第3話 1-3 転生(3)

 三歳の時に祖父である久三きゅうぞうが屋敷の庭の一角で古武術の鍛錬をしているのを見て、興味を持った優奈がお願いして古武術を教えてもらうようになりました。

 久三は一子相伝いっしそうでん鞍馬古流くらまこりゅう鬼一きいち楊心流ようしんりゅう宗家そうけであったのですが、その息子敦夫は、幼少時から多少の訓練は受けてはいたものの、学問に傾倒けいとうして医師を目指すことになったため、一子相伝の古武術は久三の代で絶えようとしていたのです。


 久三は、鬼一楊心流が自分の代で絶えることをひどく残念には思っていたのですが、古武術そのものが現代では生かしきれない実践武道であり、久三の祖父の代から道場もなく弟子もいないことから宗家の存続を半ば諦めていたのです。

 それでも常日頃の自己鍛錬だけは隠居後も怠っていませんでした。


 優奈が「教えて」と可愛くお願いして来たので、女には無理と承知しつつも久三は優奈に手ほどきを行ったのです。

 久三が驚いたことに、優奈は三歳児とは思えないほどの敏捷性と柔軟性を示し、同時に海綿が水を吸い込むがごとく久三の教えを吸収して行きました。


 鬼一楊心流は、鎌倉時代から戦国時代にかけての乱世の戦に合わせて生まれた古武術の流派の一つであり、暗器を含む武具を使用することもあるのですが、徒手空拳で武器を持つ相手と戦うことも想定した驚異の格闘術なのです。

 自分の身を守ることを優先する現代の武道とは一線を画しており、武人相手にとどめを差すまでを本道とする実践的武術体系なのです。


 従って使用する武具は、剣、槍、弓、手裏剣、棒、釈、路傍の石など多岐にわたっており、人体の急所を徹底して突く武術でもあったのです。

 刀剣などの本身ほんみを使う稽古けいこもありましたが、優奈が十歳になるまではあくまで木刀や竹刀など練習用の武具を用いて鍛錬が行われました。


 そうして優奈が十歳の誕生日を迎える頃には宗家である久三をさえ凌ぐ力量を示したため、以後は加山家に伝わる各種本身を使っての稽古に変わりました。

 その結果、優奈が十二歳の小学校卒業時、久三は鬼一楊心流の免許皆伝と宗家継承をおごそかに優奈に伝えたのです。


 久三の望外ぼうがいなことに一子相伝の鬼一楊心流は絶えることなく、孫の優奈に引き継がれたのです。

 祖父から宗家伝承を認められたものの、そのこと自体は社会的に広報されるような性格のものではありません。


 弟子が多数存在する道場があれば違ったかもしれないのですが、庭先での稽古の終了時に祖父久三から鬼一楊心流宗家の名跡みょうせきを優奈に引き継ぐとだけ言われたのです。

 優奈は、前世で過労死に因る急死の件もあって、健康には特に気を使い、また自らの超能力を駆使して体力と持久力に磨きをかけたので、いわゆる通常の人とは異なる動きができるのです。


 膂力りょりょく敏捷性びんしょうせいとも各界のアスリートをはるかに上回る力を持つに至っていたのです。

 このため、優奈が普段生活する上では、如何にその力を隠して普通の人と同じように見せるかが大事な留意点になっていました。


 これは勉強においても同じなのです。

 高校卒業程度の学力を持った子が六歳か七歳で小学校に通うことになるのです。


 勉強など何もしなくても満点は取れるのですが、後々の事を考え、満点には決してならないよう調整をしていた優奈であり、学校の授業の際は退屈なので、精霊さんや妖精さん達にお願いして国立神戸大学や大阪大学の教授の授業をできるだけ聞くようにしていました。

 そんなことをしていながらも、小学校の先生の話はきちんと聞いており、時折、指名された時の質問には的確に答えているのです。


 優奈は、既にマルチコアMPUのように同時に複数の思考処理ができる異能を身に付けていました。

 従って小学校の時は、全科目が五段階の最高評価である五であり、優奈は幼い頃から同級生や先生には賢い子として知られていたのです。


 前世からの引継ぎかどうか、音楽関係でも絶対音感と共に非凡な才能を持っており、5歳の誕生日にエレクトーンを、6歳の誕生日にはフルートを、7歳の誕生日にはヴァイオリンを、8歳の誕生日にはサックスを、9歳の誕生日にはギターを、10歳の誕生日には琴をそれぞれ購入して貰いました。

 最初の一月だけは週に二回程度のペースでそれぞれの楽器の家庭教師(武庫川女子大器楽部の大学生のアルバイトさんでした。)をつけてもらったのですが、その後は全くの独学で自分の部屋で練習しているのです。


 いずれの楽器もその感性と適応能力の高さからプロ並みに演奏できるようになっているのですが、その能力もできるだけ秘匿し、表立って他人に聴かせる時にはそれなりの音でごまかしているのが実情なのです。

 スポーツ万能で健康に留意しているためか、優奈はすくすくと育ち、年齢に応じた平均以上の身長を得ていました。


 小学校卒業時の身長は162センチに達し、健康的な素肌の美少女になっていました。

 12歳女児の平均身長は152センチほどなので、特別に大きいというわけでもなかったのですが、前世では17歳で156センチの身長しか無かったものが、12歳で162センチもあり、しかも脚が長かったのです。


 座高81センチに、股下83センチは流石に短足胴長で有名な日本人としては長過ぎですよねぇ。

 因みに平均座高では12歳で82センチ(身長152センチ)ほどなので、優奈の座高は平均よりもむしろ低いのです。


 欧米の児童でもこれほど脚が長い子は少ないかもしれません。

 教室で座っている時は、他の子どもたちよりもむしろ低いぐらいで目立たないのですが、立ち上がると学年でもトップクラスの身長となってその美形とともにやけに目立つことになるのです。


 どうやっても目立つことが避けられないとは分かっていても、優奈はできるだけ普通の子供として目立たないように常日頃から努力を惜しみませんでした。

 運動会では大体二位につけるようにしているのですが、クラス対抗のリレーの選手になるとそうも言っておられずに、前にいる選手を片っ端から追い抜いてしまうので、同級生からは足の速い子というイメージはついて回っていました。


 運動はスポーツ万能でしたね。

 どんなことをやらせても卒なく何でも上手にできる子と見られていたようです。


 できるだけ目立たないようにしては居ても、どうしても美少女ゆえに目立ってしまう優奈ではあったのですが、周囲の人たちはそんな優奈を目いっぱいの力を出していないからと言って非難することはありませんでした。

 女の子は控えめの方がいいというような風潮があったのかも知れませんね。


 ただし、そんな中でも祖父の久三だけは、優奈の身体能力が明らかに異常であることを知っていたのですが、それを家族にでさえ話すことはありませんでした。

 久三も鬼一楊心流の宗家として跡を継いだ際に、先代から先祖代々の教えを受け継いでいたのです。


 鬼一楊心流の使い手としては、何事においても目立たぬことが肝要であり、戦場においても目立たぬことで強敵を油断せしめ、相手を打倒すという極意があったからなのです。

 因みに久三は1938年(昭和13年)生まれで、幼少の折に終戦を迎えているのですが、身長は160センチと同世代の中でも小柄な体格なのです。


 小学校一年生当時の優奈は、身長125センチほどで、高い方ではあったのですがそれほど大きな子ではありませんでした。

 それでも毎年5センチから6センチほども伸びて中学時代まで続けばかなりの身長になるものなのです。


 毎年四月に実施される身体測定では中学一年時162.5センチ、中学二年時167.8センチ、中学三年時では172.4センチでした。

 小顔で目がぱっちりとしており、誰が見ても可愛いと認める優奈は同じ中学女子の中では男子生徒の憧れナンバーワンでしたが、それが表面化することはありませんでした。


 あくまで男子生徒の中だけで女生徒ナンバーワンを決める秘密投票が行われ、秘密回状で周知がなされただけでした。

 これは毎年9月初めに口コミだけにより、あらかじめ会員登録された者の中で実施されるのですが、ボランティアの管理委員が選別した写真と名前が掲載されたリストから選ばれることが多いようです。


 優奈が一年の時は概ね240名の男子生徒会員の凡そ9割前後の投票率で、186票を獲得し、二年時204票、三年時219票とダントツの一位でした。

 優奈が在学中に対抗馬はほとんどいなかったと言ってもいいかもしれません。


 尤も後に水着のグラビアアイドルになる倉持英子も優奈の一年下で在籍していたのですから、美少女が居なかったわけではなく、単に優奈が他の子よりも勝っていただけのことでしょう。

 優奈の下足箱にはよくラブレターが舞い込んでいたのですが、いずれの場合でも優奈が一応読んで返書はそれぞれの自宅宛てに送付するものの、決まって付き合って欲しいとのお願いに対してお断りの返事でした。


 優奈自身の考えとして、勉強に勤しむべき中学生に恋愛は早すぎると思っているからなのです。

 そもそも前世で18歳の半ばまでを経験し、更に十数年からの現世の経験があるのですから意識的にはもう十分に三十路のオバサンなのです。


 仮に同世代の若者に好意を抱くとすれば、大人が幼い子供を見て可愛いと思うのと同様の話であって、ショタコンか小児性愛者でもない限り、恋愛感情になる理由わけもないのです。

 従って、優奈に特定のボーイフレンドは存在しませんし、いわゆる憧れの男性アイドルも存在しないのですが、前世の影響もあってか歌の上手い歌手は年齢、性別を問わず好きなのです。


 但し、好きな歌手であっても、優奈の中では曲によっては好き嫌いが明確になっています。

 歌手の声に合わない曲というのは、誰にでもまた何時でもあり得るし、そうした曲は大体売れないと相場が決まっているのですが、中には人気だけで売れてしまうのもあるようですね。


 優奈は、歌手に合わない歌は最初から聞かないことにしています。

 また歌が下手な歌手は、いくら人気があっても無視をするのです。


 最初は下手でも徐々にうまくなる歌手もいないわけではないのですが、そうした歌手は優奈の中ではいわゆる上手な歌手の範疇に将来的にも入らないのです。

 尤も、とてもいい声を持っていながら歌い方を間違えているがために売れずに消えて行く歌手がかなりいることには前世でも気づいていました。


 優奈が教える立場でもなかったので放置しましたし、現世でもそれは同じなのですが、ある意味で非常に残念に思うことの一つでもあるのです。

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