第75話 生きるという名のリハビリ

 ハルの体にロシアの血が流れているとはその白い肌と灰色の瞳からなんとなく感じていた。

 それがまさか、あの、レフガル国だったとは。

 

 大国から独立しようと無謀なテロを繰り返し、果ては複数の国家を巻き込んでの代理戦争を引き起こしたレフガル。

 

 その国の生涯はまるで一発屋の歌手のよう。

 大きなヒット曲を産み出すが、その後は鳴かず飛ばずで、やがて誰に気づかれることもなく孤独に死んでいく。

 レフガル国も同じだ。

 革命を成功させたときは世界中を驚かせたが、その一生を終えたときには数行の記事で終わった。


「パパが死んだあと、ママはレフガルに残って革命の手伝いをしてた。けど内戦がゲロヤバに悪化しちゃってね。私も銃撃戦に巻き込まれてこんな体になっちゃったし。さすがにママもヤバイと思ったのか、日本に援助を求めて、逃げるようにここに来たってわけよ」


 どこを見回しても田んぼしかない田舎の風景をハルは楽しそうに眺める。


「日本に来てびっくりしたのは、こんな穏やかに一日を過ごしていいんだってことね。爆発音も、銃声も、誰かの悲鳴も、何も入ってこない。最高じゃんって思ったわ。それに撃たれてから魔法が異常にうまく使えるようになってたから、車椅子生活も苦じゃなかった。けどママは違ってたのよねえ……」


 数日で日本が好きになり、たった数週間で日本語もペラペラになったハルと比べ、根っこが旅人の母にとって日本に居続けることは苦痛でしかなかった。


「子供の私でもわかるくらい辛そうでね。政府に迷惑かけて帰国したから、他人の目がきつかったみたいだし。そうなったのも仕方ないんだけど、自分が悪いなんて考えにたどりつかない人なのよ。もうこんな国にいたくないってそればかりで。結局、私に言ったの。お互いのために親子でいるのをやめようって」


「それって……」


 離婚というか、離縁というか、許される話なのか?


「自分で言うのもなんだけど魔法に関しちゃ天才って言われてたの。だからもっとその才能を生かすべきだって、衛藤の家に養子に誘われてた」


「……じゃあ、お母さんはハルちゃんを捨てたの?」


 会ったことのない彼女の母に激しい怒りを燃やす飛鳥だったが、ハルは慌てて首を振った。


「捨てたんじゃない。双方の同意の上よ。ママは昔みたいに世界を旅して、私は日本に残ってだらだら過ごす。絶対そっちの方がいいと思ったもん。だって衛藤の家があんなヤバいところだとはお互い思ってなかったから」


 ヤバイ。その言葉に飛鳥は息を飲む。


「あの家には私もママも一杯食わされたわ。レガリアを使った世界平和だの、社会貢献だの、海外ボランティアだの、ご立派なこと言ってたけど、中を見たらただの魔法兵士製造工場だもん。改造人間作るショッカーのアジトとほとんど変わんない。ひどいめにあったわ……」


 ふざけたように喋るが、明らかにハルの様子がおかしくなった。

 額から大量に汗が流れて、それを拭き取るために車椅子を止める。


「ごめん、あそこで何があったのか、あまり話したくない……」


 過呼吸に似た症状に近くなるハルを見て飛鳥は慌てて声をかける。


「大丈夫。話したくないことは話さなくていいから……」


 ハルは何度も深呼吸をして息を整える。


「ごめんね。聞いてくれてありがと」


「いや……」


 飛鳥はそれしか言えなかった。

 彼女がここに至るまでに体験したことを知って、それから自分はどうすればいいのか。

 今すぐに答えは出ない。


 もうなにも心配しないで、君のことは僕が守るからなんて言い切れば格好いいだろうが、その資格がないのは自覚している。

 だって、会ったときから守られているのはずっと自分だから。


 強くならねば。

 魔法だけではない。心も身体も鍛えなければ。

 ずっと胸に秘めていたことを打ち明けてくれた彼女をしっかり受けとめられる男にならなくては……。


 そう心に誓っても、樋口明菜が収容されている少年院を前にすると、足がすくむ。


 田舎に突如姿を現す巨大で無機質な四角形の異物。

 外界との接触を断つようなコンクリートの高い壁は近づく者の心を凍らせるおぞましさがある。


「明菜は、衛藤の養子になった子供たちの中じゃ、いちばん近づきにくかった。なんせ森本先輩と同じだったから、コミュニケーションがとれなかったのよ。ただ先輩ほどひどくはなかったから、私とは手話で会話することができたんだけど」


 巨大な壁を前に親友のことを話すハル。

 飛鳥に色々話せたことでだいぶスッキリしたらしく、リラックスした表情だ。


「謙遜しても仕方ないからはっきり言うけど、日本中から凄い素質の子供たちを集めても、やっぱり私が一番だった。けど明菜には勝てなかった……。あの子は普通の人がイメージする魔法使いとはタイプが違ってたのよ」


