第100話 12-6 ソニン通信と新たな生活の準備

 2月に入って、ソニンとの間で活発にメールのやり取りをしています。

 優奈が、旅行会社の日程表に従い、ソウル滞在の予定を知らせたのです。


<韓国ソウルへ旅行します。

 3月9日1120仁川空港到着、車で移動し、午後2時頃には3人のガード・ウーマンと共にインター・コンチネンタル・ソウル Coexに到着します。

 3月15日開催のソウルマラソンに招待選手として参加予定です。

 3月16日には、1520仁川空港発のJAL便で日本へ帰国します。

 今のところ3月10日から14日までのスケジュールは組んでいないので、ソニンの予定が空くならどこかで会いたいな。

 連絡を待っています。>


<嬉しい、ユーナが来るならぜひ会いたい。

 神戸でのユーナとのデュエットが評判になって、各テレビ局からユーナと一緒に音楽番組へ出場できないかとの問い合わせがかなりあったの。

 今度、ユーナが来るならその話が多分復活すると思う。

 差し支えなければテレビ局にユーナの予定を伝え、出演を打診してもいいだろうか?

 私の歌は特殊な分野だから、テレビに出る機会は実のところはそう多くはない。

 できるだけそんな機会を通じて、国楽の良さを広めたいと思っているのだけれど、なかなか思うようには上手く行っていないの。

 若い人にも興味を持てる歌い方はできるし、聞いた人はそれなりに感動はしてくれる。

 でも、どうしてもその場限りで終わっているから私の歌はヒットしない。

 ヒットしないのが残念なわけではないよ。

 何と云うかもっと多くの人に受け入れてもらえる歌があればいいのだけれど、私の力ではテレビ局の出演もそれほど多くはできないのが実情なの。

 *ileeさんなんかは米国籍を持っている韓国系の人だけれど、歌唱力もあるし、売れるだけの何かを持っている。

 そんな彼女と比較してはいけないのだけれど、テレビの出演回数は私が1とすれば、*ileeさんは3.5から4ぐらいかも。

 今の倍のテレビ出演があればもう少し私の歌を広めることもできるんじゃないかと思うのだけれど・・・。

 ユーナならどうする?>


<ソニンの二つ目の質問は難しい問題だね。

 でも、ソニンの歌は主として過去の歌の焼き直しだよね。

 それが60年前の歌だろうと数百年の歴史を持つパンソリだろうと、同じ過去の歌なんだ。

 若い人が過去の歌に興味を持たないのは幼い頃から知っている歌だからじゃないのかな。

 童謡を大人になっても歌う人はごく限られているし、普通の人は子供に聞かせるときにしか歌わないでしょう?

 人気がどうこう言う前に、それだけ人に浸透している歌だから、余り顧みられないように思う。

 ソニンの歌はそんな歌の代表なんだ。

 とっても上手い歌い手だし、魅力もある。

 でも童謡は、それを聞いた人が成長してしまえば思い出だけしか残らない。

 その童謡と同じように、ソニンの歌が美化されてしまって心に残らないのじゃないのかな。

 若い人はもっと感覚的なものを求めている。

 ロックのビートを求めている人は騒がしいまでの雑多な音の中に、統制された何かを打破する力を見出し、追い求めている。

 K-POPSの軽快なテンポの中にダンス音楽としての価値を見出そうとしている若者もいる。

 彼らは自分ではできないしなやかな踊りを見せるアイドル達に自らの夢を重ねている。

 歌の上手さよりもダンスが見事であれば、そうして最近の場合は特に、踊りがセクシーでありさえすれば、ダンスが見えないはずのCDが売れてしまうようなおかしなことが起きてしまう。

 韓国演歌が衰退しているのは、単調な言葉の繰り返しに加えて、双子みたいに共通した音符の並びとテンポの遅さに若者が飽きた所為かもしれない。

 全く知らない曲であっても次に出て来る音がわかるようでは、歌には面白みがない。

 若者たちは刺激と変化を求めている。

 それに応ずるためには古風な作曲家自らが自分を変えなければ無理だろうし、ソニンは古い歌の焼き直しではなく新しい自分の歌で、パンソリを含む韓国の歌の心を知らしめ、人を酔わせなければいけないと思う。

