第74話 見えない壁

 校門前でハルを待つ飛鳥と、校門をせっせと掃除する生徒会長の花岡修司。

 自分を嫌っているであろう男と時と場所を共有する。

 

 花岡がトトロだったら一瞬で和むが、そうもいかない。

 背筋も凍る気まずさだ。


 スマホをいじって時間を潰しても、たった数秒ですら無限のように感じる。


 とはいえ、こちらに目もくれずに一心不乱に掃除する生徒会長を見ていると、結局自分がするべき事ってひとつだよなと気づく。


「手伝います」

 

 飛鳥はバケツの中にあったクリーニングクロスをとって、門の汚れを拭いていく。


「ん、そんなことしなくていいよ。君はもう下校したんだろう?」


 私服の飛鳥を見て慌てたように声をかける花岡。

 その声にとげとげしさはない。


「人を待ってるんで、その間だけでも」


 じっと目を見て話すと、


「なら、頼む」


 花岡はそれだけ言ってまた掃除に専念した。

 

 良かった、ひどい言葉や態度を投げられずに済んだ。

 ホッと一息ついて、自分も掃除を頑張る。


 帰宅しようとする学生らが門を通り抜けていく中、飛鳥と花岡は掃除を続けた。


 そしてハルは予定時刻から30分遅れてきた。わりと早い方だ。


「お、花岡先輩、今日も頑張るわね。って、あんたもやってたの?」


 出かける前から一汗かいている飛鳥を見て驚くハル。

 

「ああ、衛藤さんを待っていたのか」


 花岡がハルを見てうなずく。

 ふたりが顔見知りだということに一瞬、驚いたが、花岡は生徒会長だし、ハルは生徒会を悩ませ続ける最強のサボり魔だから、知らないはずがなかった。


 ただ、花岡はハルに対しても嫌悪感はあらわにしない。


 空組をぶっ潰そうとしていると美咲から聞かされていたので、さぞ独裁者みたいな人と思いきや、ここまでの印象は真面目なイケメンという好印象しかない。

 ただ、少し、いや、かなり疲れてそうだなとは思う……。


「ニュースを見た。君の故郷のこと、残念だったな」


 花岡が意味深なことを言ったが、ハルは笑うだけ。


「もう何年も帰ってないし、いまさらどうでもいいわ。こうなるって決まっていたようなもんだし」


「そうか」


「それにしても相変わらず一人で働くのね。コツコツやらないで権力使って生徒全員に掃除させりゃいいのに」


 しかし花岡は笑う。


「そんなことはできないし、して欲しくもないよ。ここで多くを学ぶのに無駄な時間を使うべきじゃない」


 神武学園の生徒は自分が使う机以外に掃除の義務がない。


 他の高校と比べてやることも学ぶことも多いのに、清掃を教育と見なして生徒自身に掃除させる時間なんか無駄、という理由らしい。

 結局、神武学園の施設の清掃は業者が行っている。

 

 実はこの決定を生徒会が下したのは2年前の話で、その主導権を握っていたのが当時1年の花岡だった。


 この決定はいまだに賛否が分かれ、ニュースでも否定的に報じられるようなこともあったが、今も続いている。


 広い学園の清掃をすべて業者に任せるとそれだけ金がかかるので、経費節約のために花岡は自分で掃除できることは自分でやっているらしい。


 となると、掃除を手伝った飛鳥はとても余計なことをしたのかもしれないが、


「いや、手伝ってくれればそれだけ早く終わる。助かった。ありがとう」


 花岡は飛鳥の顔を見ずに呟きながら、バケツを持って校舎に戻っていった。


「見た目のわりに暗いわねえ」


 からかうように花岡の背中を見つめるハルだったが、その眼差しは優しい。


「言うほど悪い人じゃないのよ。やたら自分に厳しくて、いつまでたっても反抗期が終わらないってだけの人」


「そうなんだ……」


 後ろ姿が凄く寂しそうに見える。

 孤独としか形容ができない。


「行きましょうか。付き合わせちゃってごめんね」


 気にすることないと声をかけ、飛鳥とハルは駅へ向かう。

 

