第8話 2-3 陸上部への入部

 神城高校陸上部は、昨年まで65名、そのうち23名が卒業し、新たな二年、三年の在校生は42名でした。

 まぁ、その中には名前だけ所属していて、実際にはほとんど練習にも出てこないような幽霊部員も少なからず居るのです。


 元々が進学校だけに部活中心の学校生活はかなり難しいのです。

 特に成績が極端に落ちたような場合は、教師からの勧告により生徒会が部活を強制的に一時中断させるというような荒業的伝統も残っています。


 100メートルの日本新記録を作った長倉中学の加山優奈の名は、陸上部員達も当然のように知っていたのですが、同時に優奈が中学で陸上部に入っていなかったことも事前に知っており、できれば加山優奈には入部して欲しいなという思いはあったけれど、伝統どおり積極的な個別折衝の勧誘はしていなかったのです。

 4月10日月曜日の放課後、部室の前に出していた勧誘用テーブルの前に、優奈が現れた時は、それこそ部長の三年生島田しまだ浩二こうじが驚いた弾みで、座っていた椅子を蹴飛ばして立ち上がったものでした。


 部室に入っていた部員がその音で気づき、窓や部室の入り口から顔を出しての目たかの目で見守る中、島田から入部申請用紙をもらい、優奈は粛々しゅくしゅくと必要事項を記入しました。

 氏名、クラス、住所、連絡先は記入したのですが、希望種目を選択する欄に優奈が望む種目が無かったので、優奈は島田に尋ねました。


「部長さん、希望競技種目の選択項目に、七種競技があれへんのやけど、七種競技を選んではいけませんか?」


「ン、100mやのうて、七種競技って・・・・。

 君がやりたいの?」


「はい、できれば・・・・。」


「うーん、君の体型から言えば、投擲とうてき競技に向いとるとは思えないんやけど・・・。」


 優奈は美少女であることは別にしても、明らかにスレンダーなモデル体型をしているので、どう見ても投擲競技のムキムキマッチョには見えないのです。


「それに、七種競技なんて指導する者がうちにはおらへんやろなぁ。

 顧問こもんの先生かて、ほかにおらへんから顧問になっているだけで具体的な指導なんてでけへんからなぁ。

 有利か不利かは、ようわからへんけど・・・・。

 まぁ、競技人口だけは少ないから入賞には近いかもしれへんなぁ。

 いずれにしろ、その欄の空いているところに七種競技希望と手書きで書いてくれればええよ。」


 その上で島田は背後を振り返って言った。


佳那かな、女子の七種競技って何するんだっけか?」


 佳那と呼ばれたボブカットの少女が少し考え込みながら言う。


「えっとねぇ・・・・。

 確か100mハードルに、砲丸投げ、走幅跳び、走高跳、槍投げ、・・・・。

 それに200mと・・・。

 ン?あと一つ何だっけ?」


 と、六つまで指折り数えて、佳奈は頭の上に?マークを浮かべている。

 苦笑しながら優奈が言った。


「800mです。」


 それを聞いて、頷きながら島田が言う。


「うーん、ハードルの機材はあるし、ハードルの女子選手はおらんけど、男子選手はおるよなぁ。

 砲丸投げは緑山みどりやま冴子さえこ、走幅跳びは中野なかの由紀ゆき、走高跳びは橋本はしもと恵理子えりこ、槍投げは合田ごうだ淑子よしこ、200mは佳那やし、800mは本山もとやま有紀ゆきがおるな。

 一応、個別練習には困らへんなぁ・・・・。

 で、因みにこれまでの記録は?」


「残念ながら100m以外の記録は有りません。」


「そっかぁ、100mは10秒台やったねぇ。

 おい、佳那、お前の記録は?」


「あのねぇ、いくら何でも日本記録保持者の優奈ちゃんと比べないでよねぇ。

 自慢じゃないけれど、今のところ、うちは100mで12秒84が最高なんよ。

 優奈ちゃんと一緒に走ったら、多分間違いなく20mの差がついちゃうよ。」


 島田が頷きながら言う。


「うん、・・・。

 まぁ、そうやろなぁ。

 うちの男子でも11秒台が精いっぱいだかんなぁ。」


 そんな中で矢島佳那が不思議そうに言った。


「優奈ちゃんが陸上部に入ってくれて、うちらとっても嬉しいのやけど・・・。

 でも、なんで優奈ちゃん、陸上部に来たん?

