ちで両方に得点が加算される。

 採点はすべて電気で行っている。

 3分×3セットの9分間で、15点先取で勝ちになる。」


 田畑がそういうと優奈が納得して大きく頷いた。

 優奈はエペを手に取り、しなりを確認し、上下左右に振ってみる。


 そんな素振りでおおよその剣先の動きを見定めて行った。

 そうして最初に小城が鏡に向かって構えると優奈も同じように構えた。


 初心者はどうしても身体の軸に対してどちらかにずれて斜めになってしまう傾向があるのだが、優奈の構えは練達者のように決まっていた。

 そうしてシャドウの突きと引きの練習を行うが、これも小城の動きを寸分たがわず真似していた。


 田畑は驚いていた。

 間違いなく優奈は既に初心者の域を離れている。


 先ほどエペを取った段階では全くの素人だったはずだ。

 それが小城の真似をしているだけで一気に上達したと言える。


 10分も練習をさせただろうか。

 5分の休憩を挟んで小城と試合形式でやらせることにした。


 5分後、開始の掛け声とともに小城が鋭い突きを入れた時、小城の剣先は見事に脇へそらされていた。

 その上で引く暇もなく、優奈の剣先は胸のあたりにしっかりとつき立っていた。


 僅かに開始1秒後の事である。

 田畑のフランス語の号令により、Halt!(止め)が掛かり、一旦両者が引く。


 田畑がPrets?(準備は?)と尋ね、小城がOui(よし)というとお続いて優奈もOuiと言った。

 次いで田畑がAllez!(開始)を宣する。


 今度は小城も慎重になった。

 フェイントをかけながら相手の出方を見ようとしたのだが、一瞬で優奈の姿が消えていた。


 優奈は足を一杯に開きながら床に這うようにして、下から小城の腹部を突いていた。

 再度、引いてから勝負が繰り返された。


 小城は懸命に頑張ったが1ポイントも捕れずに2セット目終了間際に15点目を取られ敗退した。

 小城はどうすることもできなかった。


 積極的に攻めれば必ず弾かれ、その隙に差し込まれていたし、待ち構えていると思いもかけない速度で一気に迫って来てとどめを刺されるのである。

 構えてから優奈は一切のフェイントをかけないでいる。


 綺麗に構えているだけなのだが、そこから動に移る速度が異様に早いので、まるで目の前に瞬間移動してきたのではないかと錯覚するほどなのだが、遠目に見ると素早いすり足でほとんど身体を揺らさずに前へと動いているのである。

 小城もフェンシングでは名の売れた五種競技者であるが、それが成すすべもなく敗れたことは衝撃的であった。


 しかも、1ポイントも取れずに完敗である。

 そばで見ていた島津は明らかに青い顔をしていた。


 河原崎は次を促した。

 同じ体育館の並びに射撃場がある。


 但しあくまでレーザーピストルの射撃場であって、実弾が飛ぶ射撃場ではない。

 そこでは照準の仕方を教えられ、10m先の小さな黒丸を狙って撃つ。


 レーザーは一々レバーを引かないと次弾が発射できない構造になっている。

 標的はレーザー光が当たると色が変わるようになっている代物である。


 優奈は、その練習場で30発を連続して撃って、30発の黒丸に的中させた。

 この競技はコンバインドになっているので一応、グランドまで走らせ、400mを一周させて射撃場に戻り射撃をさせたが、全く無駄弾が無かった。


 島津も一緒にやらせてみたが、射撃もランニングも速度が違った。

 射撃ですら倍近い速度で5つの黒丸に当てて、走り出し、戻って来るのも島津の半分のタイムで戻って来るのだからどうにもならない。


 おおよそ800mの距離を三回走って、最初と途中で5発ずつ15個の黒丸を打ち終わった時間が7分を切っていた。

 驚異的な速度と言えるだろう。


 全日本に出ていたならぶっちぎりの優勝の筈である。

 馬術は今日の動きを見る限り、減点はほとんどないと思われるから1200点。


 水泳は先日のタイムが間違いなければ480点の加点で1480点。


 フェンシングは仮に11人出場の場合、総当たり戦となり7人に勝てば千点、優奈の場合残り3人にも勝てるだろうからおそらくパーフェクトで加算は200点を超えるだろう。

 本来は千点が標準であろうから当該標準と比べると900点近い差になる。


 4点で一秒の差になるから、標準記録を持つ者との差は225秒差になる。

 3分半ものスタート差があって、なおかつ7分でコンバインドを終了するならば、絶対に他の者が優奈に勝てる道理がない。


 近代五種競技会に話をして今から選手を入れ替える手もなくは無いが、開催時期が悪い。

 最終日の二日前に女子の近代五種があり、その日は女子の陸上競技が3種目もあって、当然に優奈が抜けられないのである。


 ましてや優奈は近代五種の選手として登録さえしていない状況であるから出場はまず無理である。

 但し、そんな中でも河原崎学校長は起死回生のウルトラC案を持っていた。


 全ては日本に金メダルをもたらすためである。

 優奈が学業に影響のある競技に出場しないことは日水連との一連の経緯からわかっている。


 逆に言えば、学業に影響の出ない範囲ならば受けてもらえるのではないかということでもある。

 但し、これにはオリンピック準備委員会及びIOCへの根回しも必要となって来る。


 河原崎は全てがはっきりするまでは口を閉ざすことにした。

 その後、優奈は別の離れた場所にある射撃場に連れて行かれ、100m、200m及び300mのレンジを持つ地下道のような射場で迷彩柄の訓練服上着と89式自動小銃を渡された。


 狙撃銃モデルは、8倍スコープがついているが、優奈に貸し与えられたのは普通の照準装置の銃であった。

 優奈は試射で200m先の的に向かって引き金を引き、最初の2発で特性を知った。


 その上で、20発の射撃を行ったが、200mで満点、更に300mの距離で20発撃っても同じく満点の成績を上げた。


「うーん、陸自に入ったなら間違いなく特Aクラスの狙撃兵になれるぞ。

 スコープ無しで300m先の標的中心に当てるとは、・・・。

 スコープを使えば、倍の600いや千もいけるかもしれんな。」


 とは河原崎学校長の言葉である。

 美味しいお昼とお世話になったお礼を言って、武蔵境の大学に戻ったのはその日の4時過ぎでした。

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