 そこらに落ちていた石を大量に宙に浮かせ、ビリヤードのように衝突させる。


 ベルエヴァーを起動させていないのにこんなことができるのは、確かに世界中探してもハルしかいないだろう。

 その彼女が勝てなかったという樋口明菜とはいったいどんな魔法使いだったのか。


「物も浮かせられないし、引き寄せたりもできない。当然、火も起こせないし、風も吹かせられない。だけど、人を操れたの」


 人差し指で自分の頭をトントンと叩くハル。


「まっすぐ歩くつもりが右に歩いちゃったり、押すつもりもないのにゲームの電源ボタンを押しちゃったり、知らないうちに体が勝手に動いちゃうのね。そんなのされたら、どんなゲームも競技も絶対勝てないでしょ。衛藤の連中は明菜に相当入れ込んでたわ。たった一人で街を崩壊できる毒薬みたいな魔法使いになれるって」


 確かに凄い。ハルがどれだけ最強であっても、脳をハッキングされて他人に操られたら、勝てる戦いも勝てないということだ。


「でも結局、衛藤の連中は明菜をうまく扱えなかったどころか、最悪のカウンターを食らった。私たちをずっと監禁してた衛藤のスタッフが、同じタイミングで自殺したの。あの場にいた大人たちが同じ日の同じ時刻に全員ね。誰がやったか私たちはわかってたし、明菜も言った。後は私に任せて全員ここを抜け出せって。あの子の声を初めて聞いた瞬間だったなあ」


 明菜の指示通り、仲間達は外を飛び出した。


 しかしハルは残った。

 明菜一人では警察とまともに話せない。

 自分たちには正当防衛の権利があり、こうなったのはやむをえないのだと主張するため、明菜と現場に残ったのだ。


「でも、そんなに気張るほど警察は厳しくなかったわ。明菜が怖かっただけかもしれないけど、私たちにはとても優しかった」


 本来なら凶悪殺人犯として年齢関係なく罰を受けるはずだった明菜は少年院送致という寛大なお裁きとなり、ハルに至っては、おとがめもなし。


「二十歳になって、心身に異常性がなければ明菜はここを出られる。そういう決まりになってたの。だから私は待つことにした。いつか二人で再会しようって。あなたの持ってるレッドカインの杖がその証。衛藤って名前もそのままにしておけば、明菜も気づいてくれるんじゃないかなって気がして、まだ養子のままなんだけど」


 そしてハルは少年院の壁にぽつんと貼りつけられたインターホンの前に立つ。

 インターホンの監視カメラがにょきにょきと伸びて、ハルを舐めまわすようにしっかりと捉える。

 

 その光景をやや離れた場所から飛鳥は見守った。


「私の姿を見たら、顔パスで行けるわ」


 自信に満ちた顔で言い切るハルに対し、飛鳥は緊張でガチガチだ。

 

 今、樋口明菜の体調はすこぶる良くないそうだ。

 それこそ、森本先輩のお母さんが息子はもうダメだと言うくらいのひどい状況らしいが、そもそも、自分は森本先輩に近づいただけである。

 森本先輩が普通に生活できるようになったのは自分の存在があったからだという科学的な根拠はなにひとつない。近くにいただけなのだ。


 こんな自分に何ができるだろう。

 そもそも自分がそばにいるだけで体調が良くなるのか?


「そこは気にしたってしょうがないわよ」


 ハルはケラケラと笑う。


 なにか吹っ切れたようなハル。

 飛鳥に色々打ち明けたことでだいぶスッキリしたようだ。


「だめだったら他にどうすればいいか考えるし、もし、良くなってくれたら、ちゃんと謝るつもり」


「謝る?」


「今まで会いに行けなくてごめんねって」


「そっか……」


 笑顔のハルを見てこっちの緊張もほぐれてきた。

 今の精神状態ならば樋口さんに会えると感じたが、思わぬ邪魔が入る。


 その時だった。

 田舎に全くそぐわない厳ついオートバイが飛鳥の背後を通り過ぎた。

 その瞬間、ドライバーが飛鳥のヘッドホンを奪い取っていたのだ。


「えっ……」


 気づいたときにはもう遅かった。


 真聴覚はありとあらゆる音を拾いまくり、飛鳥は立っていることすらできない。

 強烈な目まい、頭痛、吐き気。

 地べたに倒れ込む。

 

「なんで……」


 もうバイクの姿はどこにも見えない。

 追いかけることすらできない。


「飛鳥っ!」


 悲鳴のようなハルの声が耳に入ってきたが、それ以上、何が起きたか飛鳥はわからなくなった。

 父が作ってくれた最高の保護具を失った今、飛鳥にできることはもう、気を失うだけだった。


 最後に聞こえたのはハルの叫びだった。


「花岡さん、そこまでやるってわけ!?」

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