第68話 宇宙へ道連れ

 カゲロウこと、森本哲郎が空組に戻ってくる。

 

 美咲からその話を聞いた空組所属の上級生は、喜びのあまり、新しい教室の玄関で懐かしき友を出待ちした。


「みんな、久しぶり」


「……!」


 かつては言葉を発せず、能面のように表情も変わらなかったカゲロウが、生まれ変わったようになって戻ってきた。


「カゲロウが喋ったぞ!」

「うそでしょっ!?」

「やった!」


 生徒たちは喜びのあまりカゲロウに抱きついたり、その頭をぐしゃぐしゃなでなり、肩車したり、まるで何かの大会に優勝したかのように喜んだ。

 中には涙する生徒までいて、空組は朝から活気に満ちていた。


「ありがとう。本当にありがとう」


 制服はヨレヨレになり、髪もくしゃくしゃになったが、森本はこれ以上ないくらい楽しそうだったし、それを見る飛鳥もなんだか自分のことのように嬉しい気持ちだ。


 ただ、久しぶりに空組にやって来たハルが相変わらず変だ。

 まるで思い詰めたように黙り込んでいる。

 近づかないでオーラが凄すぎて声もかけられない。


 一方、森本は友達と話が尽きない。


「ねえ大神先輩は? 挨拶に行きたいんだけど」


 森本と特に仲が良かったのが大神らしい。

 それを知る何人かの生徒が、彼がいる上の階まで案内しようとするが、


「あ、ちょっと待って、せっかくだから紅茶を持って行く」


 リュックから水筒を取り出した森本に、待ってましたとばかりに生徒たちが歓声を上げる。

 市販のどんな飲み物もカゲロウの手がかかると旨味が増すという、カゲロウマジックは空組でも有名だった。


「みんなも飲もう」


 リュック一杯に沢山の水筒を持ってきた森本は、最初から皆に紅茶を振る舞うつもりだったようだ。


 たかが紅茶でそこまで騒ぐかと思うものだが、昨日、カゲロウマジックに触れた飛鳥は、はしゃぐ彼らの気持ちがわかってしまう。


「よっしゃ、大神先輩も連れて屋上に行こうぜ!」


 ただのティータイムなのに、ノリは大宴会。

 皆が浮き足立って階段を上っていく。


「葛原くんたちも一緒に行こう」


 森本がみなを手招きする。

 空組の全生徒を誘うつもりらしい。


 こういうとき今までの美咲なら「ムキーッ! 授業、ムキーッ!」と取り乱したに違いないが、彼女は丸くなった。


「今日みたいな日は、楽しむのが一番ね」


「なら、我々もお供させてもらおう」

「ええ、噂のカゲロウティー、楽しませて頂くわ」


 と絡んでくるのは魔法建築部の部長と副部長である。


「あ、はい、どうぞ……」


 呼んでもいないのにやって来る、それが魔法建築部。


 こうして新しい教室の屋上で、森本哲郎復帰おめでとうパーティがささやかに行われた。

 あるのは市販のティーバッグで作った森本の紅茶だけ。

 なのに、満面の笑顔と活気で包まれていた。


「素晴らしい空気だ。これが見たかった」

 

 腕を組んで深く頷く魔法建築部部長。


「ええ、見えたわね、ランスロット」


 喜ぶ副部長のそばで美咲が怪訝そうな顔をする。


「この前と建築ネームが違う……」


 部長も副部長も学校での成績は常に上位どころか、学年一位になったこともある才人なのだが、頭が良すぎる人は個性のクセが強くなるみたいだ。


 二人とも威厳に満ちあふれた大人にしか見えないが、美咲より二歳しか年をとっていない。どういう経験をすればここまで変に、いや、成熟できるのだろう。


「ときに歌川くん、カナの婚礼の奇跡を知っているかな?」


「はい、イエスキリストが水をぶどう酒に変えて、皆に振るまったという有名なエピソードですね」


「そうだ。さすがだな」


 横で彼らのやり取りを聞いていた飛鳥がぎょっとする。

 なんで美咲は即答できるのだろう、博識すぎる。


「あの奇跡はイエスが公衆の面前で行った初めての奇跡と言われている。なんだか、それを思い出さないか……」


 気色悪いなと飛鳥はドン引きした。この賑やかで暖かい雰囲気を宗教と絡めないで欲しいと感じたのだが、顔には出さないようにした。

 

