第十一章 アイドル美空

第89話 11-1 大橋美空登場

 11月3日、高校駅伝の県予選がありました。

 優奈が第一走者で出場、記録は1時間0分59秒でした。


 優奈が皆の力量を推し量ってわざと調整したのです。

 神城高はそれでも悠々と一位になったのです。

 優奈の本領発揮は、年末の高校駅伝でいいのです。



 11月10日に、日本*医生命科学大学から推薦入学の合格通知がやってきました。

 両親に伝え、翌日、学校の進路指導の先生にも伝えました。


 教頭と事務部長それに校長の処へも赴いてお礼を申し上げて来ました。

 推薦入学には大勢の教職員の方たちにもお世話になっているのですが、一々お礼は申し上げられません。


 それで代表して教頭、事務部長、校長にお礼を申し上げたわけです。

 優奈の大学受験はこれで呆気なく終了であり、第二志望の神戸大学や*大獣医学部に願書を出す必要も無くなったのです。


 神戸大学や*大獣医学部を滑り止めなどと言えば大変に失礼なのですが、推薦入学に失敗したなら共通一次試験を受けて国公立及び私立大学を受験するしかなかったのは事実なのです。

 優奈の場合、単に第一希望が日本*医生命科学大学であっただけのことなのです。


 合格が確定しても、他の受験生がいるわけなので敢えて公表はしません。

 それを知ると、他の生徒が焦ってしまうからなのです。


 ◇◇◇◇


 11月18日午後、突然に歌手の大橋美空が神城高校に現れました。

 事務部へ行って、加山優奈さんとお話をしたいのだがどうすればよいかと聞いたらしいのです。


 話が事務部長まで上がって、大橋美空とマネージャーを前に事務部長が決断したようです。


「今は、授業中なので本来はお断りすべきなのでしょうが、放課後に加山さんの後をつけ回すような真似をされても困ります。

 優奈さんの場合は、大変優秀な生徒さんですから、今の授業を中座しても実質的に影響はないでしょう。

 事務部の隣に応接室がございます。

 そこでお待ちいただけますかな?

