第125話 13-15 近代五種へのアプローチ(1)
優奈は、5月17日日曜日に千駄ヶ谷にある東京体育館の屋内プールにレンタカーで向かいました。
使用する水着は、高校時代のスクール水着に水泳帽なのです。
名前と学校名が刺繍で縫い込んであったものは目立つので、刺繍そのものを取り去りました。
東京体育館の屋内プールは、2時間半で600円と割安で、しかも日本水泳連盟公認の屋内50mプールが使えるので非常に便利なのです。
優奈は9時半過ぎに水着姿でプール脇に現れて、傍で休んでいた女子中学生に昨日買ったばかりのデジタル・ストップウォッチを渡して計測をお願いし、8割程度の力で200mを泳いでみた。
その結果、タイムは1分53秒24でした。
計測してくれた中学生の女の子がびっくりしていました。
このタイムは、女子の日本新記録であり、世界記録にわずかに0.26秒と迫っていたからです。
女子中学生がコーチを呼びに行って、少し騒ぎになってしまいましたが、10分休憩してからもう一度計って欲しいとお願いしましたら、そのコーチが請け負ってくれました。
そうして今度はもう少し上の9割程度の力で泳いだのですが、コーチとその生徒達が計ってくれたタイムは、三つのストップウォッチで最短が1分48秒46、最長が1分48秒58でした。
何れにしろ、優奈が200mを1分48秒台で泳いだことは事実の様でした。
優奈はお礼のみを言って、そそくさとプールから引き揚げました。
何処かのスイミング・クラブのコーチであったのでしょうけれど、そのことを優奈の水着姿の写真と共にネットに上げたものですから、またまた大騒ぎになりました。
陸上と水泳は関係ないのですが、どこにでも美人アスリートを追いかけている者は居ます。
彼らにとっては陸上であろうが水泳であろうが全く関係ないのです。
美人は、どこにいても美人なのです。
直ぐにチャットで、あの写真の美人はミラクル・ユーナだと言う話になってしまいました。
非公式であれ、何であれ、世界記録を破った者が現実にいるとなれば、水泳連盟が動くのは当然のことでした。
かくして、日水連の理事が日*獣医生命科学大学を訪ねて来たのは5月21日の事でした。
学生にとっては大切な昼休みの時間だというのに、優奈はまたしても学長室に呼び出しを受けたのです。
優奈が学長室に入ると、すぐに橋本勇作理事を紹介されました。
橋本理事は、5月17日千駄ヶ谷の東京体育館の屋内プールで優奈が200mを2回泳いだかどうかを確認に来たと言いました。
嘘をつくわけにも行かず、優奈は200mを2回泳いだことを認めました。
「その時に女子の世界記録を上回ったということを非公式に聞いているのだが、これは事実かね?」
「私は泳いでいましたので、事実かどうかはわかりません。
計測してもらったデータを見る限り、1分48秒台で泳いだことが分かっただけです。
彼らの計測が間違っていれば、事実ではない可能性もあります。」
「どうだろうか、我々の前でもう一度泳いでもらえないだろうか?」
「泳いで仮に事実だとわかって、どうされます?」
「無論オリンピックに出場してもらう。」
「お断りします。
私には先約がありますし、水泳には興味がありません。」
「ではなぜ、あの日水泳を?」
「オリンピックとは関わりなく、近代五種にトライしてみないかというお誘いがありまして、近代五種には200m水泳があるので、念のために自分にできるのかどうかを確認しに行っただけです。
他意はありません。」
「しかし、君のタイムが本物ならオリンピックの水泳で金メダルが取れるんだよ。
取りたいとは思わないのかね。」
「失礼ながら、気メダルを取りたいと思っていらっしゃる人にお願いしてはどうでしょうか。
私は金メダルに興味はありません。
たまたま趣味でやっていることが金メダルにつながるならそれでもいいかなと考えているだけです。」
「君が陸上競技に出ることは知っている。
ならば、陸上競技が始まる前の日程で出てはもらえんか。」
「お断りします。私は学生です。
学業を優先したいと考えています。
オリンピック開催以後で陸上競技の開始前に余裕があるのは25日の一日だけで、他に空いている日は全くありません。
水泳の予定を覚えているわけではありませんが、200m自由形は25日ではないと思いますが、違いますか?」
鋭く切り込まれて躊躇いながらも橋本理事は答えた。
「ああ、25日に予定されている女子種目は4×100mリレーと400メドレーだけだ。
バタフライもあるが予選しかない。
しかし、陸連側と協議して200m自由形だけに出場してもらう手もあるだろう。」
「それは、私の方ではっきりお断りします。
ただでさえ、面倒事が増えています。
今更、周囲に波風を立てないでください。
仮にそのような話があればどこから来たにしても必ず辞退します。
オリンピックの水泳競技には出ません。
これはもう決定事項です。」
「そこまではっきり云うかね。
普通は何がしかの敬意を払うものだろう。」
「敬意を払うべき相手にはきちんと敬意を払いますが、ごり押しで何とかなるとお考えの方には、そうした配慮は不要と思います。
お話が以上であれば私は戻っても宜しいでしょうか?