 しかし当の部長もおかしなことを言った自覚はあるらしい。


「宗教には興味もないし好きでもないがなぜだろう、この場の空気はとても好ましいのだ。安らぎを感じる、そうだろうリンダ」


「ええ、ランスロット」


 もうこのやり取りにはいまさら誰も突っ込まない。


「おかげで良いイマジネーションがわいたよ」


 そして部長は自分のノートPCを使い、凄まじい速さで3D画像を描いた。


「これが空組教室のリフォーム計画最終章、題して、宇宙、だ」


「あ、出来たんですね……」


 美咲を含め、近くにいた生徒が集まってパソコンを覗き込む。


 さえぎる壁のない開放的な空間、どこにいても日が優しく当たるぬくもりの場所。まるで楽園のようだ。


 これが宇宙かどうかわからないが、とても美しく、ここで勉強が出来るなら最高というのは皆の共通の見解だった。


 これには日頃、建築部部長についていけてない美咲も感動する。


「素晴らしいです……」


「この空気を浴びてわかったよ。この穏やかな時間がずっと続く教室を作るべきだとね。この和やかな空気がかつての教室にはなかったんだ」


 元々部長は、以前の空組教室を一人の建築家として許容できなかったそうだ。


「突然作る必要に迫られ、慌てて校舎の最上階に作り上げただけで、使う人間のことなどまるで考えていなかった。例えばだ」


 教室までのエレベーターが小さすぎて、車椅子が1台しか入らず、車椅子渋滞が起きてしまっていた。

 また段差に備え付けられたスロープが小さすぎて、車椅子1台しか通れない。

 点字ブロックが古すぎて欠けた部分があり、意味をなしていない。

 しかも玄関前の点字ブロックは仕切りを作っていないから、空組以外の生徒が点字ブロックの上を知らずに歩いて結果的に邪魔をしている。

 階段の手すりが汚れているどころか、木製で、トゲが出ている箇所まであった。

 などなど。


「車椅子の生徒たちや、点字ブロックがなければ教室にたどり着けない生徒たちは混雑を避けるために毎日90分以上前に登校する必要があり、健常者の空組生徒が持ち回りで彼らをサポートしている状況だった。こんなことが毎日続いていたら授業が始まるまでに疲れ切ってしまう。魔法教育の最高峰と言われる神武学園がなんという体たらくだ」


「ら、ランスロット……」


 美咲は感動していた。

 空組に関わる人以外で、ここまで彼らのことを親身に思ってくれる人がいるとは思わなかったのだ。


「歌川くん。これはただのリフォームではないぞ。空組の生徒たちだけではない。多くの生徒がここに引き寄せられるような、いや、この町に住む人が自然とここに集まるような場所を作るのだ。だれもがこの安らぎを味わえば、互いの違いも少しずつ受け入れられるかもしれない。それこそすなわち……」


「宇宙、ですね……」

 とうとう美咲がおかしくなってしまった。


「そう、宇宙だよ、ジェニー!」


「盛り上がってるところ悪いけど……」

「そう、悪いでやんすが……」


 空組で一番現実を知る女、星野桃子と、空組で一番クールな女、衛藤遥香が近づいてきた。


「体の中身をまるごと別物に入れ替えて、男から女になるようなリフォーム、あの生徒会長さんが許可すると思う?」


「そうですよ。とんでもない額のお金が必要になります」


 ハルと桃子の冷静な指摘にも部長は動じない。

 指をパチンと鳴らして、ふたりに頷く。


「そう、問題はそこだ、ドノバン」


 どっちがドノバンなんだろうと顔を見合わせるハルと桃子。


「表面上、いくらでも金は出すと言うが、人間不信のあの男のことだ。うまいこと言い繕って一銭もだす気は無いだろう」


「私も正直、それは感じています……」

 と頷かざるを得ないジェニー、じゃなかった美咲。


 ランスロット部長も生徒会長である花岡には苦労しているらしい。


「あの男、外面は良いが年々心が歪んでいる。もともとおかしなヤツだった。入学してから今まで、どんなときも寮に残って、実家に帰ろうとしないんだ」


 ええっと声を上げてしまったのは飛鳥だ。


「夏休みもお正月もですか?」


 家に帰らない。

 そんなこと、飛鳥にはとても信じられない。

 

「ああ、そうだ。忘れもしない2年前の大晦日。建築の資料を取りに寮に戻ったら、誰もいない厨房で花岡が一人で袋ラーメンを作っていてね。寂しそうだなと思ったもんだよ。だから俺も帰りにコンビニ寄ってラーメンを買って、紅白歌合戦見ながら家族で食べたよ。年越しそばならぬ年越しラーメンだな」


 それは寂しそうじゃなくて、うまそうだと思ったんじゃないかと皆が思ったが、もう誰も細かいところに突っ込むことはしない。


「そっか、花岡先輩は相変わらずか……」


 そう呟きながら近づいてきたのは森本哲郎だった。


「家族と何があったか知らないけど、家の揉め事を学校に持ち込むのは生徒会長の器じゃないね」


「あ、は、はい」


 美咲は何も答えることが出来ない。

 正しい意見だとは思いつつも、花岡に批判的なことをすると何をされるかわからない恐怖がまだ美咲にはあった。


「ねえ、歌川さん、ここを新しくするのにお金が必要なら、空組も学園リーグに本腰を入れてみたらどう?」


「ああ、その手があったか」

 

 ポンと手を叩くランスロット部長。

 そして皆が学園リーグという言葉を浴びて何か考え込む。


 その姿を見て飛鳥はつい失言した。


「あの、学園リーグって何?」


 ぎょっとした顔で皆がこっちを見る。

 

「あんた、なんでこの学校に来ようと思ったわけ……?」


 ハルは本気で飛鳥に呆れていた。

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