第76話 ハルは燃えているか?
ヘッドホンを奪われ、気を失って倒れた飛鳥。
目を覚ましたときは見慣れた部屋にいた。
ここは不動の事務所の一室だ。
かつてこの部屋で一晩眠ったことがある。
そう。ハルから樋口明菜の写真を見せてもらったんだ。
ハルの親友、それどころか命の恩人ともいえる彼女に会いに行くはずが、まさかこんなことになるなんて。
壁に貼りついた時計を見ると、倒れてから90分ほど経過していた。
少年院と事務所の距離を考慮すれば、ハルは医療関係者のような素早い対応をしてくれたということになる。
それに比べて自分ときたら、せっかくハルに頼られたのに……。
弱い、あまりにも弱い。
「ああっ」
そして両耳にヘッドホンがないことに気づく。
このままではぶっ倒れてしまうとベッドの上からヘッドホンを探すと、テーブルの上にそれはあった。
原形をとどめないくらい、グシャグシャに壊れている。
そのかたわらには不動のメッセージが置かれていた。
「すまんが仕事で不在になる。残念だがヘッドホンはもうダメだ。衛藤さんがお前の対応を優先したから詳しいことはわからないが、おそらく盗まれたあとバイクで踏まれて畑に投げ捨てたようだ。親切な農家のばあさんが拾ってきてくれたらしい。詳しいことは黒川かタオに聞いて、とにかく今は休め。不動」
「最悪……」
ベッドに倒れ込む。
しばし絶望に打ちのめされ、時を潰すが、
「じゃ、今なんで、平気なんだろう?」
ヘッドホン無しで動けていることにようやく気づくが、その疑問は簡単に解けた。
『やあ、目が覚めたね』
部屋のスピーカーから聞こえる声は黒川医師だ。
相変わらず菩薩のように優しい声。
そう、声だけが聞こえる。
どうやら別の部屋から呼びかけているらしい。
『君のお父さんが作ったヘッドホンと同じモノを作ろうとすると、部品の調達だけで一ヶ月かかるから、とりあえずタオに頼んでその部屋を君専用に調整した』
調整?
首をかしげる飛鳥にタオが詳しく説明する。
『昇さんが残していたデータをもとに、あなたの真聴覚を和らげる複数の音波を部屋中に再生しています。あなた以外の人間がこの部屋に入ると数分で気を失ってしまうため、黒川先生は外からあなたに話しかけているのです』
「そうなんだ……」
『驚いたよ。君はとても苦しい思いをしてきたんだね』
心からの同情を示す黒川だが、その優しさが逆に自分を惨めにさせる。
「そんなことないです。ハルちゃんに頼まれたのに、大事な1日だったのに、こんなことになるなんて……」
しかし黒川は慰める。
『君のせいじゃない。衛藤さんもその事では全然怒ってなかったし、むしろ悪いことしたって気にしてたみたい』
「あの、ハルちゃんは……?」
とにかく彼女に謝りたいと思ったのだが、
『ああ、それはねえ……うん』
なぜか言葉に詰まる黒川のかわりに、人に遠慮しないタオがあっさりと事情を説明する。
『実は星野桃子さまも性別不明の人間に嫌がらせを受けました。下校途中に特殊な塗料の混じったスプレーを浴びせかけられ、彼女の眼鏡、つまり専用のレガリアは今の時点で機能不全状態です。塗料を剥ぎ取らなければ彼女はなにも見えません。眼鏡から汚れを拭き取るまで一週間ほどかかります』
「そんな……」
その時、飛鳥の脳裏によぎった言葉は以下の通りだ。
学園リーグ、明日の試合、生徒会、妨害。
そして、花岡先輩。
まさか……。
『葛原くん。何を考えているのか、良くわかるけど、証拠が無い時点で決めつけるのは危険だし、感情にまかせて動けば相手の思うつぼかもしれない』
いったん落ち着こうと呼びかける黒川に飛鳥は完全に同意する。
「そうですね。その通りだと思います」
『ただねえ。同じことを衛藤さんにも言ったんだけど、ダメだったよ……』
「え、ダメって?」
嫌な予感が全身をよぎる。
『君の件だけでも相当キテたのに、星野さんが嫌がらせをされたと聞いたら、もう止められない。学園に殴り込みに行ったよ』
「……」
青ざめる飛鳥をタオがさらに煽る。
『レガリア無しであれほどの魔力をほとばしらせる人間を私は見たことがありません。まさに人間核弾頭。今できることは哀れな生徒会長の冥福を祈るだけです。ナンマイダ、ああ、ナンマイダ……』
「そりゃダメだって!」
急いで部屋を出ようとする飛鳥を黒川が叫んで制する。
『部屋を出ちゃいけない! 倒れてしまうよ!』
そう、ヘッドホンがなければ飛鳥はこの部屋を出ることができないのだ。