昼食もまだですので。」
学長が大きく頷いた。
優奈は、それを合図に辞去して学長室を出ました。
5月23日土曜日、午前9時半、優奈は崎島教授と共に迎えにやって来た自衛隊の官用車に乗って、日*獣医生命科学大学から朝霞にある自衛隊体育学校に向かっていました。
服装は崎島教授の指示で、富士アニマルファームに行った時の服装にしています。
かなりラフな格好であり、昼食に招かれて着て行くような服装ではないですがと一応断ったのだが、教授は笑いながらそれで十分だと言ったのです。
その格好でスーツ姿の教授の隣に座っているのは、何となく居心地が悪くて仕方がないのですが、止むを得ません。
午前10時過ぎに官用車は、朝霞駐屯基地内にある体育学校に到着しました。
正面玄関前では、到着と同時に二人の自衛隊員が左右の扉を開けてくれました。
優奈は、これまでそのような待遇を受けたことが無いので驚きましたが、自衛隊ではいつもの事らしいのです。
それからもう一人の自衛隊員が玄関先で崎島教授に敬礼をしてから、「ご案内します。」と言って先導に立ちました。
正面玄関を入って階段を上り、2階に上がってすぐ近くの部屋まで案内してくれました。
案内された部屋には二人の男性が待っていました。
優奈が紹介されたのは、自衛隊体育学校長の河原崎隆司さんと近代五種教育班長の田畑剛二さんのお二人です。
河原崎さんの階級は准将、田畑さんは三佐のようです。
昔の軍隊の階級で言えば、少将に少佐というところでしょう。
早速応接セットに座らされ、二人の男性にじろじろ眺められるのはいかにも居心地が悪いものです。
「なるほど、このお嬢さんが崎島さんのおっしゃっていた例のミラクル・ユーナであり、ミラクル・アニーですか。
体つきを見るととてもそんな風には見えず、どこかのアイドルにしか見えないのだが、・・・。
きっと筋肉が柔らかいのでしょうな。
自衛隊でも是非に欲しい人材ではあるが・・・・。」
「ダメですぞ。
この子は日本*医生命科学大学の秘蔵っ子ですからな。
身体能力だけではなく、素晴らしい知性を持っています。
獣医としても稀に見る逸材ですからな。
失礼ながら、自衛隊にはもったいなさ過ぎる。」
「自衛隊にもったいないとはまたひどい言い方ですが・・・。
まぁ、それはさておき、ランニングと銃が大丈夫とすれば、後は水泳とフェンシングに馬ですか。
まぁ、馬は崎島教授のお墨付きであれば大丈夫でしょうが・・・。」
「実のところ、私もまだ彼女が馬に乗ったところを見ていないのですわ。
但し、馬場馬術ができるとなれば、まぁ、うちの馬術部の中では多分ピカ一でしょう。
それも初めて乗った馬でですぞ。
正直言って、どうしたらそんなことができるか私にはわかりません。
普通ならば、慣れた馬でも二、三年は間違いなくかかると言われていますからな。
ついでに言っておきますとな。
彼女が乗った馬では一度も馬場馬術を訓練したことはないそうです。
後、もう一つ、先日ちょっとした騒ぎがあって、日本水泳連盟の理事が来ましてな。
優奈君を何とかオリンピックに担ぎ出して泳がせようとしたのですが、見事に断られて帰りました。
それというのも優奈君が試しに泳いだ200m自由形で女子の世界記録を出してしまったのですわ。
勿論非公認なのですが・・・。
それで、何としてもオリンピックに出てもらわなければならないと考え、日水連の理事が意気込んできたのですが、陸上競技の期間を除くと我が大学の試験なども詰まっていましてな、彼女にも余裕がないのですわ。