 そうしてソニンが求めている歌は、古希を迎えた老人を納得させ、社会に不満を抱く多くの若者には夢を与える歌でなければならない。

 そのためには過去の歌ではなく全く新たな歌で挑むしかないと思う。

 長くなったけれど、ソニンが歌う歌は自分で作詞作曲した方がいいと思う。

 下手な作曲家に頼むよりはソニンの感性の方が余程頼りになる。

 それとテレビ局に声をかける話、私自身はあまり騒がれたくないと思っているけれど、ソニンのためなら協力するよ。

 二人の出演が必要というならばどこへでもついて行ってあげる。

 でも、私は日本人。

 韓国には、どんなところにも日本人とみると喧嘩を仕掛けたり、非難の対象と見做したりする人達がいる。

 私は単なるお客さんに過ぎないから一定限度までは反論しないで黙って聞いている。

 でも無茶を言う人には反論することになる。

 それがたとえ大統領であろうとも、徹底してやり込めることになる。

 そんなことが起きる前に、ソニンに誤っておくしかないね。御免。

 で、それが起きたなら、ソニンの立場がきっと悪くなる。

 私を連れてテレビカメラの前に立つということは、そんなリスクも背負うということなのだから、よくよく考えてほしい。>


<ユーナ、歌の事、有益な助言をありがとう。

 新しい歌を作り上げる話、よく考えてみる。

 それと、テレビ局に二人で出演する件、ユーナの意見はわかったし、聞いたよ。

 仮にそんなことが起きたなら、どんなことが起きても私はユーナに味方する。

 ユーナは私の友達だよ。

 そんな大事な友達を守れないでいたら他の人に友達なんて言えなくなる。

 だからユーナの言うリスクを全部飲み込んで、メジャーな音楽番組をやっている5局にマネージャーから呼びかけてもらった。

 多分、1週間以内に出演予定が決まるようになると思う。

 それからユーナとの会合もそれに合わせて時間を取る。少なくとも三回ぐらいは会いたいな。

 そのうちの一回は二人でソウル市内の観光をしてみたい。

 ソウルを中心に活動しているけれど、私はソウルの名所はほとんど知らないよ。

 だからガイドさんが必要だけれどね。

 予定がわかったら知らせます。

 じゃぁねぇ。>


 続けて次の日メールがやって来た。


<ユーナ、酷いじゃない。

 偶然、人に教えられて知ったけれど、ミソラ・オハシ知ってるでしょう。

 あの子の新曲聞いた。

 日本語わからないけど、とてもいい曲だった。

 作詞・作曲ユーナの名前だった。

 何故私にも作ってくれないの。(プンプンプン)

 私とっても怒っているからね。(プンプンプン)

 ユーナ、私がどんな歌を歌えばいいか知ってるでしょう。(プンプンプンプンプンプン)

