第7話 2-2 高校の部活

 優奈はあちらこちらから舞い込んだそれら全ての勧誘を丁重にお断りし、地元の神城かみしろ高校を受験しました。

 理由は至って単純なのです。


 優奈の家が長倉中学と神城高校の中間付近にあり、近隣の高校では神城高校が最も通学に便利であったからに他ならないのです。

 加山家の近くには、私立の松*女子高、海*女子学院などもあったし、公立では*合高校などもあるのですが、優奈の家から一番近いのが神城高校であったのです。


 県立神城高校は、兵庫県内でも比較的偏差値の高い進学校として有名なのですが、特に神城高校の統合理学科は桁違いの難関として良く知られているのです。

 その統合理学科に優奈は悠々とトップ合格し、入学式では新入生総代として挨拶をしなければならない羽目になってしまいました。


 優奈は、無論目立たないようにするために、それなりにセーブはしたつもりなのですが、試験に落ちては困るという不安感が若干あったこともあって、セーブの仕方が足りなかったかもしれません。

 神城高校統合理学科は、昨年まで定員四十名だったものが今年から定員70名の二クラス制になって枠が広がったのですが、依然として兵庫県下では最難関の公立高校なのです。


 定員七十名に対して今年の受験生は百三十六名だったので受験生の半分ほどが落ちたことになります。

 まぁ、受験戦争ともいわれる選抜試験ですから相応の不合格者が出るのもやむを得ないのでしょうけれど、今年の入学試験はそもそも難問があったり、問題をしっかりと読まないと勘違いしやすい質問表記になっていたりしたため、難易度が例年になく高かったようで、これまでの合格者最低点が五教科で概ね四百二十点前後であるのに比べ、今年は平均点で六十点ほど下回る三百七十五点前後、合格者の最低点数は五教科で実に三百五十点ほどにまで落ち込んでいたのです。

 

 更に統合理学科の入試で課される第二数学、第二理科及び第二英語の試験正解率も難問が多くて平均で正解率が五十パーセント以下と下がっていたのですが、優奈はいつも通りに敢えて全問正解とはせずに正解率九割程度にセーブして回答を出していたので、五教科の得点で四百五十五点、付加三教科で二百七十四点、論文で九十八点、合計八百二十七点になっていたのです。

 

 因みに優奈の中学の成績はオール五でしたから、内申点は満点に近いはずでした。

 従って、入試及び内申点の合計は間違いなく優奈が予想した九割を超えていたのですが、その年に限って言えば、次点は五教科で四百二点、付加三教科で百九十四点であったものですから、二位の者とは少なくとも百三十点ほどの大差がついてしまっていたのです。

 

 入試合格者で最高得点と最低得点の差が百三十点ほどになることはままあることですが、少なくともトップと次点の者との差が百三十点にも開くことは如何に神城高校といえどもこれまでに無かったことでした。

 これらの入試結果の合否は別として、個別点数が公開されることはないので、一般に知られることはなかったのですが、優奈は此処でも人知れず兵庫県教育委員会及び神城高校教員の注目を集めていたことになるのです。

 

 4月7日に神城高校の入学式がありました。

 流石に新入生総代になってしまった優奈は、総代と云うことだけでも目立ってしまったのですが、新入生の大部分がそれぞれの出身中学の制服のままである中で、優奈がきっちりと神城高の制服を着ていたことから一際ひときわ目立ってしまったのです。


 実のところ、制服の採寸は入学式の直前に学校主催で行われ、そこで採寸をされた場合、入学式の際は制服がまだ出来上がっていないことがほとんどなのです。

 そのような場合は、当然に私服若しくは中学校の制服等で入学式に臨むことにならざるを得ないわけで、特段の規則はないものの伝統的に入学式を含む当座の期間は中学の制服でも差し支えないとされ、入学式の通知文にその旨が記載されているのです。

 

 尤も、優奈のように、学校行事の一環として行われる制服採寸日ではなく、事前に指定の店で作ってもらう場合は、入学式の際にはできあがっていることもあるのです。

 但し、入試の合格発表は3月19日なので、オーダーメイドの場合ではその発表のすぐ後に申し込んで入学式にぎりぎり間に合うかどうかなのです。

 