 加山さんを呼んでまいりましょう。

 それと、誰かしかるべき人を保護者代理として傍につけさせますが、それでもよろしいでしょうか。

 話の内容を対外的に漏らすようなことは致しませんが、未成年である加山君に不利な話を押し付けられても困りますので。」


 大橋美空もマネージャーも強く頷いた。

 三時限目の授業が半ばの処だったが、事務部の職員が優奈のクラスに赴いて、授業中の教諭に連絡、優奈を授業から中座させたのでした。


 授業中の教諭も優奈が入試に合格したことは内々に知っている。

 既に進路の定まった神城高一優秀な生徒に教えるようなことは既に何もない。


 授業に出なくてもいいぐらいなのだが、他の生徒の手前、そうはできないだけの話である。

 従って用事があると言うならば優奈はいつでも中座させられる生徒であったのだ。


 一方で事務部長はたまたま今日神城高を訪れていたOGの葉山静香を呼んだ。

 彼女は吹奏楽部OGであり、10月上旬に開催された音楽祭に関連して、吹奏楽部顧問をしている音楽教諭鳥羽光江のところに午後から来ていたのである。


 今は、音楽室で色々と話をしている筈とあたりを付けて連絡を入れたのである。

 鳥羽光江は、午後一杯授業はないはずであったので仮に話が中断しても差し支えないだろう。


 事務部長は優奈とも親しい葉山静香に保護者代理の仕事をさせようと思ったのである。

 特に彼女は芸能プロダクションにも務めていたことがあるから、今来ているアイドルやマネージャーの扱いにも慣れているだろうと考えたかのである。


 この手の申し入れは、本来は断るべきなのだが、大橋美空については、事務部長の娘が好きな歌手の一人であり、無碍に断るのも酷いなと思い融通を利かせたのである。

 優奈が応接室の前に来た時、葉山女史も応接室の前に到達していた。


「今日は、事務部長からの依頼よ。

 優奈ちゃんの保護者代理役をやれって。

 うちの高校に芸能人がわざわざ来るなんて滅多にあることじゃぁないわね。

 優奈ちゃんが引っ張り込んだの?」


「まさか、向こうが私をご指名で尋ねて来たんですよ。

 用件はある程度推測できますけれど・・・。

 それはさておき、どのように収めるかが問題でしょうね。

 葉山さんはしばらく話を聞くだけに留めておいてください。

 芸能界に詳しい者が学校にいるなんて、普通は有り得ないですからね。」


 入り口近くで簡単な打ち合わせをしてから、優奈と葉山女史が応接室に入り、自己紹介した。


「ウチが加山優奈です。

 何かウチに御用やとか。

 芸能界の人と直接会うのは初めてやから、ウチも緊張しとぉよ。」


「私は、葉山静子です。優奈君の保護者代理と考えてください。

 尤も、本当に親権が必要な場合は、ご両親とご相談せにゃ何もできませんから悪しからずご了承ください。」


 大橋美空が名乗り、歌手をしていますと自己紹介をした。

 マネージャーは、光台寺喜代乃さんという人で、美空の所属プロダクションから派遣されて大橋美空についている派遣マネージャーである。


 往々にして新人さんにはベテランのマネージャーさんが付くことが多いが、派遣マネージャーの他にも通常は一人いそうなものだがと思いつつも優奈は別の言葉を口にした。


「で、お話というのは何ですぅ?」


 一瞬、美空は優奈にすがるような眼をした。

 代わりにマネージャーの光台寺が口を開いた。


「二つあります。表向きの話と、裏の話です。

 表向きの話としては、先日優奈さんが新潟県柏崎のマラソン前夜祭で歌った横浜慕情の件で当方が迷惑を被っています。

 正直に申し上げて、優奈さんの歌が物凄く評判になって、美空の歌がけなされているんです。

 でもこればかりは優奈さんを責めるわけには行きません。

 優奈さんがいみじくも言っていましたね。

 私の好きな歌と。

 好きな歌を歌ってはならないという要求はできません。

 優奈さんが聴衆から金を取ってコンサートでも開いていたのならクレームも付けられるし、著作権違反として訴えることも可能ですが、事実はそうではない。

 単に集まった人にお願いされて唄っただけですから、訴えようが無いんです。

 もしそれで訴えていたら、アカペラでもカラオケでも自由に歌を歌えなくなってしまう。

 作曲家も作詞家もそれは望んでいませんし、歌手も同じです。

 自分の作った歌が、或いは持ち歌が多くの人に好かれることこそが彼らの夢なんですから・・・。

 ただ、優奈さんは明らかに編曲して歌っていますし、歌い方も美空の真似ではない完全なオリジナルなんです。

 そうしてその編曲と歌い方が人気を博しているんです。

 試しに美空が真似をして歌ってみたんですが、だめでした。

 美空の本来の歌い方よりももっとひどい歌になってしまって・・・」


 光台寺が一旦区切ってから言った。


「で、裏の話が出てきます。このままでは美空が潰れます。

 優奈さんお願いですから、美空に優奈さんの編曲と歌い方を教えてやってください。

 エレクトーンで似たような音はマネできるけれど、どうやっても優奈さんの演奏した伴奏の音が出ないんです。

 編曲も楽譜に写してみたけれど、元歌との違いがほとんど判りませんでした。

 音符の長さに関わりがあるようですけれど、なぜそれで曲の雰囲気が変わるかが説明できません。

 作曲家や編曲家ですら首をひねっているんです。

 プロがやってダメなものを、私のようなマネージャー風情が言うのもおかしなものですが、優奈さんの編曲には何かとんでもない秘密が隠されていますよね。

 だから普通の作曲家にはわからない。

 でも実際に歌を聞けば素人ですら元歌と違っているとわかる。

 音楽はある意味で著作権の権利を生むものです。

 ですからそれを教えてと言うことはその権利を買わねばなりません。

 取り敢えず、今の美空に用意できる金を一千万円用意しました。

 それで、歌を、歌い方を美空に教えてください。

 このままでは、美空は明日にでもステージを降りなければならないんです。

 プロの歌手が、歌が下手と言われてしまっては立つ瀬がありません。

 確かに美空の歌はまだまだ未熟かもしれないけれど、いいものを持っているんです。

 私はそれを磨いて出してやりたいんです。」


 それまで黙っていた美空が優奈の目を見て行った。


「私、歌を歌うのが好きです。

 ちょっとばかり見栄えが良くってデビューしたら最初の曲で当たってしまったというのが真実で、自分でも声が出ていないなと思うことがよくあります。

 今、元に、・・・。

 普通の女の子に戻ることは簡単です。

 でも私は歌を歌って喜ぶ人の顔が見たいんです。

 今辞めたら多分もう二度とできないでしょう。

 いずれは辞めなければいけない時期も来ると思います。

 それは少なくとも今ではないと信じたいんです。

 だから、お願いします。

 私は歌手の誇りなんて持ち合わせていません。

 優奈さんにすがって夢が実現できるならば、たとえほんの少しの間だけでもより長くより大きな夢を見られます。

 額が足りないなら借金をしてでも弁済します。

 どうかどうか、横浜慕情の歌い方を教えてください。」


 優奈が少し首を捻ってから言った。


「大橋さんは、活動の拠点が東京ですやん。

 仮にウチが何らかの音楽のレッスンをするとして、何時どうやってするの?