 それなら、お願いだから何か私のために作って頂戴。(お願い、お願い、お願い、お願いヨー)>


<ごめんなさい。

 なかなか暇が無かったのよ。

 それにそもそも人のために作曲したのは初めてのことだからね。

 これまでずっと作曲家をやっていた商売人とは違うよ。

 韓国も受験地獄があるようだけれど、日本も大学に入るために厳しい選抜試験を受けなければならないの。

 私は、今、高校三年生、もう大学の試験は終わったけれど、その受験勉強と陸上競技が重なったからとても忙しかったの。

 ソニンの機嫌を取るために、ソウルに行くまでにはソニンに合う新曲を二つぐらいお土産に持って行くね。

 楽しみに待っていて。

 因みに、私はこの4月から神戸を離れて東京の郊外にある大学

 Nippon *eterinary and Life Science University (N.V.L.U.)に行きます。

 この大学は、獣医さんになるための大学ですよ。

 そこで6年間勉強することになります。>


 ソニンにも日本での新曲がばれたぐらいなのだから、日本ではもっと広範囲にばれているのだろうなと心配している優奈でした。


 ◇◇◇◇


 3月1日、優奈は一人で上京し、コーディネイトの終わった室内を確認しました。

 鷹島たかしまさんに連絡を入れておいたので、優奈名義の家になるベリエール武蔵境の1802号室で落ち合ったのです。


 新築のままの状態で見た印象は完全に覆されました。

 シックな色合いの中に華やかさを含んだ毛足の長いカーペットが玄関に続く廊下でお出迎え、薄い花柄模様の壁布がとても優雅な雰囲気です。


 玄関の下足箱の空いたスペースにさりげなく飾られた小さな花束の油絵がとっても似合っています。

 居間はどっしりとした黒革張りの長椅子と一人用のソファが一つ、壁に沿っておかれた55インチの大型液晶4Kテレビに向いているのです。


 応接セットの様に対面型ではありません。

 普段は優奈一人が使う居間ですから、たまに来る客と親しく話せる雰囲気があればいいと考えたのでしょう。

 ゆったりとしたソファはおそらく外国製。


 足の長い優奈が座っても全然違和感がないのです。

 優奈がこれまであちらこちらで座ったソファとは異質の快適さでした。


「この椅子、とても快適だわ。

 外国製なのですか?」


 鷹島さんは嬉しそうに微笑んで頷いた。


「ユーナさんって、足が長いでしょう?

 人間工学から言うと、国産のソファのサイズは全て駄目でした。

 部屋で撮ったスナップ写真にユーナさんが写っているのがあったので、物差しを当ててユーナさんの股下を推計してみたんです。

 腰骨の高さから多分間違いないと思うのですけれど、

 89から91センチって言う数値が出たからびっくり。

 日本人のモデルでも股下84センチ以上の人はほとんどいません。

 それなのにそれを5センチ以上も上回るなんて信じられませんでしたよ。

 で、そのおみあしに合うような椅子を探して、ようやく見つけたのがオランダ製のこの椅子なの。

 私には逆に膝の高さとお尻のすわりが深すぎて居心地がよくないのだけれど、190センチ以上の身長がある人なら大丈夫みたいです。

 大体2mの身長を持つ人を対象にして作られているみたいだから、ユーナさんが如何に規格外なのかわかると言うものですね。

 ソファはいいとしてもダイニングの椅子にまでそれを適用すると、お客様の居心地が悪くなるので、オランダ製の特別椅子はこの居間に限っています。」


 居間から続くオープンカウンターのあるキッチンの前には小ぢんまりとしたダイニングセットが置かれているのですが、4人がぎりぎり座れる程度の大きさです。

 でも黒と白のストライプが存在感を示していました。


 さりげなく置かれた四人分のランチョンマットと中央に置かれた一輪挿しがとても映えている。

 主寝室はキングサイズのダブルベッドが置かれていました。


 傍にあるナイトチェストとその上に置かれた前衛的なスタンドが目を惹きます。

 反対側には小さめの化粧台が、チェストと同じ色で統一されています。


 カーペットの色合いが少し暗い色に替えられ、壁紙の色も抑えられているのです。

 カーテン柄も落ち着いた雰囲気のものを使っているので、あるいは母の印象に合わせたのかもしれません。


 優奈の寝室は、カーペットも壁布も、そうしてカーテンまでもが少し華やかな色合いに変えられていました。

 寝室だからそれほどけばけばしい色は使っていませんが、若い女性の部屋というのが一目瞭然なのです。


 幅が広めのシングルベッド、いいえ、セミダブル?の傍らには変わった形のOAデスクが置かれ、壁際に少し大きめの頑丈な本箱が配置されています。

 OAデスクには長時間座っても疲れないと言う特殊な形状の椅子がついていました。


 体重を、お尻ではなく膝で支えるために、背筋が伸びて疲れにくいと言う特質を持った椅子なのです。

 この手の椅子は背もたれがないのが普通なのだけれど、この椅子は特別製でリクライニング式の背もたれもあるし、フットレストもついています。


 優奈はネットで色々見たけれど、この種の椅子は初めてでした。

 パソコンの類は優奈が徐々に揃えるつもりでいたので、今回揃えてもらった品には含まれていません。


 但し、OAデスクには、4つのモニターが取り付けられるような金具は取り付けてもらっているのです。

 当面、ノートパソコンで代用できるからすぐには使わない代物ですけれど、いずれ考えているシステムには複数のモニターが必要なのです。


 もう一つの部屋は、特注の音楽スタジオです。

 音が外に漏れないようにする構造にしてもらったのですが、床、壁、天井の全てに消音ブロックを張り巡らしたために、床が高くなり、天井が低くなったうえに壁の間隔も縮まって小さな部屋になってしまったのは確かです。


 床面で5センチの嵩上げ空間が生じているのです。

 完成した後で実際に、大音量のエレキギターのロックバンドの演奏曲を持ち込んで優奈が選択した音響システムで再生させたようですが、ドアの外では何も聞こえず、窓の外でもわずかに音が出ていることがわかる程度であったらしいのです。