 中学では勧誘されても応じなかったのやろ?

 長倉出身の子からそう聞いてたけど・・・。」


「山名陽子さんに直接お願いされちゃったんです

 高校に入ったら是非陸上部に入ってほしいって。」


さんって、・・・。

 短距離選手の?」


 優奈が頷くと、ざわざわと部員達がざわついた。

 雲の上の人の名が出たからに違いない。


 高校生でもトップクラスになれば国体や競技会などで会うこともできますが、少なくとも神城高生で山名陽子に直接会った者はいないはずなのです。


 ◇◇◇◇

 

 陸上部に入部したことで、優奈は校名入りの陸上部のジャージ上(白基調、赤色ライン)と競技会用のハーフトップ及びレーシング・ブルマー更にランニング・ショーツにノースリーブのランニング・シャツ をもらうことになったのですが、ジャージ下については生憎あいにくと高身長の優奈に合うサイズが無く、神城高出入りのスポーツ店に頼むことになったのです。

 出来上がるまでは中学時代のジャージなどでも差し支えないし、入学に合わせて購入した学校制定の体操着でも代用できるらしいのです。


 特別オーダーのために、優奈の股下サイズを陸上部副部長の矢島佳那が測ってくれました。

 矢島佳那は女子部員のとりまとめ的な人物であるようです。


 その佳那の話では、シューズとスパイクはやはり個人負担になるようですね。

 トレーニングシューズとスパイクについては、個人練習用のスポーツウェア、それにスポーツバッグやタオルなどと一緒に、4月9日(日曜日)に、神戸ハーバーランドのゼ❆オで購入していました。


 そのためにこれまで貯め込んだ優奈のお小遣いがかなり減ったのは確かです。

 スポーツウェアを含めてスポーツ用品は、全般的に結構高いのです。


 ましてや優奈は予備を含めてダブルで購入したからなおさらです。

 ハーフトップとレーシング・ブルマーの上下セットで、いいものは1セット1万円を超えるし、普通のノースリーブのランニング・シャツとランニング・ショーツも1セット8千円越え、スポーツバッグも7千円、シューズ1足が約7千円、スパイク・シューズが1万4千円弱なのです。


 その他諸々を含めて日曜日だけで12万円ほどの買い物をしちゃいました。

 優奈がスポーツウェアなどを本格的に買うのは初めてのことです。


 中学の時にたった一度だけ参加した競技会ではスパイク・シューズなんて持っていませんでしたから、普通の運動靴と袖なしシャツ、それに学校のブルマーで済ませて日本記録を出しちゃいました。

 因みに、優奈は中学の陸上部員ではなかったので長倉中学のロゴもない服装でしたヨ。


 前世の平成社会では、ブルマーを体操着として指定する学校はどこにもなかったはずなのですが、現世の嘉成社会では、逆にいずれの学校でもブルマーが女子生徒の体操着として定着しているのです。

 いずれにしろ、陸上で短距離の種目やフィールド競技を全天候型トラックで行うつもりなら、多少の雨天でも競技は続行するらしいので、専用のスパイク・シューズはやはり必要なのです。


