第90話 11-2 特訓(1)
二人が揃って頭を下げたけれど、即座に葉山女史が怒ったように言った。
「何勝手なこと言ってるのん。
貴方達、美空さんが優奈と同じ年齢なら知ってるやろぅ?
優奈は受験生なんやで。
これから最も大事な時期を控えているっていうのに、どこにそんな暇があると思ってるんや?
貴方達の崖っぷちって状況もわからないではないけれど、余りに身勝手だわ。
優奈の迷惑を全然考えていないじゃない。」
二人が顔を上げハッとした表情で優奈を見た。
どうやら本当にそんなことは頭になかったようだ。
「葉山さん。
怒るのもわかるけれど、そっちはええんやわ。」
「優奈ちゃん、何言ってんのよ。
そっちはいいって、受験を止めちゃうの?」
「いや、そうやなくって、ウチの推薦入学が決まってるので、受験勉強の必要は無くなったという言い方が正しいんやろうね。
だから、まぁ、余裕はあるんやけど、・・・。
そのことを他の受験生に知らせたくはないのやわぁ。
知れば色々と悩んだり、妬んだり・・・。
精神的に不安定な時期やから・・・。
他人の幸福は自分の不幸と考えやすいですしね。
十分に注意しないと・・・。
だからくれぐれもご内聞にお願いしますぅ。」
「なんや、・・・。
そうやったん・・・。」
葉山女史は急速に怒りが覚めて行ったようで、気が抜けたような言い方をした。
優奈が大橋美空と光台寺に向かって言った。
「じゃぁ、取りあえず、ここ1週間ぐらいは、美空さんにも余裕があって、比較的自由に動けるという理解で良いのんかな?」
光台寺と美空は揃って頷いた。
「ホテルは?」
「さっき着いたばかりなので、新神戸のロッカーに荷物を置いたまま。
優奈さんに会った後、どうなるかわからなかったので、特に予約もしていません。」
「しゃぁないなぁ。
じゃぁ、何の保証もデケへんけど、無理を承知でやってみまひょか。
美空さんは目立つでぇ、学校でというわけにも行かんやろから、レンタルスタジオを借りてそこでお勉強をしまひょかねぇ。
場所は、三ノ宮駅の周辺、トアロードに面したところにあるスタジオ*48という店やけど、後で案内しますぅ。
ホテルは、そちらで事前に考えていたところがあればそこでも構わないけど・・。
トアロードの先に東急ハンズという店があるんよ。
その南西側100mほどのところにホテル・カイル神戸というホテルがあってなぁ。
広い通りには面しているところやけれど繁華街に近いもんやから、ビジネスホテルや連れ込みホテルみたいなとこやと思うてた方がいいかも。
でもお忍びで泊まるにはいいのやないかなぁ。
まさかそんな安宿に天下のアイドルが泊まるなんて誰も思わんしぃな。
朝食用のレストランはついてるし、近くに食堂やレストランもあるわ。
二人でツインを頼んだらよろしいやろ。
それと、美空さんはもうちっと変装すべきやわ。
今のサングラスだけではいずれ見破られてしまうやろね。
メイクは落として、すっぴんがええんやないかな。
メガネは、サングラスよりも伊達メガネの方がええと思うわ。
髪型を少し崩すか帽子を被り、古着を着て、マスクしたら、まぁちょっと見にはわからへんと思うでぇ。」
優奈はメモ用紙にホテルの名前を書いて光台寺に渡した。
「今日は、通常通りの授業を受けてから一旦家に戻り、それから三宮に行きますぅ。
ウチもこの制服のままでは行かれへんよって、服装を変えなしょうもない。
着替えてからホテルへ行って、お二人を連れて、スタジオ*48まで歩いて行こうと思うてます。
ホテルからは近いですからね。
で、スタジオのレンタル経費は光台寺さんの方でお願いします。
1時間当たり2500円ぐらいなものやから、・・・。
まぁ、一週間で最大でも10万円から12万円ほど見込んでおけば大丈夫やと思います。
で、葉山さんのこの後の予定は?」
「あ、・・・。
一応、ウチの用事は済んでるわよ。
ひょっとして、ウチもあてにされてる?」
「ええ、できれば、・・・。
それともう一人ぐらい居た方がいいですね。
腕っぷしの強そうな男性が理想的。
高校生は駄目やけど、20歳以上ならOKです。」
「それって、ボディガード?」
「ええ、繁華街を夜遅くウロウロする羽目になるかも知れませんので、できれば用心棒はんが欲しいんですわぁ。
光台寺さん、私への謝礼は不要ですから、ボディガードを一人雇ってくれへん?