「ああ、もうっ……!」
あまりにも情けない現実に打ちのめされ、飛鳥は床を殴った。
さて、衛藤遥香は花岡が生徒会室で会議をしていると知ると、凄まじい速さで現場に車椅子を走らせた。
生徒会室には歌川美咲を除いた役員が全員参加していたが、メデューサのように髪を逆立てて入ってきたハルを見て、一瞬でヤバイとわかり、いっせいに隅に逃げこむ。
ただ花岡だけは着席したままハルをじっと見ている。
「この時間に学校にいるなんて珍しい。何かあったのか?」
その他人事のような態度がハルを大いに苛立たせる。
ベルエヴァーを立ち上げ、車椅子から降り、自らの足で生徒会長に近づいていく。
「空組の生徒ふたりが、誰かの嫌がらせで明日の試合に出られなくなった。どういうことか説明して」
その追求に花岡の口が小さく開く。
「……俺がやったと思っているのか?」
「悪いけど、先輩以外に思い当たる人いないの」
ハルの瞳は炎のように赤く染まっている。
葛原所属の戦闘員すら震え上がらせた鋭い眼差しを浴びても、花岡は平然としている。
「なぜ神聖なリーグ戦を汚すようなことをする?」
「へえ、あなたはそういうノリでいくわけね……。だったらこっちも卑怯な手を使う」
ハルは自分の右腕をある人物がいる方向に伸ばす。
それは生徒会の副会長であり、明日の対戦相手でもある、長崎玲香だ。
「あのふたりが失ったモノを弁償しなさい。じゃないと彼女の体を切るわよ」
その言葉は嘘じゃないと証明するかのように、長崎のロングヘアがバッサリ切り落とされ、床に落ちた。
悲鳴を上げる生徒達。
その時、勇敢にも一年学長の藤ヶ谷が長崎の前に立った。
両手を広げて大声でハルに訴える。
「おおおおおお落ち着け! まずは冷静に話をしよう!」
行動は立派だったが、声も足もガタガタ震えていて、可哀相なくらいだった。
むしろ落ち着いていたのは長崎玲香で、冷静に藤ヶ谷を押しのけると、その厳しい眼差しをハルではなく、花岡に向けた。
「花岡くん、今の話、どういうこと?」
長崎はゆっくりと花岡に接近する。
「もし衛藤さんの話が本当なら、私はもう付き合いきれない」
その言葉にハルはちらっと長崎を見る。
「ごめんね、先輩」
「構わないわ、とにかく説明して」
学園のナンバーワンとナンバーツーの魔術師が花岡に迫るが、この生徒会長には動揺という言葉がないのか、それとも心が既に死んでいるのか、びくともしない。
「逆に聞くが、どうすれば無実を証明できる?」
「スマホを出して」
その要求に花岡は即座に応じる。
自分からスマホのロックを解除し、机に置くと、ハルはすぐにスマホを宙に浮かせて眼前まで移動させる。
そして両手を使うことなくスマホを操作するので、見ていた生徒達の何人かが、
「マジかよ……」
「どうすればあんなことできるの……」
と驚きの声を上げる。
しかしハルの捜査は難航した。
花岡が悪い連中を使って飛鳥と桃子を襲撃させたに違いないと考えたハルは、花岡のスマホにその証拠が隠されていると思っていた。
もし証拠を隠滅していたとしても、敏腕刑事スエちゃんと組んできたので、消されたデータの復元にも自信があった。
着信記録、発信履歴、メール、SNSなどのコミュニケーションツールすべてを調べても、襲撃に関与した証拠は見つからない。
「ふん、全然、友達いないのね」
と皮肉を言うのが精一杯。
「そのおかげで俺の潔白が証明されたようだが」
そう言いながら花岡はカバンから、ノートパソコンやメモ帳など、ありとあらゆる証拠品を自ら机に置いていく。
証拠など見つかるはずがないという自信か、それとも本当に無実なのか……。
「何ならここで裸になってもいい」
そこまで言い切る生徒会長。
「ぐぎぎぎぎ……」
歯ぎしりするくらい悔しがるハル。
ちょっと先走りしすぎたかと自身の失態に気付き始めたとき、教室のドアが勢いよく開いた。
現れたのは魔法建築部の部長、鈴木太郎だ。
「話は聞かせてもらった。人類は滅亡する」
緊迫した空気を台無しにしながら、部長はハルに訴えた。
「衛藤さん、ここは退くべきだ。残念だがいまさら何を言っても無駄だからね。大事なことは明日、何をするべきかだ。そうじゃないか?」
珍しく正論をぶつけた部長にハルは頷くしかなかった。
「わかった。ありがとね、部長」
ハルは素直に頭を下げた。
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