彼女自身は学業に支障のある陸上なら辞めると言っているぐらいでしてな。
まぁ、趣味の範囲で学業と両立する範囲内でならオリンピックに出てもいいというスタンスなんですな。
だから金メダルが取れるから出てくれと言われても簡単に断られ、焦って陸連と裏取引をすることを持ち出して墓穴を掘りましたわい。
彼女に仮に日水連からオリンッピク出場の話が来ても辞退する、これは決定事項だとまで言われてすごすごと帰りました。
だからまず五種競技での水泳は大丈夫です。
今日は、銃、フェンシングそれに馬で確認されてはいかがですかな。」
「ふむ、因みに優奈君に訊いておきたいのだが教えてもらえるかな。」
「はい、なんでしょう。」
「一つは、水泳だが、200mのタイムはいくらだったのか教えてほしい。」
「50mプールで200mを二回泳ぎましたが、最初のタイムが1分53秒24でした。
計ってくれたのはたまたま休んでいた女子中学生です。
二回目はその子のコーチや生徒さんら3人で計ってくれて、最短が1分48秒46、最長が1分48秒58でした。
正式な審判が計ったものでは無いにしても概ね1分48秒台と言うことになるかと思います。」
「なるほど、・・・。
仮に1分50秒として・・・。
どうかな。田畑君。」
「仮に1分50秒でも、女子は勿論、男子でもトップの成績になります。
40秒のマージンは大きいです。
480点の加算になりますからね。」
「ふむ、そうか。
あと、優奈君は古武術をやっているそうだが、素手なのかね。
それとも暗器又は武器を持つ技はあるのかね。」
「剣、杖、棍を使う技はあります。」
「ではフェンシングでも対応はできるかね?」
「フェンシングについてはルールを全く知りませんが、少なくともフェンシングが突くだけのものならば躱すことはできると思います。
ただ、幅と退路の長さも制限があるので、避けるだけでは勝てないのですよね。
因みに剣で剣を弾いて避けることは許されるのですか?」
「剣で剣を弾くのは構わんが、まずできん相談だ。
突いてくる速度が段違いに速いからな。重いエペではなかなか対応できん。」
「因みにそのエペの重量はいくらでしょうか?」
「エペは最大110センチの長さで770グラムだ。」
「770ですか、さほど重いものではないですね。
それぐらいなら扱えるかもしれません。」
「おいおい、簡単に言うが、一キロの塩を片手に持ったままというのは結構きついものだぞ。」
「剣道の竹刀が500グラムぐらいでしょうか。
確か日本刀では1.5キロぐらいと聞いたことがあります。
日本刀を振り回して防ぐことは難しいですが、振り回さずに重心を中心に周囲を移動させるだけなら楽にできるはずです。
それに弾いてしまえば隙ができるのでは?
「理屈と実際では違うのだがな・・・。
まぁ、試してみるとすぐわかる。」
「今からですか?」
「いや、食事の後だな。」
「ではその前にお願いがございます。
暫く剣を使った動きをしていないので、道場に行って少し訓練をしたいのです。
もし可能であればどなたかお相手をしていただける人が居れば嬉しいのですが。」
「ふむ、昼には少し時間があるし、この時間ならばまだ道場に誰かいるだろう。
行ってみるか?」
「はい、お願いします。」
「わしらも見学していいかな。」
「見ていてもつまらないかも知れませんが、それで宜しければどうぞ。」
田畑は200mほど離れた武道館に優奈を連れて行った。
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