第66話 表現を失った少年
飛鳥は今日起きた出来事を不動と黒川に話してみた。
「心の声か。そんなケースに出くわしたことはねえなあ」
自分が関わってきた事件を振り返りつつ、首を振る不動。
たくさんの依頼を抱えて多忙な不動はあまり関心がなさそうだし、桃子は金にならないことはしないとあっさり帰宅してしまった。
そして黒川医師は険しい顔をする。
「レガリアの発明で、ヒトの進化は速くなった。他人の脳を支配して自分の操り人形のようにすることだって、理論上、不可能ではないからね」
マジかと驚く飛鳥に黒川は注意しなさいと訴える。
「会いに行くのは構わないけど、何が起きても不思議じゃない。ちゃんと準備をしてから行った方が良いね」
準備。
飛鳥はその言葉に笑顔になった。
早速ハルに電話して、起きたことをありのまま伝えると、
「本当にあんたのまわりは面白いことが起きるわねえ」
と、すぐに車椅子を走らせて来てくれた。
しかも、歌川美咲までいた。
どうやらばったりハルと出くわしたらしい。
「ハルちゃんから話を聞いて驚いちゃった。私が会いに行こうと思ってた人と、葛原くんが会おうとしてる人って、たぶん一緒だと思う」
「ほんとに?」
目を丸くして驚く飛鳥に美咲は説明する。
「この団地にね、
学校に来ていない森本に、空組の教室が移転したと連絡しようとしたのだが、全く電話が繋がらないので、直で会おうとここまで来たらしい。
森本が住む団地の最上階に向けて移動しながら、美咲は詳しい説明をしてくれた。
「森本先輩は強制沈黙っていう障がいスキルを持ってて、すごく苦労されてるみたい……」
強制沈黙は、表現イップスとも言われている。
言葉、文字、手話などの意思表示が一切できなくなるもので、もう一人の自分に邪魔される感覚だという。
空組の重鎮である大神も同じ障がいを持っているが、彼は自分の意思をタブレットに表示することで他人とコミュニケーションすることができる。
またレガリアを起動させれば、言葉を口から出すことも可能になる。
しかし、森本はそれらの行為もできず、目を動かすことでハイかイイエを伝える程度しかできない。
国から障がい者として認定は受けているが、一見すると普通の人間だから、多くの人から仮病、演技だと誤解されることが多く、心ない言葉を投げかけられ、内にこもるようになったそうだ。
桃子やハルのように神武にスカウトされたわけではなく、自らの実力で学園に入った優秀な生徒だったが、上記のように沈黙スキルを生徒たちに理解されず、いじめをうけたことで自分の意思で空組に移ったらしい。
「空組のみんなとはうまくやってて、大神先輩とは特に仲が良かったみたい。カゲロウってあだ名で呼ばれて、本人も気に入ってたみたいだけど、半年くらい前にぱったり来なくなったって……」
美咲が伝えたこれらの内容はすべて大神から聞き出したものである。
飛鳥は表現イップスという筆舌に尽くしがたい苦しみがあることを初めて知り、相変わらず無知な自分を恥じた。
ただ、それ以上にハルの様子が気になった。
美咲の話を聞いている内に明らかに様子がおかしくなった。
そわそわ、おろおろ、呼吸まで荒くなった感じ。
「ハルちゃん、大丈夫……?」
声をかけても、すぐに反応せず、何か別のことに気を奪われている。
美咲と一緒に何度か声をかけると、
「あ、ああ、大丈夫よ。時期的に古傷が痛むのよね」
自分の腰をポンポン叩いてみせる。
実際は、強制沈黙という言葉に、明菜のことを思いだして動揺していたのだが、そんなこと話せるはずがない。
「さ、カゲロウちゃんにご対面と行きましょ」
無理矢理に元気を振り絞って団地の住宅棟にあるエレベーターに乗り込む。
なんとか平静を取り戻そうと深呼吸を繰り返していると、美咲にからかわれた。
