第84話 10-7 お受験その他(1)

 インハイから神戸に戻ったのが8月1日、既に神城高の教務課からは推薦書及び内申書を戴いています。

 後は関係申請書類と共に大学の教務課受験担当へ郵送で送るか、若しくは大学構内事務局の受験申請用投函ポストに置いてくるだけなのです。


 郵送中に事故はないと思うのですが、万全を期すために、現地の様子見を兼ねて優奈は自ら上京して大学へ行き、事務局に提出してくるつもりでいるのです。

 大学受験はあくまで優奈個人の都合であり、部活の陸上とは関わりがないのでOGのサポーターたちには一人で行くと言ってあります。


 まぁ、ホノルルマラソンその他にはついてきてもらっているのですが、18歳未満というハンディをカバーしてもらうためには彼女たちの支援がどうしても必要だったのです。

 それはまだ、優奈が高校生である限り多分続けられるのでしょう。


 OG達もそれには納得していた。

 どちらにしても優奈の生活基盤が神戸を離れれば、彼女たちのサポートは難しくなります。


 但し、随分とお世話になった人たちなので、今後とも親交は続けて行こうと優奈は思っているのです。

 8月22日金曜日、朝8時の新幹線で優奈は上京しました。


 今回は、学生服ではなく私服なのです。

 新幹線で新神戸から東京へ約2時間50分、東京駅で中央線に乗り換えて武蔵境まで約40分、大学までは駅から徒歩5分。


 トータル4時間以内で新神戸から大学に到達できるのです。

 大学も夏休みに入っており、キャンパス内は閑散としていましたが、事務局には人もいて忙しそうに動いていました。


 事務局教務部受験担当の人は席に不在だったのですが、別の事務の方が親切に推薦入学申請用の投函箱のあり場所を教えてくれました。

 透明なアクリルの箱の中に封筒ごと入れるようになっているのです。


 先客がいたようで、大封筒が一つ中に入っているのが見えました。

 規定通り学校名が印刷又は記載された封筒に推薦書在中と朱書されています。


 中には優奈と一緒で一連の書類が収まっているのでしょう。

 優奈が大封筒を投函し、その場を離れようとすると先ほど親切に教えてくれた事務の女性が声をかけてきました。


「あの、間違っていたらごめんなさいね。

 ひょっとして、ミラクル・ユーナと言われている加山優奈さんですか?」


「はい、加山優奈ですけれど・・・・。」


「うーん、やっぱりそうでしたかぁ。

 でも、凄いわねぇ。

 ミラクル・ユーナがうちの大学を受験するなんて、運動ができて、歌が歌えて、おまけに推薦入学だなんて、驚きよ。

 けれど、うん、優奈さんならきっと合格するわね。

 職員一同貴方の入学を待っています。

 きっと来てくださいね。」


 件の女性は、胸に名札を付けており、名前は矢頭由美さん、多分20代後半の若い女性だが役職は教務課課長補佐となっていました。

 優奈は改めて、感謝をこめてありがとうございますと答えたのです。


 上手くすれば、この矢頭さんも新たな優奈の縁者になるかも知れないのです。

 大学の周囲を一回りして立地環境や建物を確認し、武蔵境駅の最寄りで昼食を食べ、それから神戸へUターンです。


 夕方6時前には神戸の自宅に戻っていました。

 但し、往復に際しては、周囲の人からかなりじろじろと視線を浴びていました。


 やはり顔が売れすぎているようですね。

 優奈自身は、できるだけ普通を装いたいのですが、周囲が許してはくれそうにありません。


 優奈自身は左程に思ってはいないのですけれど、かなりの美少女であり、おまけに服装のセンスもいいのです。

 ごく普通のジーンズにTシャツ姿であっても、優奈の足は長いのですごく目立ってしまいます。


 更には日本人離れしたメリハリのあるボディは、間違いなくスーパーモデル以上の雰囲気を周囲に漂わせてしまうのです。

 若い男ならだれでも思わず凝視するし、女性でも間違いなく二度見してしまうのですね。


 そうして見た者は一瞬驚いて、暫し時間が止まっています。

 アイドルが居並ぶ天界から舞い降りた天使のようなものなのです。


 人をひきつけざるを得ない肢体と顔が罪作りなのかもしれません。