 そもそも新入生全員が大挙して発注すると、イージーオーダーであっても物理的に入学式までに間に合わないことがはっきりとしているので、制服が間に合わない生徒のためにも入学式には神城高の制服でなくても構わないとした伝統があり、なおかつ四月に入ってから制服の採寸を学校側がまとめて行っているのです。

 

 この場合、制服の引き渡しは最長で五月半ばとなり、その引き渡しが済むまでは登校の際の服装に縛りが無いことになるのです。

 特段の規則があるわけではないのですが、神城高の場合、従前からそのような不文律となっているのです。

 

 優奈の場合は、普段の成績から見て合格間違いなしと判断した母聖子が高校入学試験の際には既に制服を注文し終えていたのです。

 そんな事情で、優奈は、母聖子に言われて神城高の制服を着用して入学式に臨んだわけなのですが、あいにくと新入生で神城高の制服を着ている者は優奈以外には居なかったのです。

 

 仮に優奈が神城高の制服姿でなかったとしても、一年半ほど前にネットでかなり騒がれて、その美少女ぶりがかなり知れ渡っていたので、それだけでも目立つ存在であり、高身長でモデル顔負けのスレンダーな肢体と小顔で彫の深い顔は、必ずと言ってよいほどに出会った者に大きな感銘を残すのです。

 優奈のそうした美少女然とした姿は、思春期の男子に少なからぬ影響を与えたに違いないのですが、アイドルになりたくない優奈は意外とそんなことには無頓着なのです。


 ◇◇◇◇

 

 入学式後の一週間は、部活の勧誘が盛んにあるのですが、廊下などで不特定多数を対象にした呼び込みだけで、特定の人物をターゲットにした個別折衝は一切ありません。

 それが神城高の伝統でもあるのです。


 何でもかなり昔に個別折衝で、脅迫じみたやり方で無理やり部活に引き込まれた生徒がいて、それがもとで自殺未遂騒ぎにまでなったことから生徒会の申し合わせ事項として無理な勧誘は決してしないという伝統が根付いているようなのです。

 部活は、大きく分けて文化部と運動部があり、学校側はいずれかの部活に属するよう推奨しているのですが、何処にも所属しない帰宅部も少なからず存在し、また、放送部などの特別部もあるようです。


 優奈のクラスは統合理学科なので、クラスメイトは自然科学部に入る者が多いようです。

 以前の優奈ならば、将来を見据えて間違いなく自然科学部に入っていた筈です。


 但し、優奈は、高校受験前にとある魅力的な女性と約束をしていたのです。

 女子陸上百メートルの前日本記録保持者であった山名陽子さんがわざわざ遠隔の地から優奈の家を訪ねて来たのでした。


 勿論、山名さんが優奈の家を知っていたわけではありません。

 長倉中学陸上部顧問の高梨先生を訪ね、彼の案内で優奈の家までたどり着いたのでした。

 

 日本陸上連盟の意向を受けて来ましたと予め前置きしつつも、山名陽子さんから高校に入ったなら是非陸上部に入ってほしいと個人的にお願いされたのです。

 山名さんは女子陸上の牽引役として日本だけではなくアジア陸上界の底辺を引き揚げてきたという自負心を熱く語り、日本記録を破った優奈にその任を引き継いで欲しいと申し出たのです。

 

 優奈がそのようなことは大人がすべきことであり、十代半ばの女子にできることではないのではないかと言うと、山名さんは年齢に関わらず才能ある者が引っ張らなければどんな社会でも長続きしないと断言し、優奈にできないことがあれば山名達先輩ができる限りの支援をすると約束したのです。

 

 優奈は、真摯しんしにお願いされると弱いところがあります。

 結局、優奈は山名陽子さんの情熱にほだされ、高校では陸上部に入るという約束をしてしまったのです。


 ===========================


 4月5日、一部字句修正を行いました。


  By @Sakura-shougen


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る