第77話 ファイアースターター
魔法建築部は生徒会役員それぞれにリーグ戦で使用する魔法武器や防具を提供しており、いわばスポンサーのような存在である。
やろうと思えば生徒会を陰で操れそうなのに、信念からそれをしない部長が、
「花岡に長崎さん、今日のことは借りにしてくれないか」
と頼めば、花岡含め、生徒会の誰も刃向かうことはできない。
「別に貸すつもりもない。早く出てってくれればそれでいい」
素っ気ない花岡に比べ、長崎は笑顔だ。
「構わない。美容院に行く手間も省けたしね」
美しい髪をバッサリ切り落とされても、余裕の笑みをたたえる長崎のおかげで場の空気はだいぶ軽くなったが、ある男の登場でまたも緊張が走った。
森本哲郎である。
数ミリ宙に浮いているようなヌルッとした足取りで花岡の前に立つ。
「久しぶりですね、先輩。妹さんは元気?」
「……!」
その時、生徒会長の体は電撃を受けたように激しく動いた。
初めて花岡の顔に動揺が走った瞬間だった。
近くにいたハルが、やばいかも……と後ずさるくらい、両者の空気は重い。
あの優しくて、ずっと潤んでいる森本の眼が、今だけは鋭利な刃物のように花岡を刺している。
「僕が同級生に毎日暴力を振るわれて生徒会に助けを求めたとき、あなたは何もしなかった。覚えていますか?」
「ああ、覚えている」
「言葉が出なくても両手両足が動くなら、まだ自分でできることがあるはずだってそう言いましたね。覚えていますか?」
「俺は君の便利屋じゃないと言った。覚えている」
突き放すような物言いに森本はふうっと溜息を吐いた。
「あなたは変わっていないね。そりゃ妹さんも苦しむはずだ」
その一言に、花岡の顔は曇る。
「身内のことをどこで聞いたか知らないが、君には関係のない話だ」
にらみ合う花岡と森本。
ハルが殴り込みに来たときとは違う緊迫感に、生徒会役員だけでなく、ハルと建築部部長すら動くことができない。
「ちょっとキバヤシ部長……。あのふたり何なのよ。お互いの家族を殺しあったりしてるわけ?」
そっと尋ねるハルに部長は首をかしげる。
「わからんが……。こりゃ椿三十郎の三船と仲代の勝負並みに息が詰まるな」
確かにそうねと頷くハル。
「じゃあ、どっちがミフネなのよ」
「そりゃ勝った方だろうな……」
上手く逃げた部長をよそに、花岡と森本の睨み合いは続いている。
「先輩。あなたは道を踏み外した。葛原くんも星野さんも僕の大切な仲間だ。どうしてあんなことをした?」
その追及に花岡は失望の溜息を吐いた。
「結局それか。何度も言うが、俺じゃない」
しかし森本は認めない。
「あなたを信用できない。だから言っておく。僕らは徹底的にやる」
そして森本はハルに微笑んだ。
「行こう衛藤さん」
そして空組。
基本、下校時刻になったら速攻で帰宅する生徒ばかりだが、今日は夜になってもほとんどの生徒が教室に残っていた。
飛鳥と桃子を襲った連中の身柄が確保されていない状況で帰宅するのは危ないと、美咲が生徒達を教室に留めておいたのだ。
今は、保護者の出迎え、あるいは警察のサポートを受けながら、少しずつ生徒達が帰宅する状況になっていた。
その間の教室の空気は重苦しさに満ちていた。
復帰戦でパーフェクトという結果をたたき出し、皆が喜んだのも束の間、まさかの妨害行為により、飛鳥も桃子も次の試合は棄権が確定的。
まさに天国から地獄。
もしかしたら自分も襲われるんじゃないかと脅える生徒達もいた。
それゆえに、生徒の幾人かがこう呟くのも無理はなかった。
「明日の試合は棄権しようよ……」
賛成だと力なく挙手する上級生達を美咲は悲しそうに見つめる。
「それはダメです。相手の思うつぼじゃないですか」
しかし上級生の中で弁が立つ野々村という男は言う。
「俺たちが退けば、その相手だって退いてくれるはずだよ。歌川さんならわかるだろう?」
皆、邪魔をしてきたのが花岡だと信じて疑っていないようだ。
正直、美咲もその可能性が大いにあると思っているが、証拠が無いと悔しそうに戻ってきたハルを見て、決めつけるのはまだ早いと自分を戒めている。
