学園リーグ

第67話 森本哲朗のセカイ

 森本哲郎。

 神武学園、2年生、空組所属。


 半年ぶりに目を覚ました森本は、来訪した飛鳥たちを自宅に招き、温かい紅茶でもてなした。


 質素だけど温かみに満ちた森本家の雰囲気に飛鳥は安らぎを覚えたが、目の前で笑みを浮かべる先輩のミステリアスな雰囲気がそれを帳消しにする。


 地に足がついていないというか、大げさな表現をすると、肉体を持たない霊者のように見えてしまう。


 なにより会話がないのがきつい。

 

 森本先輩は柔らかい笑みでこっちを見るだけだし、飛鳥の横にいるハルはティーカップの中身を見つめているだけで会話に参加しようという意思を感じない。


 こういうとき一番頼りになりそうな美咲は、失神してしまった森本の母の面倒を見るため、別室にいる。


 沈黙が続く。

 

 ただ、紅茶はめっちゃうまい……。

 口に入れた瞬間に広がる爆発的で爽快感のある甘さがたまらない。


 いったいどこのメーカーだろう。

 どこで売ってるか聞いてみようかな。


 とはいえ、半年間人形だった人が目を覚ました当日に、紅茶の銘柄聞くヤツって、ただの馬鹿だよな……。


 とまあ、そんなこんなで口が開かない飛鳥。


 結局、口火を切ったのは森本の方だった。


「辛い言葉を浴びたり、ひどい暴力を振るわれたりして、何もかもが嫌になっちゃって……」


 自分のティーカップを両手で包み込む森本。


「自分の中に閉じこもろうと思ったんだけど、それが迂闊だった」


「ええ……?」


 奇妙な言葉に戸惑う飛鳥。

 嫌なことがあったから自殺をはかった。という説明で使う表現ではない。


「ほとぼりが冷めるまでそこにいようとしただけなのに、入り込みすぎて戻れなくなってしまって」


 まるで舞台役者のようにとめどなく言葉を紡いでいく。

 えー、とか、あのー、なんて言葉は一切出さないし、時々飛鳥から視線を外して、天井や、窓を見つめながら呟いたりもする。


「僕は大きな車に乗っている。後部座席だ。僕以外に誰もいない。なのに勝手に車が動き出してしまう。後部座席から運転席に移って車を止めようって思うんだけど、体がなぜか動かない。ハンドルに手を伸ばそうとしても届かない。車は断崖絶壁に近づく。このままだと真っ逆さまに落ちるってときに両親の声が聞こえてきた。起きろ、目を覚ませって大きな声だ。あ、これは夢なんだって気づく。なのに目が開いてくれない。助けてって叫んでも無駄。結局、車ごと落下して、わっと叫ぶと、車に乗る直前に最初に戻ってしまう。5000回くらい繰り返してたなあ」

 

「はい……」

 

 ちょっとなに言ってるかわからない。

 これはもう森本にしか理解できないことだ。

 住む世界が違う人間の思考だ。


 こういうのはハルちゃんの分野かな? と横を見たら、なんとスマホをいじっている。さすがに失礼だから止めなさいと、森本にばれないようにハルのスマホに手を置いて画面を見えなくする。


 森本はそんな無礼なハルに気づいているのか、いないのか、相変わらず儚い笑顔を飛鳥に向ける。


「自分でも抜け出せない深い場所にいるって気づいたときにはもう遅かった。肉体が朽ち果てるまでこのままだって覚悟を決めた。でも、君があっさり僕に教えてくれたんだ。抜け道があるってことをね」


「……あ、あのですね。僕は何もしてません。たまたま先輩の声を拾っただけです」


「それで十分なんだ」


 森本先輩は断言する。


「レガリアが発明されたときから僕のような人間が出てくることは必然だった。強すぎる力に適応できずに振り回される迷子たち。君は僕たちを導く灯台のような存在。君は生まれるべくして生まれた人間なんだ」


「そんなこと全然……」


 テストでゼロ点とったのに天才だと褒められる感覚だ。

 こっぱずかしくて、居心地が悪すぎる。


「葛原くん、もし、僕以外の誰かが同じように突然君に話しかけても、さっきみたいに受け入れて欲しいな」


「もちろん。僕で良ければ24時間、いつでも受付します」


 これがほんとの自動車保険、なんちゃって。

 うまい冗談を言おうと思ったが、そんな空気じゃなさそうなので我慢した。


「この紅茶、凄く美味しいわ……」


 だんまりを決め込んでいたハルが突然、声を出した。


「これ、どこのお店で売ってるんです?」


 珍しく敬語を使うが、敬意を払っているというより、距離を開けようとしているように聞こえた。

 

「どこにでも売ってるティーバッグだよ」


 森本が見せたのは、世界的に知名度があるイエローラベルのティーバッグだ。


「不思議なことがある。ここにいる三人が、同じメーカーのティーバッグを使って、同じ量のお湯を入れて、同じスティックシュガーを入れて、同じ回数かき混ぜる。どうなると思う? 3つとも違う味になるんだよ。それが人の力なんだ。個性なんだ」


「まさか……」


 ふんと笑うハルだったが、森本先輩は真剣だ。


「やってみよう」


 いきなり妙な大会が始まる。

 同じメーカーのティーバッグを三人が同じ分量で作った。


 突然始まったにかり出されたのは美咲である。


「うーん、葛原くんの紅茶は口当たりが柔らかくて優しい味がする。衛藤さんが作ったものは何から何まで雑な感じがするわね……。砂が入ってるみたい」


「あんた、ほんとにぶち殺すわよ……」


 こんな奴は試験官にむかない、放り出せと抗議するハルに対し、美咲はゴメンと笑いながら、それでも言った。


「っていうか、森本先輩の紅茶が段違いに美味しくて、葛原くんと衛藤さんのはまともに評価する気にならないのよね……」


 我ながら信じられないと驚く美咲を鋭く睨むハル。

 実は、どんなものでも、負けるということが許容できない女である。


「そんな馬鹿な話……」


 森本が作った紅茶をぐいっと飲み干す。

 くーっと悔しそうに首を振った。


「ほんとに美味しいのよ、なんなのこれ……」


 ティーバッグに仕掛けがあるのだと、袋を破こうとするハルと、みっともないからやめなよと抑える飛鳥を見つめる森本の顔はとても穏やかだ。


「明日からまた学校に行けるのが凄く楽しみだな……」


 森本はそう呟いた。

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