第65話 猫の鳴く声、誰かの囁き

 不動探偵事務所にアルバイトとして雇われている飛鳥と桃子。

 当初は用があれば電話するくらいの不定期採用という話であった。

 しかし今のところ毎日のように呼び出しがあり、タオの復旧作業から事務所の掃除、資料の整理まで、ありとあらゆる雑用を任されている。

 つまらないといえばつまらないが、難しい仕事ではないし、飛鳥が心配になるくらい日給も良いので、断る理由がない。


 事務所のホワイトボードに貼られた月間予定表には飛鳥と桃子の予定もびっちり書き込まれており、このまま行ったら正社員になれるんじゃないかと桃子が鼻息を荒くするくらい、ふたりの放課後は忙しく、充実していた。


 そして今日の放課後。

 ふたりは一匹の猫を捜していた。


 不動と同じマンションに住む、語尾にザマスをつけそうなご婦人の愛猫が部屋を飛び出してしまったのだ。

 

 外に出た猫を捕まえるのは簡単ではない。

 見つけ出す時点でまず難しく、見つけたとしても身柄確保が容易ではない。

 スピード、ジャンプ力、視力など、フィジカルの面で人が猫に勝てる要素などまるで無いのだ。


 しかし、飛鳥と桃子に関しては違う。

 彼らを雇った不動は気づいていた。


「落とし物見つけるのにおまえら最強じゃないか」


 確かにその通りだった。


 飛鳥の耳が、遠くにいる桃子の声を拾う。


「見つけましたよ。すぐそばの公園です」


 桃子の千里眼スキルが広範囲に動く猫をたやすく見つける。


「わかった。そっちに向かうね」

 愛用のヘッドホンに新しく備わったマイクと通信機能を使って桃子に返事をする。


 携帯の地図を使って公園に向かって歩き出すと、ヘッドホンに馴染みの声が飛び込んでくる。

 父が作り出した電脳執事こと、タオである。

 

「飛鳥さん、長い歴史の中で人と猫の立場は逆になったと聞きましたが、そうなのでしょうか」


 すべてのデータが復旧したわけではないのだが、もうタオとしての性格は完全に復活しており、あとは抜け落ちた記憶を元通りにするだけの段階になっている。


「そうかもね。猫を飼ってるつもりが飼われてることに気づいたなんて言う人がいるくらいだから」


「ほう。あんな愛らしいのに、ずいぶんと狡猾なのですね」


「狡猾っていうか、無邪気でマイペースだから、こっちがあわせるしかないんだ」


「なるほど」

 

 不動が大金をかけて作り出した「タオの家」から、今まで見ることのなかった外の世界にやたらアクセスしては、飛鳥を質問攻めにする日々が続いていた。


 飛鳥も優しいから何を聞かれてもきっちり答えるのはいいが、はたから見れば長々と独り言をぼやいているだけにしか見えないので、不気味ではあった。


「葛原氏、任務に集中してください。猫に気づかれたら不毛な鬼ごっこです。勝てる見込みなどないのですから」


「あ、ごめん」


「今日も鬼婆が怖いですね」


「うるさい、売りさばきますよ」

「おお、怖い」


 タオのデータごと大企業に売って大金を得たい桃子と、企業に売るとしても、軍事利用に繋がるようなデータは隠しておくべきではないかという飛鳥、黒川組の間で意見が割れていた。(不動はなんでも良いから速くしろ派)

 そのため、フィルプロのデータを大企業に売るという計画は現在止まっている。


 しかしタオはその経緯を知っているので、桃子を金の亡者、あるいは子供を売ることに抵抗がない非道な親の感じで徹底的にいじるのだった。


「見つけた、白い猫!」

 