 なお、騒音計での計測値もデータとして作ってくれていました。


 鷹島さん曰く、きっちりと消音ボードのブロックを組み上げるのが一番難しかったそうですよ。

 馴染みの大工さんに結構愚痴を言われながらやり遂げた仕事の様です。


 キッチン、浴室など他の設備にも予想以上のアイディアを盛り込んで綺麗にコーディネイトしてくれていました。

 キッチンの食器棚には、真新しい薄い青で彩られたノ❆タケの食器がセットで揃えられていたし、ラッキー❆ッドのカトラリーセットが2セット準備されていました。


 厨房器具も、女性らしい細やかさで整えられており、すぐにでも厨房が使えるようになっています。

 かかった経費は1300万円を少し下回る程度。


 残金は、当初の指示通り、優奈の別の口座に振り込まれていました。

 郵貯銀行の口座を作り、月々の光熱費などはそこから引き落とすようにしてもらっているのです。


 郵貯銀行の残高は500万を下回る程度でしたが、200万近くの金が入金されたので、700万に満たない額がある筈です。

 優奈は鷹島さんの仕事ぶりを褒め称え、そうして心からの謝意を申し上げ、かかった経費の5%である65万ほどを現金で渡しました。


 デザイン料と作業監督料の150万円は契約の際に支払ったのですが、資材等の購入手数料の方は出来高次第であったので保留されていたものでした。

 鷹島さんはにっこりと笑って言いました。


「後、二つほどユーナさんから頂きたいものがあります。」


「あれ、経費で忘れていたものがありましたか?」


「あ、いいえ、お金ではないんです。

 一つは、この部屋のお仕事はMI*でも滅多に入らないお仕事でした。

 マンション一室のインテリア全部を一括委託なんて、モデルルームを除けばこれまでに無かったことなんです。

 今までも結構マンションとかのモデルルームのコーディネイトはさせて頂いています。

 仕上がりは勿論きれいなんですが、経費に制限があって正直なところ妥協の塊でしかないんです。

 でも今回の仕事は違いました。

 豊富な予算とやりがいのある音楽室への改装は私にもとっても良い勉強になりました。

 仕事のことになると滅多に褒めたりしない社長が、今回ばかりは良い仕事だと褒めてくれたんです。

 その上で作業中の写真と完成後の写真をMI*の広告写真に載せたいと言ってくれました。

 勿論、施主さんであるユーナさんの了解を戴かねばできないことなのです。

 どうか、我が社のパンフレット及びネットでの広告にこの家の写真を使わせていただけませんか?」


「はい、いいですよ。

 但し、私の名前や所在地がわかるようなものは削除してください。

 武蔵野市とかイニシャルでしたら構いませんが・・・。」


 鷹島さんは、満面の笑顔を浮かべて、ぴょこりとお辞儀をした。


「ありがとうございます。」


 それから上目遣いで言いました。


「もう一つは、私個人の勝手なお願いです。

 私も、それに私の妹もユーナさんの大ファンなんです。

 アスリートとしてのユーナさんは勿論ですけれど、音楽を演奏し、歌を歌っているユーナさんも大好きなんです。

 ですから、もしできればサインを戴けませんか?」


「そんなことでよければいつでもいいですよ。」


 鷹島さんは早速手に持っていた少し大きめのバッグから二枚の色紙とサインペンを出してきました。


「妹さんのお名前を教えて頂けますか?」


「鷹島好美よしみです。

 成蹊大学の三年生なんです。」


 優奈は色紙に鷹島由紀奈と鷹島好美の名前を書いて、サインをした。

 前世では別の名で手慣れたものだったが、優奈になっても似たようなことになっている。


 なにせ、宮古島ではお願いされて数百枚のサインをする羽目になっていた。

 それももう1年以上も前の話である。


 優奈は、鷹島さんから家の鍵を受け取って、そこで別れました。

 優奈は、今回も東急インに泊まっているのです。


 変装はしていても従業員とはもう顔なじみですが、優奈の秘密はしっかりと守ってくれています。

 万が一にでも優奈の存在が知れると、ホテルの周囲が黒山の人だかりになることが目に見えているからです。


 そのためにも優奈は従業員に軽い暗示をかけているのです。

 優奈の宿泊は、自分達だけの秘密という優越感で口外させないようにしたのです。。


 そのために、今のところ優奈の存在は外には漏れていません。

 優奈は、転入届は4月に入ってからにするつもりでいるのです。

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