第二章 陸上部

第6話 2-1 陸上競技の馴れ初め

 加山かやま優奈ゆうなは十五歳、この三月に神戸市立長倉ながくら中学校を卒業、四月に兵庫県立神城かみしろ高校の一年生になったばかりなのです。

 実のところ、優奈は中学時代にかなりの有名人になってしまっているのです。


 長倉中学二年生の通学途中に偶然撮られた制服姿の写真一枚が勝手にネットに上げられ、何時の間にやら、全国的な美少女アイドルに祭り上げられたことがあるのです。

 ネットに掲載された時点では名も知られているわけでもなかったのですが、中学の制服から通学先を特定されてしまい、お陰でアイドルタレントを抱える多数のプロダクションから、朝討あさうち、夜掛よがけに、路上待ち受けと、かなりのスカウト攻勢をかけられたのです。


 でも、家族一丸となって、何とかしつこいスカウトマンを振り切り、あるいは撃退した経緯があるのです。

 優奈には、絶対的信念があり、アイドルとは周りからながめ、あがめるものであって、決して自分がなるものではないと考えているのです。


 優奈には前世の明確な記憶があるのです。

 何故、あるいは、どうして現世に生まれ変わったのかはわからないのですが、前世では十代半ばからアイドル歌手となって、みんなに愛され、持てはやされていた確かな記憶があるのです。。


 前世では、芸能界特有のアイドルにありがちな過激なスケジュールが続き、ついには過労で病気になり、あっけなく早逝そうせいしてしまったのです。

 アイドルとしては、わずかに二年半余りのはかない命でした。

 

 そうして現世で目覚めた時は、生まれたばかりの乳幼児ちのみごになっていました。

 両親や祖父母の慈愛、それに周囲に存在した精霊さんや妖精さん達の好意に支えられて、健やかに育った優奈は、前世の知識を持ったままに別の人生をやり直すことになったのです。


 西暦で言えば前世の優奈が生まれた日と同じ日に生まれた優奈なのですが、日本であるはずなのにが違っていました。

 前世では「平成」、現世の世界では「嘉成かせい」という違いがあるのです。


 優奈自身は、前世と今生きている現世とでは、歴史などが微妙に違うような気がしているのですが、優奈も前世の歴史の詳細を全て覚えているわけではないので明確な違いを列挙できるわけではないのです。

 それでも、例えば、大坂冬の陣はあったけれど、大阪夏の陣は起きずに、豊臣秀頼は大阪城を徳川に明け渡して伊勢大和の一大名となり子孫を残していましたし、日露戦争の結果、樺太からふと全島が一括してロシアから日本へ割譲かつじょうされていました。


 第二次大戦の後では、樺太の領有権は失っているのですが、北方四島(歯舞はぼまい色丹しこたん国後くなしり択捉えとろふ島)を含む千島列島は日本領土のままで、ロシアとの間で平和条約は締結済みであり、領土問題は発生していないのです。

 従って、優奈も自分は前世とは違う別の世界にいると確信しています。


 家族にも前世の記憶があることは秘密にしています。

 両親は、科学に裏付けられた知識と技術を持つ医者ですから、神がかり的な心霊現象は信じていませんし、神様等への信仰心もどちらかというと薄いですから、両親に打ち明けても、おそらくは転生自体を信じてもらえないでしょう。


 仮に転生を信じさせようとするならば、かなりの労力と時間が必要なはずですし、下手へたをすれば両親の娘としての地位すらも猜疑心さいぎしんで危うくなるかもしれません。

 ここは昔からの言い伝え通り「さわらぬ神にたたりなし」とすべきなのです。


 両親の私に対する愛情は知っていますから、えて波風を立てたくはないのです。

 このことは生涯内緒にすべきだと決めていることなのです。


 因みにという優奈の前世でのアイドルは、どうも現世には存在していない様なのです。

 中学卒業から高校入学までの短い春休み期間中に、優奈がわざわざ茅ケ崎ちがさきまで出向いて記憶している実家の地番を探してみたのですが、見知らぬ古い民家はあったものの記憶にある前世の我が家は存在していなかったのです。


 前世では高校入学時には茅ケ崎に住んでおり、15歳の夏に東京でデビューし、18歳の初春には死んでいました。

 高校一年の夏にアイドルとなり、高校卒業前に死んだことになりますね。

 

 前世の記憶では、確か天皇陛下の健康がすぐれないことから平成30年頃を目途に平成天皇が退位するような話が進んでいたように思うのですが、その後の進展は優奈は良く知りません。

 でも現世では、少なくとも嘉成29年(2017年)の春の段階では天皇陛下は凄く元気なご様子ですし、現首相も「由香里」の記憶にある政治家とは異なる名前の人ですので優奈の前世に関する歴史的な知識はあまり役立たないような気がします。

 

 いずれにせよ、現世でもアイドル業界の実態は何も変わってはいないような気がしますので、アイドルやタレントになるのは絶対にお断りなのです。

 そうして急逝きゅうせいした前世の記憶がある所為せいか、幼い頃から健康には随分と気を使い、身体も鍛錬たんれんをして丈夫になったつもりなのです。


 勉強について言うと、前世では、アイドルでいそがしかった所為で、高校の授業の一部を不完全ながらも何とか受けていた程度の状態でしたから、現世では、小学校に入る前からちびちびと中学・高校・大学レベルの知識習得に努めて必要な準備をしてきています。

 そのため、その意図さえあれば、なるものを利用して小学校や中学校卒業時にいきなり大学の受験資格を得ることも可能だったのですけれど、優奈は前世で謳歌おうかできなかった青春時代を満喫まんきつするためにも通常の方法で高校・大学へ進学することに決めていたのです。