 自分で大声を出してしまい、慌てて口を閉じる飛鳥。

 美しい毛並みのアメリカンショートヘアの雌猫が、すべり台の上にいる。


「可愛い……」

 白いもふもふの天使がいる。

 このまま連れて帰りたくなるほどだ。


「飛鳥さん、白い猫は気性が荒く、一匹狼の性質があると聞きます。近づくのであれば用心してください」


 タオがアドバイスをくれたが、飛鳥は余裕の笑みを見せる。


「こっちには必殺技があるからね……」


 メイヴァースには対象物を直線的に引き寄せる便利なオプションギア、マグネットがある。

 これさえあれば相手が俊敏な猫であろうと、容易にとっ捕まえる。


「さ、行くよ」


 メイヴァースを立ち上げ、猫に向かって手をかざす。

 まるで弾丸のように猫がこっちに飛んでくるから、それをキャッチすれば良いだけなのだが……、ここで飛鳥は気づいてしまった。


「キャッチした瞬間に凄い攻撃される気がするんだけど……」


 激しく泣き叫ぶ猫の鋭い爪が飛鳥の顔や腕をバリバリ切り刻む絵面が浮かんでしまったが……、


「葛原氏、勝利に犠牲はつきものでしょ」

「肉を切らせて骨を断つという言葉の重みを感じます」


 他人事だと思って無茶苦茶言ってくる。

 仕方ない、やろう。


 覚悟を決めて手に力を入れたときだった。


「待って」


 誰かの声が入ってきた。


「ボクがあの子をするから、怖がらせないで」


「……え」


 真聴覚は今までありとあらゆる人の声を拾ってきた。

 子供たちのやんちゃなかけ声や、サラリーマンの理解不能な仕事の話とか、ラブラブなカップルの甘い会話とか、その逆のギスギスしたやり取りとか。

 そして金村のように、飛鳥に聞こえることを前提に、はるか遠くから声をかけられたりもした。

 けど、この感じはなんだろう。

 耳ではなく、頭に声が直で入ってくる。

 こんな感じは初めてだ。


 相手はおそらくを使って話していない。


 とにかく飛鳥は謎の声の主を信頼した。

 ゆっくりと右手を高く上げて、聞こえていますよというサインを送ったのだ。


「ありがとう」


 声はそう呟くと、


「少し待ってて……」


 と、何も言ってこなくなった。


 すると驚くべきことに、すべり台の上から飛鳥を警戒していた白猫が、とことこ歩いてくるのである。


 こちらに向かってニャアと鳴く猫に飛鳥は微笑む。


「やあ、来てくれてありがとう」


 白猫を抱っこする。

 さっきまでの警戒心はどこへやら、飛鳥に対し喉をゴロゴロ鳴らしていた。


「星野さん、終わったよ」


 桃子はあっさり猫を確保したことが信じられない様子。


「どんな魔法を使ったのです? 猫の方からやって来させるなど……」


 どうやら桃子にはあの声は聞こえなかったらしい。


「あとで話すよ。とりあえず猫を飼い主に返さなきゃ」


「そうですな。報酬をがっぽり頂きましょう」


 ひひひと笑う桃子。この人、お金が好きなのを隠さなくなってきた。


 甘える猫を撫でながら、飛鳥は事務所へ戻る。

 だがどうしてもタオに確認しておきたかった。


「ねえタオ、テレパシーって可能だと思う?」


 察しの良い電脳執事はすべてを理解した。

 

「さきほどの猫の様変わりに関して、第三者の介入があったということですか?」


「うん。誰かの声が聞こえたんだけど、声のやり取りというより、心のやり取りって感じがしたんだよね」


「興味深いですね。あなたには真聴覚という未知のスキルがありますから、先ほどの出来事を精神感応テレパシーと断言することはまだできません。しかし昇さんは言っていました。レガリアという発明が人間の潜在能力を解放した以上、常識外れの素質を持った人間も出てくるだろうと。あなたと謎の声のやり取りが、そうなのかもしれません」


 タオの言うとおりだと飛鳥は思った。

 そして声の主が口にした「猫を操作する」という言葉も気になった。


「バイトが終わったら、会いに行ってみようかな……」


「待ってください。声の主がどこにいるかわかったのですか?」


「うん、あそこ」

 

 猫を確保した公園のすぐそばにある団地を飛鳥は見つめる。


「あなたがガンダムに乗ったら、恐ろしいことになるでしょうね」

「それ褒めてるの?」


 飛鳥は笑いながら事務所への道を歩いて行った。

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