外出の時だけで良いのやけど、普通の警備保障じゃ無理やから、元傭兵崩れのお兄さん方に依頼した方がいいと思うんやわぁ。
連絡は私が付けられるけど値段交渉その他は光台寺さんがやってください。
私は仲介だけですぅ。
少なくとも1日3万円から5万円ぐらいはかかると思ってください。
今日頼んで、今からと云うのはいくら何でも無理やから、今日の分は別の手立てが要ります。
葉山さん、さっきの話やけど、スポットで今日夕方5時から11時くらいまで誰か護衛を任せられる人知らんやろか。
明日以降は、多分本職の用心棒はんが手配できると思います。」
「うーん、しょうがないなぁ。
鎌田君に頼んでみよかぁ。
5時半くらいからなら何とかなるかも知れへん。
その代わり晩飯ぐらい奢ってやってくれる?」
優奈が光台寺を見ると、光台寺がクスッと笑って頷いた。
必要経費の担当はマネージャーの仕事と理解している証拠であろう。
その後、電話で葉山女史が鎌田さんなる男性と連絡を取って何とかイタ飯ぐらいで了承を得たようだ。
但し、動けるのは5時半以降ということなので、三ノ宮駅の北側で待機するようにお願いし、5時40分頃には落ち合う場所を連絡することで段取りが付いた。
一方、優奈はネットで英語のホームページから存在を知った外国人向けボディガードの会社に連絡した。
最初は英語で応答があり、日本語で依頼内容を簡単に説明、契約者である光台寺の電話番号を教えた。
件の男性からは2時間後に、光台寺に電話を入れると言ってきた。
彼らなりの情報源から裏を取るつもりかもしれない。
彼らもまた慎重に仕事をする連中なのだ。
男は、関空GPF (Kanku Guard and Protect Force) の工藤と名乗った。
光台寺さんにその旨を伝え、光台寺と美空が取り敢えず動き始めた。
ひとまず二人の仕事は、新神戸駅から荷物を取って三宮のホテル・カイル神戸にチェックインして待機することである。
宿泊はとりあえず5日ぐらいで頼み、状況により延長し、あるいは縮めることにした。
光台寺は持っているスマホでホテルの位置を確認、新神戸から地下鉄で最寄りまで移動できることも確認したうえで、美空を連れて応接室を出た。
事務部長にお礼を言うのを忘れない辺りは流石に有能なマネージャーである。
優奈の授業はその日は午後3時までである。
部活は当然のようにサボっているが、これは三年生の特権である。
優奈は、家に戻り、着替えた。
おなかにバスタオルを巻いて、ネットで米国から取り寄せた少し大きめのジーンズ、黒っぽいハイネックに結構古びた革ジャン、同じく古びたひも付きブーツ、ツバ広キャップに、レイバンの伊達メガネ、トレードマークのポニーテールをやめて、腰まである長髪のカツラを付けると変装の出来上がり。
ちょっと見には少し太めの髪の長いお姉さんであり、余程近づかなければ陸上部同級生の理子達でも気づかないはずである。
家を出たのが4時少し前で、王子公園駅から阪急線で三ノ宮駅へ移動、徒歩を含めて4時40分にはホテルの美空たちの部屋に辿り着いていた。
最初、光台寺も美空も現れたのが優奈とは気づかなかったぐらいで、優奈の変身ぶりに驚いていた。
当の美空もそれに光台寺も、古着を着て変装の真似事をしていた。
美空をホテルに残し、光台寺が三宮から元町周辺にある古着屋を何件かはしごして買い漁った衣装らしい。
派手さやきらびやかさを抑えただけで後姿は極普通の女の子になっていた。
メガネは何故か厚手の凸レンズメガネで、実際のところはメガネをかけているとぼやけてしまって何も見えないらしいが、光台寺が手を引くことで歩けるのは歩けるらしい。
髪はまとめてニット帽を被っていた。
化粧を落とすと正面から見てもすぐには美空とは分からない。
光台寺も同じく化粧を落としただけでイメージが変わっていた。
5時過ぎには葉山女史もホテルのロビーに現れて合流した。
葉山女史も何故かいつもの派手さをぐっと抑えて来た。
どうやらお忍びで動かなければならないというのを十分に承知しているようだ。
それでも優奈の変装を見た時は流石にびっくりしていた。
4人でホテルを出て、5時半にJR三宮駅東口で葉山女史の大学同窓生の鎌田康秀さんと会合した。
会合してすぐに、葉山女史からは鎌田さんへ『見ざる、言わざる、聞かざる』を通すことと明快な指示を出している。
優奈の顔を見て、あれっという表情をし、同じく美空の顔を見てやっぱりあれっという表情を見せたが、彼は何も質問せずにだんまりを決め込んだ。