 樋口明菜が収容されている特殊少年院は、電車で一時間以上かかる。

 目的地へと近づくにつれ、乗客はどんどん減っていき、見える景色も農地ばかりになってくる。

 そしてふたりの口数も少なくなる。


 軽口を叩いていたハルも徐々に硬い表情になり、飛鳥は電車のガタガタという音に次第に苦しさを覚えてきた。


 実は電車が苦手で、あまり使ったことがない。

 むしろ避けてきた。

 電車から繰り出されるすべての音が苦痛なのだ。

 おそらく飛鳥しか聞き取れないであろう、車輪とレールがこすれる音が、この上なく苦手だった。

 例えば、黒板を爪でガリガリするときの生理的にきつい音。

 これが延々と耳に入ってくる感じ。


 父が作ってくれたヘッドホンのノイズキャンセル機能をフルパワーにしてもこの苦しみは抜けない。


 めまいを覚えるほどのきつさを感じるようになると、ハルも飛鳥の不調に気づき、 そっと手を握ってくれる。


 それだけで十分飛鳥にはありがたかった。

 大丈夫、ゴメンとか、謝罪に近い言葉を投げかけられると壁みたいなものを感じて切なくなる。


 行くと決めたのは飛鳥だし、ふたりの間にもう遠慮はいらない。

 ハルもそう感じているなら、これほど嬉しいことはない。


 あと十分ほどで目的地の駅につく。

 そのタイミングでハルが呟きはじめた。


「花岡先輩はね。私を見るたび褒めるのよ。みんな私みたいに強ければ、衝突も誤解も無くなるって」


 しかしハルは首を振る。


「それは違うっていつも言うんだけどね。私と比べて空組の子達が弱いのかっていったらそんなことありえない。仮にあの子達が先輩が言うような弱い子だとしても、わかりあえないってことにはならないでしょ。だから先輩の方に問題があるんじゃないのって偉そうに言いつつ、私自身は逃げてるだけだって気づいてはいる」


 いつもと違ってハルの言葉には暗さがある。

 はっきりとした自己否定だ。


「衛藤の家から抜け出したとき、私を助けてくれた義理の父さんに言ったのよ。私の人生はもうずっと余生でいいって。スエちゃんにも言った。私のこれからにもうドラマはいらないって」


 電車は停まり、その駅に降りたのは飛鳥とハルのふたりだけ。

 無人の改札を通り抜けた彼らを待っていたのはどこまでも広がる田園。


「私の本当のお父さんはね、私が生まれる前に死んだの。ここからずっと北にある大きな国の小さな都市の生まれで、その町を大きな国から独立させようとして、全身に爆弾を巻き付けて人が大勢いるところで火をつけた、凄く迷惑な人」


「ええ……?」


 それって自爆テロってことだろ?

 かねてからハルのことをもっとよく知りたいと願っていたが、いきなり凄い情報をぶっ込まれて飛鳥は思わず転びそうになった。


「私のママは日本人なんだけど、根っこが完全にヒッピーなのよね。世界中を飛び回って、気の合う仲間とわいわいやって、ラブアンドピースを信じて、毎日ずっとクスリをキメて。今どこにいるんだろう?」


「なんか……、凄い話すぎて、吐きそうになってきた」


 馬鹿正直な飛鳥にハルは笑う。


「私もこんなこと他人に話すなんて思ってないから、自分でもびっくりしてる。でも止まんないから聞くだけ聞いて。忘れていいから」 


 そしてハルは一人のエセ革命家と一人の脳内お花畑女の出会いを話してくれた。


「パパがママに言ったの。明日死ぬから、1回だけ、頼むから1回だけやらせてくれって。ママは別にいいわよって軽く返事をした。凄くイケメンだったらしいから。で、たった1回しただけでできたのが私。パパは宣言通り次の日に何千人も巻き添えにして自殺して、ママは思うところがあったのか、その町に居つくことにした」


 そしてハルは自分のスマホのある画像を飛鳥に見せる。


「今日のニュース。私の故郷が無くなったってやつ」


 数行程度の小さなニュース。

 レフガル国、完全に崩壊。革命からわずか十数年の悲劇。


「故郷がなくなったってこんな気持ちなのね。なにも感じない」


 ハルはぼんやりと空を見つめている。

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