 スケジュール結構埋まっているでしょう?

 ここに来るのにどうしたかは知らないけれど・・・。

 まさか、無断で契約をドタキャンしてないよね?」


 光台寺が答えた。


「表向き、体調不良を理由に静養するということでプロダクションから了解を取り付けています。

 猶予は一週間、それ以上は難しいと思います。」


 優奈が、意味深に葉山女史に目を向けると、葉山女史がため息をつきながら言った。


「売り出し中のアイドルが、ステージを空けるというのはかなりのマイナス要因ですよね。

 プロダクションは切り捨ても覚悟しての了承なのじゃないかしら。

 光台寺さんは、実際問題としてどう受け取っているの?」


 光台寺もため息をついて言った。


「何だかお二人ともまるで業界筋の人みたいですね。

 良くまぁ、知っていること・・・。

 確かにうちの会社は、今回で立ち直ればよし、そうでなければ切り捨てを考えてると思います。

 その限度がせいぜい十日。

 それ以上は・・・。

 そもそも人気商売ですからね。

 三流週刊誌にでも失踪とかドタキャンとか騒がれればもうアウトです。

 ですからうちの会社ではマスコミに対して箝口令を敷いています。

 美空は東京のマンションで静養していることになっているんです。」


「光台寺さん。

 ウチは普通の高校生で、ようやく18歳になったばかり。

 美空さんと同級生なんですよ。

 確か美空さんは5月生まれだったかしら。ウチよりも4か月ほど早く生まれてる。

 なのに、ウチがプロの歌手を1週間かそこいらで劇的に上手くなるように指導できると思いますか?」


 光台寺は言った。


「普通ならばできないでしょうね。

 でも、あなたはミラクル・ユーナです。

 私と美空は、ネットに上がっている貴方の動画を全て見ました。

 アスリートとしての活躍は無論の事、武術家としての貴女、類まれな音楽家としての貴女、そこに天才的な声楽教師としての貴女が居ても何ら不思議はありません。

 昨年英国からの留学生の送別のために開催した音楽会の様子も観て、聴きました。

 神城高吹奏楽部と弦楽部はそこそこ演奏が上手な方かもしれません。

 でも貴女は、そこにピアノの伴奏を入れ込むだけで極上のコンサートに変えてしまった。

 素人ながら不思議に思って、知り合いのピアニストに尋ねてみました。

 すると彼ははっきりと言いました。

『あのピアニストは天才だね。

 あの二つの曲は本来ピアノの伴奏なんぞがあり得るはずのない曲なんだ。

 その曲に伴奏を加えて、主旋律を奏でている未熟者をあそこまで上手く見せることは、僕には絶対できない。

 ほんの少し音階かタイミングがずれただけでも全体のバランスが崩壊するような物凄くキワドイ演奏なんだ。

 まるでマジックだよ。

 世界は広いね。

 あんな隠れた天才が居るんだもの。』

 彼は何の外連けれんもなく貴方を天才だと言っていましたよ。

 そうして貴方が演じた歌のメドレー。

 曲想もジャンルも全く違うのに貴方はそれを歌っている歌手と同等かそれ以上の歌を歌って見せた。

 聞いたのは生の音じゃないです。

 でもそれでさえ感動するのだから生で聞けばそれよりも凄いはず。

 極めつけは、韓国のソニンという歌手とあなたのデュエット、そうして横浜慕情。

 どちらもあなたが天才的ひらめきで編曲したのじゃないのですか?

 ソニンの神戸公演には貴方がいたけれど、大阪の公演ではソニンの傍に貴方は居なかった。

 だから本当にあれは即興のデュエット。

 だからこそ、あの韓国では国楽の神童とも称されているソニンが涙を浮かべて貴方に抱きついた。

 今の美空を託せる人は貴方しかいないと思っています。

 そう信じて、二人恥を忍んでここにやって来ました。

 美空にはもう後がない。

 でもそんな美空に私も賭けることにしたんです。

 どうかお願いです。

 美空に歌い方を教えてやってください。」


 光台寺と美空は揃って頭を深々と下げた。

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