 入部手続きの終わった翌日、陸上部の初めての部活で顔合わせがありました。

 グランドに運動のできる服装で集まって自己紹介をし、4月30日に予定されている市民陸上競技会と高体連神戸地区予選会の参加について説明があったのです。


 優奈は、制服と一緒に準備して貰っていた学校の体育用ジャージを身に着けて、下に一応ランニング・シャツとランニング・ショーツを着用しています。

 新入生については、4月1日の申し込み締め切り期限に間に合わなかったので、4月30日の市民陸上競技会には出場できません。


 4月中に開催される競技会や記録会はほとんどが二年生、三年生が参加するものなのです。

 新入生が実際に参加できるのは、5月末に開催される高体連神戸地区予選からなのです。


 要綱ようこうによれば、この予選会には一人三種目までの出場が可能であり、リレーについてはこの三種目には数えないので重複しても構わないようです。

 優奈は勿論七種競技に参加することになるはずです。


 神城高生で七種競技をする者は、優奈以外にいないので他の生徒との重複もありません。

 高体連の競技会には、一応一つの高校で一種目三名までという枠があるので種目が被ると出場できない部員も出てくる場合があるのです。


 副部長の矢島佳那が女子部員28名を集めた場所でいきなり切り出しました。


「高体連予選のリレーには、できれば優奈ちゃんも参加してほしいのやけど、優奈ちゃんに余裕あるかなぁ?」


 優奈は配られた地区予選の日程表を見ながら言った。


「うーん、やったことはないですけど・・・。

 リレーもタイムレースなので予選・決勝があるわけじゃ無いですし、大丈夫じゃないでしょうかねぇ。

 ただ、第一日目の七種の200mのすぐ後に4×100mリレーやから・・・。

 走れないわけではないですけれど、下手をすると集合時間に間に合わなくなるかもしれません。

 第3日目の4×400mは他の種目と被っていないし、次の800までは少し時間がありそうですけれど。」


 三年の新藤しんどう恵美えみが慌てて発言しました。


「佳那、優奈ちゃんが良くてもそれはちょっと無理やで。

 高体連の要綱では、本来一人三種目しかノミネートできないんよ。

 リレーは別枠と言っても、優奈ちゃんは元々七種目に出場するんやから、そもそもオーバーワークに過ぎるじゃん。

 ましてや目一杯400走った後に800走るなんて、仮に走れても記録がめちゃくちゃになるやんか。

 リレーだからトラックは重ならんやろうけど、フィールドは重なるかも知れへんし、それに、もし近畿大会に行ったなら予選かてあるでぇ。

 仮に良い成績を残せるとしても、近畿大会や本大会でリレーに参加できるかどうかわからない選手を選んじゃいけないよ。

 近畿大会や全国大会では予選も決勝もあるしなぁ・・・・。

 七種を止めてリレーだけの出場なら何とでもなるやろうけど・・・。

 七種は元々出場選手が少ないだけに優奈ちゃんが残る可能性は高い。

 去年の地区予選で、七種の出場選手は確か5人だけやったし、そのうち二位か三位ぐらいまでは近畿大会に出られるんよ。

 優奈ちゃんの成績は今のところ不明やけど、スプリントで日本記録を持つ人なら200m、800m、走り幅跳びだけでも多分トップに迫れるんやないかな。

 多分、余程のことがない限り全国に出られる可能性が高いと思うわ。

 そやから、いくらリレーで近畿大会や全国に出られる可能性がある言うても、優奈ちゃんの足を私たちが引っ張っちゃいけんのやないか?」


 佳那がぼりぼりと頭を掻きながら言った。


「うーん、やっぱりアカンかぁ。

 去年の成績が51秒台だからねぇ。

 今回、辺見へんみ理子りこちゃんと優奈ちゃんがリレーに入ってくれたなら、上手くすれば県予選で上位入賞もあるかなと思ったんやけれど・・・・。」


 同じく三年生の高橋たかはし美幸みゆきが口を挟んだ。


「数年前に京都の高校生が七種と100mハードル、それに400リレーと1600リレーにも出て凄い記録を出したことがあるんや。

 その人は、今は関東の大学に行っているはずや。

 だからできないわけやないけど・・・・。

 その人が出たんは、1年生の時やのうて、確か3年生の時やったと思う。

 優奈ちゃん、ハードルを含めて七種目の競技会には一度も出たことないのやろぅ?

 これから一月半で、七種競技を一通り練習するだけでも結構大変やしぃ。

 100mは全力で走り切ればいいだけやろうけど、200や800は、力加減が難しいでぇ。

 ハードルに幅跳びや高跳びは技術も要るやろし、投擲競技は言わずもがな・・・。

 取り敢えず、1年の今回は、様子を見た方がええんやないかな。

 その状況次第で来年から別の種目出場も考えたらええ。

 今は優奈ちゃんには潰れて欲しゅうないわ。

 ところで辺見理子ちゃんは、400mは走ったことがあるん?」


 辺見理子はボブカットの小柄な一年生なのです。

 小柄とは言っても160センチ近くはある筈なのですが、174センチもある優奈に比べるとかなりの身長差があるのです。


 優奈がたった一度出場した中学の100mで、表彰台に彼女も残っており、確か三位に入ったような記憶があるのです。

 表彰台に一緒に乗った子は、意外と覚えているものですね。


 そうした理子の記録は部の先輩たちも十分承知しているようです。

 辺見理子は目をぱちくりしながら言った。


「中学では100と200だけで、400は未経験ですぅ。」


 矢島佳那が頷きながらボソッと言った。


「まぁ、いずれにしろ、新入生は一度走らせてみようかね。

 今月末までに陸協に登録もせんとあかんやろし。」


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 4月5日、一部字句修正を行いました。


  By @Sakura-shougen


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