 おそらく現時点で大学卒業程度の知識は持っているのではないかと思うのですけれど、目立たないようにするため普段から敢えてその学力の高さをセーブしている面はあるのです。

 まぁ、少なくとも勉強の面では、家庭環境が整っていますし、優奈を支援してくれる精霊さんや妖精さんという好意的な秘密存在があった故に得ることのできた成果ではあるのです。


 精霊さんや妖精さん達曰く、優奈の放つオーラの光輝を浴びることがとても気持ちが良いらしく、その所為もあって精霊さんや妖精さん達が優奈の周囲に集まって来て色々と世話を焼き、支援をしてくれるのです。

 

 両親が共に医者であり、少なくとも経済面での心配は全くありませんでした。

 また、父方の家系は一子相伝の古武術を代々受け継いでいたのですが、一人息子の父がそれを受け継がずに医者になってしまったので、古武術の伝承は祖父の代で途絶えるはずだったのです。


 でも、幼い優奈がそれを知って、祖父に「教えて」と可愛い顔で頼んだことでその幻の伝承技が残されるようになりました。

 『可愛い顔』と言えば、面白いことに顔立ちは前世と少し違うものの、すぐにでもアイドルになれるタイプには間違いないと優奈自身も思っているのです。


 いずれにしろ古武術を幼い頃から教えられたことと、自力で特殊な鍛錬を秘密裏に行った所為かもしれませんが、優奈はすくすくと良く育ち、前世では17歳の折りに156センチほどしかなかった身長が、15歳の今現在は174センチもあるのです。

 高身長でも決して太ってはおらず、しなやかな筋肉を持ったスレンダーな肢体と長い脚は、売れっ子のファッション・モデルのようでもあるのです。


 155センチに満たない母が優奈を見上げながら時折言うのです。


「自分で産み、育てたはずなのに、優奈は本当に私の子なのかしらって思うことが時々あるのよね。」


 母も美人なのですが、優奈とは雰囲気が違うおっとりとした和風美人なのですよ。

 一方で、優奈の場合は、自画自賛ではないですけれど、どちらかというとハーフに似た顔立ちの洋風美人だと優奈自身も思っています。


 ファッション界のスーパーモデルであるシンディー・❆ェンナーに少し似ているかもしれないですね。

 アイドルタレントの記憶を持った優奈がそう認めるのですから決して勘違いではないはずなのです。

 

 そうして高校入学前に優奈が有名になるもう一つの切っ掛けは、陸上競技でした。

 長倉中学の陸上部顧問であり、優奈のクラスの担任教師でもあった高梨たかなし先生のたってのお願いを断り切れず、中学三年の11月に開催された神戸市中学校陸上競技秋季記録会の百メートル競技に優奈は出場したことがあるのです。


 それまでの百メートルの中学女子記録は11秒61、日本記録で11秒19であったのですが、優奈が出場してあっさり10秒52の新記録で破ったことがもう一つの有名になってしまう原因なのです。


 教員としてまだ経験が浅い高梨先生は、顧問となっている陸上部の成績が余り思わしくないことに焦燥感しょうそうかんを覚え、担任クラスの生徒の中でも活発で運動神経が良く、なおかつ成績優秀な優奈に陸上記録会に出場してもらい、長倉中学陸上部の成績を少しでも押し上げてもらえればと安易あんいに考えてしまったのです。

 高校受験を控えた三年生に普通ならば頼めることでは無いのですが、学年トップ、全国中学模試でもトップテンに入る学力を有する優奈ならば、日曜日に、ほんの半日出場するだけならば何ら問題はないと判断してのお願いだったのです。


 実のところ、高梨先生は、優奈が尋常じんじょうではない運動能力の持ち主であることには全く気づいていなかったのです。

 まぁ、優奈が徹底して隠していましたから知るはずもないのですけれどね。


 陸上部に入って短距離選手になっている同じクラスの葉山節子よりも足が速そうに見えたので、単に『お願い』しただけであり、それ以上の考えも理由も無かったのでした。

 別に中学校の正規の陸上部員でなくても、神戸市の中学陸上競技協会に登録していれば記録会出場は可能であったのです。


 登録は僅かな経費でできるものであり、高梨先生は優奈に出場してもらうことを条件にその登録経費や当日の交通費、昼食代までも負担したのです。

 こうして優奈がそれこそ臨時アルバイトに近い状況で出場に必要な登録を済ませて女子百メートルにのぞんだわけなのです。


 優奈も一応長倉中学の看板を背負って出場する以上は、母校の名誉のために少しは頑張ろうかなと安易に考えていました。

 そうして三組ほどに分かれてのタイムレースの記録会でしたので、学校でやっているように二位でゴールするというような器用な真似もできるはずもなく、百メートルをかなりの力を発揮して(それなりのセーブはしたのですが・・・)走り切った結果が、前代未聞の10秒台という日本新記録であり、しかも世界記録までわずかに百分の三秒差であったことから、陸上競技界からしっかりと注目されてしまったのです。


 一方で優奈を引っ張り出した高梨先生は、予想だにしなかったまさかの成績に終始唖然としていたのが実情でした。

 一度だけの出場という約束でしたので、勿論それ以後の競技会には一切出場していません。


 但し、女子陸上で名門校と呼ばれる高校などから盛大なラブコールが優奈の元へ相次いだのは当然のことかもしれませんね。

 兵庫県内では❆磨学園、西❆高校など、近畿一円では大阪の東大阪大敬❆高校、奈良の❆上高校、京都の❆高校と❆南高校などが続き、その他関東、東北、九州・四国の有名私立高校からも特待生扱いでの熱烈勧誘があったのです。


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 4月5日、一部字句修正を行いました。


  By @Sakura-shougen


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