 但し、名が売れているせいか痴漢めいた男は一人も現れません。


 下手に近づけば危ないと思われているのは恐らく間違いないのでしょう。

 何しろ神城高校演武会での動画が1年以上も経つのに未だにネットで反響を呼んでいるのです。


 まぁ、確かにあの時は柔道部の猛者たちを遠慮会釈なく倒し、投げていました。

 決してぶったりはしていないのですが、相応の力で優奈に倒され、投げられた男たちは、かなりの痛みを味わったことでしょう。


 出歩くたびに注目されるのは、アイドルとして生きていた前世では随分と慣れていたはずなのに、アイドルにはなりたくない今の優奈は、何時まで経ってもその雰囲気に馴染めないでいるのです。



 8月末に愛媛マラソン、泉州国際マラソン、佐倉朝日健康マラソン、紀州口熊野マラソン、京都木津川マラソンからの招請状が固まってやってきました。

 佐倉は3月開催、他の4か所は2月開催のマラソンです。


 正直なところ佳境に入った受験生に対してマラソンの招請状を出すなんて、一体何を考えているのだろうと常識を疑いつつも、招請状が来ること自体は嬉しいことではありますね。

 まぁ、推薦入学さえうまく終われば、出場できないわけではないのですが、ソウル・マラソンの出場を考えているのでちょっと後ろ向きなのです。


 今回招請状が届いたコースはいずれもJAAFの公認コースではあっても、そもそもオリンピック選考のための大会では無いのです。

 タイム的に2時間を切れば誰もクレームはつけないとは思うのですが、やはりIAAFでゴールドランクを付けているコースで成果を見せるのが一番でしょう。


 国内でその道が閉ざされているのならば、ソウル・マラソンへの参加が至極妥当と思えるのです。

 従って、取りあえず丁重なお断り文を作成して、それぞれの主催者に返信した優奈でした。



 9月になって、カタール潜入中の過激派の動きは活発になって来ました。

 生憎と水面下の動きであり、カタールの治安機関及び各国情報機関はその動きを察知していないようです。


 狙われているのは英国及び米国の選手団と観光客のようです。

 主義主張が異なっていても同じイスラムの同胞を傷つけるつもりは無いようで、カタール王族へのテロではないのです。


 米国選手団の宿泊予定のホテル、英国選手団の宿泊予定のホテル及び欧州各国の金持ちがよく利用する高級ホテルのカタール・ハリエット・ホテルが標的の主要部なのです。

 既に従業員に紛れ込んだテロリストが爆弾を設置済みなのでした。


 仮に事前に摘発を受けたような場合、海外労働者に化けた一団が爆弾を腹に巻いて開会式の会場に特攻する手立ても済んでいるようです。

 匿名による事前のリークは、混乱しか招かないかもしれませんが、大規模な犠牲者を出すよりはましでしょう。


 特に米国選手団や英国選手団のメンバーの中にはロンドン世界陸上で知己になった者も含まれているのです。

 優奈は、日本選手団が出発する前にカタール政府の治安機関に匿名で情報を知らせたのでした。


 勿論、出元を手繰たぐられるようなへまはしません。

 9月10日に出された匿名のテロ情報を元に、その翌日にはカタール王室の秘密警察が動いたのですが、その動きが余りに稚拙ちせつでした。


 爆弾を持っている連中に一斉に襲い掛かり、自爆テロを含む必死の抵抗にあって市民を含め周囲にかなりの被害をもたらしてしまったのです。

 しかも摘発しようとしたのは中枢組織ではなく末端のグループ組織に過ぎず、中枢にいたテロリストのボスは、そのことが分かって時期尚早とは知りながらもテロ発動を前倒ししたのです。


 この結果、陸上競技場施設の天蓋を支える主要な支柱が爆破されてメインスタンドの屋根が崩落し、更にはカタール・ハリエット・ホテル他二つのホテルの3階以上のフロアすべてに設置された爆弾が一斉に爆発、宿泊客350名余りを死傷させた大事件に発展したのです。

 結果として、ドーハ世界陸上は急遽中止となりました。


 崩壊したホテルが米国選手団、英国選手団のそれぞれが宿泊予定のホテルだったことが判明したこともあるし、競技場そのものが天蓋崩落により、予定された開会式までの復旧は到底無理と判断されたからでした。