「なあ歌川さん、仮に生徒会長が犯人じゃなかったとしても状況は変わらないよ」
野々村は冷静に事態を分析している。
「葛原と星野が動けないなら、もう勝てる見込みが無いじゃないか」
その言葉に静まりかえる教室だが、森本が沈黙を破る。
「明日、勝てなくても、ふたりが戻ってくれば、僕たちはまた戦うことができます。また勝つことだってできます」
「いや、それが危ないって言ってるんだ」
首をぶんぶん振る野々村。
「空組がリーグに参加を続ければ妨害も続くってことじゃないか。その度に葛原や星野が、もしかしたら歌川さんまで危ない目にあったら申し訳なくて……」
性格が優しすぎていじめに遭い、これ以上は耐えられないと空組にやって来た経緯を持つ野々村は、心から後輩の身を案じている。
そして彼の横にいた女子生徒がぼそっと呟く。
「私たち、調子に乗りすぎたんだよ。花岡先輩は私たちが諦めるまで何度も邪魔してくる……」
その時、黙って話を聞いていた建築部部長が手を上げた。
「花岡の肩を持つつもりじゃないが、空組の対戦相手が変わったのはずいぶん前に決まっていたことだ。急でも何でもないんだ」
え? と皆が部長を見る。
「長崎の家は自営業で、ご両親が結婚記念日を祝う旅行で店を開けるから、彼女が店番をするってことで、2週間くらい前から試合日の変更申請が出てたんだよ」
長崎玲香の家はパン屋である。
元々評判のいい店だが、美しい彼女がたまに店番をすると、それだけで売り上げが倍になるらしい。
「そんな決定、私は聞いてませんけど……」
戸惑う美咲に部長はちっちっちと偉そうに指を振る。
「空組はずっとリーグ戦を放棄してただろ? 試合相手が変わったってどうせ棄権するんだから報告しなくていいと藤ヶ谷が正式な手続きをしなかったんだ。それを知った花岡がブチギレしたって、あいつ、建築部の部室でしょげてたよ」
「だったら……。今からでも試合の日程を再変更してもらえれば……、先輩もわかってくれるかもしれない……?」
美咲がそう思案したとき、今まで石のようになっていたハルがふわああとわざとらしく大きなあくびをして皆の視線を集めた。
「ダメよ。試合はしましょう」
「でも」
「なにがでもよあなたもほんとはわかってるんでしょ? このまま飛鳥ちゃんとモモを試合に出し続けても意味なんかないって」
「……」
真意を言い当てられ、美咲は黙るしかない。
そしてハルはこの場に残っていた生徒全員を見つめながら、話し出す。
「明日の試合は絶対出る。でも勝ち負けなんかどうだっていいの。私たちを邪魔に思う奴らにメッセージを叩きつけるのよ。どんな嫌がらせを受けたってこっちは絶対引き下がらないって。それをわからせるのよ」
「賛成」
森本が力強く声を出した。
しかし野々村は弱気だ。
「言いたいことはわかるけど、相手は長崎さんだぞ。葛原も星野もいないんじゃボコボコにされて終わるだけじゃないか……」
「なら、私が教える」
ハルの言葉に皆が驚く。
かつてここまで熱を帯びたハルを見たことがなかったのだ。
「2時間ちょーだい。勝てるかどうかは保証できないけど、空組やべえって思わせるくらいの魔法使いにはしてあげる」
その自信に満ちた表情がかえって美咲を不安にさせる。
「2時間でヤバイ魔法使いって、ネットの広告じゃあるまいし……」
「まあ見てなさい」
ハルはニヤッと不敵な笑みを浮かべた。
「どのみちあんたも今回は参加しなくていいから」
「え、ちょっと……!」
私が戦力外なんてどういうことだと詰め寄る美咲だったが、ハルの魔法により口が開かなくなり、もごもごするだけ。
そしてハルはこの場を瞬く間に支配していく。
「えー、今から、明日の試合の出場生徒を発表します。これは強制だから拒否権はありません。選ばれた生徒は起立して、選ばれなかった生徒は拍手と万歳三唱で泣きながら見送ってあげましょう」
いつの時代の日本だよと呆れる生徒達だったが、もう逃げ場はなかった。
「さてと……」
脅えだす生徒たちをハルは一人ずつ丁寧に見つめていく。
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