葉山さんが選んだだけあってかなりガタイの良い男性である。
身長は190センチほど、体重は間違いなく100キロを超えていると思われる。
肉付きから言うとレスリングあたりをしていたように思えた。
その後、優奈の案内で駅前のビル2階へ、鎌田さんへの報酬代わりにイタ飯レストランである。
優奈が電話で直前に抑えていたらしい。
料理はコース料理である。
1時間ほどそこで晩餐を楽しんでから、徒歩でスタジオに向かう。
確かに優奈がボディガードを頼むほどに怪しげな場所であった。
何しろキャバクラ、インターネットカフェなどが同居するビルであり、周辺は完璧に飲み屋街である。
焼き鳥屋、焼き肉屋、料亭、スナックがすぐ近くにある。
明るい時間帯ならばともかく、日が沈んでから高校生がうろつく場所ではない。
ましてや女ばかり4人では酔漢に絡まれても困る。
無論優奈が強いのは葉山も承知しているが、相手を伸してしまえば済むと言うものでもなく、面倒事が必ず付いて回るものである。
だが、強面のボディガード一人が傍にいれば、よほどのことがない限り酔漢も恐れをなして退散するし、近づかない。
それが優奈の狙いであった。
その点では巨漢の鎌田はうってつけと言える。
雑居ビルの4階にスタジオ*48はあった。
受付で値引き交渉を優奈がなした。
今夜から一週間、毎日夕方6時から11時までと土曜、日曜は午後一時から4時間を追加ということで値引きしてもらったのである。
エレクトーンがついている13畳の広さの部屋を専属で借りて消費税込み前金払いで10万円となった。
「かなわんなぁ。」と言いながら店長が常連客値段でサービスしてくれたのである。
本来ならば優奈が頼んだレンタル器材を入れると11万円近くになり、消費税を付けると11万5千円を超えていただろう。
店長さんも相手が優奈や美空とは気づいていないようだった。
楽器を持たずにやって来たおかしな5人組としか考えていない。
それはそうだろう。
女は4人で、少なくとも一人は40に近いオバちゃん、女のくせにガタイの大きなやや太目の若い女、やたらに度の強いメガネをかけた小女、少しケバ目の姉ちゃんの4人。
それに極めつけは、スーツ姿で図体のでかいレスラー風強面兄ちゃんである。
こんなバンドが本当に居たならちょっとした話題になりそうだ。
機器を調整して、6時15分から練習を始めた。
優奈がエレクトーンを弾き、別のシンセサイザーで一定のテンポを刻みながら、美空に歌わせる。
ここでは美空はミーちゃんになり、優奈はユーちゃんになっている。
因みに光台寺喜代乃はキヨちゃん、葉山はシーちゃんである。
鎌田は今日だけのピンチヒッターなので特にあだ名をつけていない。
優奈と美空は立ったままマイクとキーボードに向き合い、他の三人は折畳椅子を借りて座ってみているだけである。
優奈の指導は変わっていた。
発声練習として、最初に歌わせたのは美空の歌に似ても似つかない民謡であった。
美空は面食らった。
発声練習なら指導してくれている作曲家の先生に教わっている時に何度もやったが、それとは明らかに違っていた。
喉の奥から絞り出すような高音域に合わせて執拗とも思えるビブラートの練習が続き、最初の一時間ですっかり声がかすれてしまった。
こうなることを予想していたのか、優奈は鎌田さんに頼んで近くのコンビニで飲料を買ってきてもらっていた。
最近発売されたばかりの黒紅烏龍茶1リットル2本と某社のトマトジュース缶を10本、それに紙コップである。
紙コップに三分の一ほどトマトジュースを入れ、そこに黒紅烏龍茶を注ぐ。
「本当は雲南省の極上プーアール茶が良いのだけれど、ここらでは手に入らないから今日は代用品。
明日は用意しておく。」
そう言って優奈は赤黒い液体を美空に飲ませた。
恐る恐る飲んだ美空が目を見張りながら言った。
「嘘っ、美味しい。」
優奈を除く他の三人も真似して飲んでみた。
ちょっと変わった味ながら確かに美味しいのである。
しかも喉がすっきりとする。
「はい、じゃぁ、それをもう一杯飲んだらもう一度最初からね。」
優奈の個人レッスンは容赦なく続けられた。
声がかすれると特製ジュースを飲んで無理やりに復活させられ、延々4時間半、民謡の発声練習が続いたが、面白いことに終わりの方ではそれらしい声が美空から出ていたのである。
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