「もしかして、最近葛原くんが桃子ちゃんとばっかつるむから、イライラしてるんじゃない?」
「……あんた、ぶち殺すわよ」
平静を通り越してイライラが頂点に達したが、結果的に明菜のことは記憶の端っこに追いやることはできた。
「私があの子達のことでイライラするわけないでしょ」
とはいえ金魚の糞みたいにハルにくっついていた飛鳥が、まるで巣立つようにひとりであれこれ動くようになったのは確かだ。
イギリスに亡命した飛鳥の親から大事な息子を預かっていると勝手に思っているから、飛鳥が立派になるのは喜ばしい。
それは桃子に関しても同じである。
ここ最近の桃子は眩しいくらいに輝いている。
そんなふたりを見て何を苛立つというのだ。
と言いたいものの、なんか寂しいなと思っちゃうのも確かだったりして。
「星野さん、ゴーグル外してからモテまくってるよ。この前も万引き犯を尾行中に芸能スカウトに声かけられて、尾行がばれちゃったんだけど……」
仕事してるときは頼むからゴーグルつけてくれと不動が理不尽なお願いをするくらい、桃子は毎日のようにナンパ、あるいはスカウトされているらしい。
しかしその誘いを冷たく断って相手が困惑する顔を見るのが楽しいというのだから、ある意味で桃子は全く変わっていない。
「あの、哲朗のお友達ですか?」
エレベータを出ると、買い物帰りの中年女性とばったり会った。
すっかり疲れた感じの、マッチ棒のようにか細い女性だった。
「はい。歌川美咲と申します。森本先輩のお母様ですか?」
丁寧に話しかける美咲に、女性は申し訳なさそうに頭を下げる。
「ごめんなさい。息子はもうダメなんです」
その言葉に3人は激しくショックを受けた。
特にハルが。
「ダメってどういうこと? どういうことよ!」
珍しく取り乱し、車椅子ごと森本の母に突っ込みそうな勢いだったので、飛鳥が慌ててハンドルをつかんで止めた。
ハルの脳裏には、まだ見ぬ森本哲朗ではなく、友人である樋口明菜の姿がある。
「ここ半年で障がいが悪化して、私たちが手を貸さないともう何もすることができなくなってしまって……」
疲労と絶望を言葉に全乗せする森本の母。
日々の苦労が忍ばれる。
「それじゃあ……」
絶句する美咲。
どうやら登校拒否ではなく、登校不可能だったということか。
「その件、学園側は承知してますか?」
「伝えたんですけど、このまま欠席が続けば退学になりますとしか……」
「なにを……」
美咲は呆れるばかり。
ここまで何もしないでよく給料もらっていられるなと怒るが、ここは抑える。
「医師の診断書があれば簡単に無期限の休学扱いにできますから……」
そう呟いて森本の母に近づく美咲だったが、
「そんなことしなくて大丈夫だよ」
ある一室の玄関が開いて、パジャマ姿の青年が出てきた。
まるで女の子のように綺麗な顔立ちの青年だ。
彼を見て、森本の母は絶叫した。
「哲朗、どうして……!」
青ざめ、涙目になる母を見て哲朗は微笑んだ。
「母さんごめんね。もう大丈夫だから」
「ああ……」
あまりの衝撃にとうとう森本の母は失神してしまった。
慌てて彼女を抱きかかえる美咲。
その光景を呆然と眺めるしかない飛鳥とハル。
「なんなのこれ……?」
とんだ茶番に付き合わされたのかと顔をしかめるハルに対し、飛鳥は森本哲朗の顔をまじまじと見つめる。
初めて会った気がしない。
間違いなく、彼だとわかった。
「先輩。さっきはありがとうございます……」
頭を下げてみると、
「いや、お礼を言うのは僕の方だ」
森本はにこやかに笑った。
まるで天使のような微笑だった。
「君のおかげで戻って来れたよ。ありがとう、飛鳥くん」
森本哲朗は飛鳥に深々と頭を下げたのだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます