真夜中の疾走

 「さて、どうしたものか。」

先程さきほど悲鳴ひめいを聞いてから数分後、僕は松明たいまつ片手かたてに森の中を彷徨さまよっていた。

あまり時間をけすぎると悲鳴ひめいあるじ危険きけんと思った僕はめずらしくあせりながら、その人を捜索そうさくしていた。

しかしあせった所で手掛てがかりが先程さきほど悲鳴ひめいのみ。

結構無謀けっこうむぼう捜索そうさくではあるが、森で死んでいたなんて事態じたいになっていたら寝覚ねざめがわるい。

何も考えずに捜索そうさくするのは効率こうりつが悪いと思った僕はその場に立ち止まり目をつむった。

微細びさいな音もらさないよう、耳に全神経ぜんしんけい集中しゅちゅうする。

 数分程すうふんほどこの場にとどまっているが、聞こえてくるのはけものごえと風でそよぐおとくらい。

「まさかもう…」そう思いかけた時、わずかにけもの足音あしおととはちがう音が聞こえた。

さらに耳に神経しんけい集中しゅうちゅうさせ、分析ぶんせきを始める。

かなり速いペースで走っている。

つまり追われている可能性かのうせいが高い。聞こえる足音あしおとはこの足音のみ、と言う事はおそらく野犬やけんに追われていると思われる。

この森で僕が確認した害獣がいじゅう存在そんざいくま野犬やけんいのしし、種類は分からないが大型おおがた鳥類ちょうるいの4しゅ

消去法しょうきょほうで考えると、これだけ鬱蒼うっそうとした森で大型おおがた鳥類ちょうるいが人を追いかけるとは思えない。

そして、くまであればまず間違いなく足音が聞こえるはず。

いのししいたってはこの複雑ふくざつな森の中で人を追い回せるほどの器用きようさは持ち合わせていないはずだ。

総合的そうごうてきに考えられるのは野犬やけんに追われている可能性かのうせいが高い。

 こうして僕が考えている間にも足音の聞こえ方は何回か変わっている。

大体だいたい方角ほうがくは分かるが、相手は走って移動している。

少しでもかう方向ほうこうあやまればいつまでっても対象たいしょう近付ちかづけないだろう。

相手の向かう方角ほうがく見極みきわめないと。

僕は頭の中で素早すばやく今まで聞こえた足音のパターンをく。

 最初に聞こえた足音は僕から見て西の方角からかすかに聞こえた。その後、足音は少し大きく聞こえ、そしてまたとおのいた。

一時的いちじてきに僕に近付ちかづいたと言う事を考えると、おそらく西から東に向かって走っていると思われる。

「どんどん森のふかい所に向かってるな…急がないと。」

さすがに僕もこの森の全容ぜんようを知っているわけではないが、こんな夜中に森の深部しんぶに向かうなんて自殺行為じさつこういだ。

 僕は持っている松明たいまつ邪魔じゃまになると考え、地面じめんして火を消すと、その場にて、足音のする方角ほうがく先回さきまわりできるようにルートを頭の中で整理せいりしながら全力で走った。

 思った通りに対象たいしょうに近付けているみたいだ。

少しずつ足音が鮮明せんめいに聞こえるようになってきた。

「もう少し!」

さらに僕は足をはやめて対象たいしょう近付ちかづこうとしたとき、急に足音が聞こえなくなった。


 「まずいな…」この状況じょうきょうで足音が聞こえなくなるのは最悪の事態じたいの可能性が大きい。

「くそっ!もう1回くらい悲鳴ひめい上げろよ!」

自然と口からは愚痴ぐちこぼれる。

こんなに汗を流しながら走るのは何年ぶりだろうか?

このケージに来てからほとんどの時をぐうたらしながら過ごしてきた。そのツケが今来ているのかも知れない。


 今向かっている方角ほうがくが正解なのかは分からない。

足音が聞こえなくなってから時間にして10秒ほど。僕の推測すいそくどお野犬やけんに追われているのだとしたもう…。

頭の中では最悪の事態じたい展開てんかいされている。

「生きていたら返事をしろーっ!」

僕はいちばちかダメもとさけんだ。

これで返事が返ってこないならおそらくもうすくう事はできない。

 するとすぐさま「私はここにいます!」と返答が返ってきた。

すぐ近くだ。今の返答へんとう方角ほうがくおおよその距離きょりは分かった。

「すぐ行く!持ちこたえろ!」

それだけ言うと僕は全力で声のした方向ほうこうけ出した。



 どこの誰かはわからない。

でも確かに「すぐに行く」と聞こえた。

その声は、れかかっていた私の気力きりょく寸前すんぜんところつなぎとめた。

野犬やけんも何かをさっしたのか、「さっさと仕留しとめる」と言わんばかりにおそかってきた。

私は近くにあった木のえだ素早すばやひろい上げると、それとほぼ同時に野犬やけんに向かってりぬいた。

当たった感触かんしょくはない。

どこまでもしぶとい…


 この時の私は全身ぜんしん呼吸こきゅうをしているような状態じょうたい。あと1回この枝をればもう完全に体力がきる。

野犬やけんは私から少し距離きょりを取り、身を思いっきりかがめている。やつも次で決める気だ。

そして野犬やけんが動き出した瞬間しゅんかん、何かが野犬やけん目掛めがけて飛んできたのが見えた。

瞬間しゅんかんにぎりこぶし程の大きさの石が私の足元あしもとにゴトっと落ちたのが確認できた。

野犬も急な出来事にわけが分からない様子。

すると「みーっけ!」と男の声がした。

先程私に対して叫んでいた声と同じ声。

その男は石が飛んできた方向から勢いよく飛び出してくると、私に見向みむきもせず颯爽さっそうと野犬に向かって突撃とつげきして行った。

少し太めの枝を右手に持ち、走って行く様は、私にある人物を思い出させた。

男は野犬やけんに向かって飛び込むと脳天のうてん一刀いっとうたたきこむ。

しかし野犬やけんはこれをけ、男から見て右側にけた。

すぐさま反撃体勢はんげきたいせいてんじた野犬やけんは男の右足みぎあし目掛めがけてするどとがったきばを突き立てようとするが、男はまるで野犬やけんの行動を読んでいたかのよう必要最低限ひつようさいていげんのモーションで野犬やけんの攻撃をさっとかわすと、えだを思いっきり横にぎ、野犬やけんばした。

ばされた野犬やけんなおも立ち上がり、反撃はんげきしようと男を威嚇いかくするが、男は何事なにごともないかのようにすたすたと歩きながら野犬やけん近寄ちかよっていく。

男は威嚇いかくする野犬やけんの前に立つとするどい視線でにらかえす。

野犬やけん先程さきほどまでの威勢いせいが消え、子犬の様にちぢこまってしまった。

「ここであきらめてくれるなら命までは取らない。でもかかってくるなら容赦ようしゃしない。」

男がそう言うと、野犬やけんさっしたのだろう。

物凄ものすごい速さで身をひるがえすと、森の中に消えていった。

 野犬やけんが逃げ出したことを確認した男はすぐさま私の方にってきた。

「よくえたね。もう大丈夫だよ。」そう言いながら微笑ほほえむ彼の顔は、野犬やけんに向けていたするどい表情とは真逆まぎゃくの優しい顔をしていた。

その表情が私の張りつめた緊張きんちょう一瞬いっしゅんにしていた。

 余程よほどつかれていたのだろう。

私の記憶きおくはここで途切とぎれた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る