 テロ発生は周知されてしまったものの、その被害を世界中のマスコミに喧伝するような真似はカタール政府としてもできなかったのです。


 このため、各国選手団の渡航は全てが直前でキャンセルされたのです。

 日本選手団も同じであり、準備だけでも相当のお金がつぎ込まれていたために、陸連としても大きな損害を被ることになりました。


 今回のテロが幸いにして世界陸上開催前でよかったのは間違いありません。

 仮に、開会式開催中に起きていたなら、数千人規模の死傷者が競技場で生まれていたであろうし、競技場から避難した選手たちがホテルに戻ったところを狙って爆破されていれば米英選手団の半数以上が死傷していた可能性があったのです。


 更にハリエットホテルは選手団の宿泊予定にはなかったものの、欧州のセフレ階級が多数宿泊予定であったことから同じくホテルに引き上げた頃を見計らって二度目のテロが発動されれば被害は甚大なものになっていた可能性が高いのです。

 このため事前の匿名情報が重視されて、その発信元を探るべく各国諜報機関が動いたのですが、得られる情報は何もありませんでした。


 ◇◇◇◇


 9月1日、夏休みが終わって二学期が始まりました。

 IAAFは、選手団が狙われた今回のことを非常に重く見ているらしいのですが、ドーハの代わりに別な国で世界陸上を行うという予定は無いようです。


 確かに今からの準備ではまともな競技会はできないでしょう。

 少なくとも国際的なアスリートが動くということはかなり前から準備が必要なのです。

 例えば棒高跳びの選手は事前に送ったポールが手元に戻ってこない限り、他の国際大会には出場できないのです。


 ◇◇◇◇


 9月30日、優奈は新幹線で東京に向かっていました。

 10月1日午前9時半から日本*医生命科学大学の学舎で実施される小テスト受験のためなのです。


 最初の1時間で当日出題される表題に関しての小論文を作成するのが一つ。

 その後45分間で英語と数学の試験問題回答を、マークシートで選択するテストがあるのです。


 そうして更に、通常の入学試験と異なり、推薦入学希望の優奈の場合は、お昼を挟んで、口頭試問と面接が午後2時から約1時間あるのです。

 取り敢えず前日の30日は、吉祥寺駅前の東急インで宿泊、翌朝、二駅先の武蔵境まで移動して試験を受けることになります。


 東急インにチェックインしたのは午後4時頃でした。

 今のところ周囲に不審者は居ない模様ですが、都会になるほど注意が必要なのです。


 特に吉祥寺は、種々のサブカルチャー発祥の地でもあり、自治体や第三セクターなどが若い人に人気のある街づくりをしています。

 また、成蹊大学、東京女子大学が吉祥寺駅から徒歩圏内にあるほか、立教女学院、武蔵野大学、国際基督教大学、亜細亜大学、杏林大学、日本*医生命科学大学、ルーテル学院大学などの大学が近隣にあるため、吉祥寺は下北沢やお茶の水と並ぶ東京有数の「学生の街」としても知られており、若い人の溜り場なのです。


 それは武蔵境についても同じことが言えるのですが、吉祥寺程名前が知られていないし、吉祥寺の場合は中央線のみではなく京王井の頭いのかしら線の終着駅でもあることから人の集中が多いのです。

 実のところ、優奈がその吉祥寺東急インにチェックインしただけで、その日騒ぎが起きてしまいました。


 優奈がホテルの部屋に入ってから1時間ほどして、ホテルの周囲に黒山の人だかりができたらしいのです。

 口コミでミラクル・ユーナが吉祥寺東急インに入ったと伝わったらしいのです。


 本当の口ではなく、最近はメールやチャットでの伝搬速度が凄まじいのです。

 優奈が東急インに入って15分後には井の頭通りに面するホテル側の歩道に若い男女が集まり始め、歩道が歩けないほど渋滞を起こしていたのです。


 その数凡そ千人から千二百人と見られていますが、道路の反対側にたむろする者を含めると二千名を超える人たちが集まったようです。

 話題の優奈は、そうとは知らず、部屋にこもってノートパソコンで受験のための最後の情報収集に余念がないのです。

 

 東急インホテル前の蝟集いしゅう騒ぎは、最終的に警察官が数十人も出動して歩道に屯する若者を少しずつ追い出す形になってようやく収束したのです。

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