第64話 余生と野心

 ハルはいつものように学校を抜け出し、いつものようにスエちゃんこと、末続千香すえつぐちか刑事とファミレスで打ち合わせをしていた。


 ある事件をきっかけに出会ったふたりは、民間人と警察官という垣根を越え、必殺仕事人から殺しを抜いたような世直しに出向くようになる。

 スエちゃんの頭脳とハルの魔力はこの町の治安を確実に向上させ、スエちゃんは出世、ハルは暇を潰せる道楽という、欲しかったものを手に入れてきた。


 スエちゃん個人ではどうにもできない難しい事件をハルに打ち明け、どうやって解決するか、模索する。

 その時のスエちゃんはいつも興奮状態で、正義の味方を気取っていたが、今日に限っては、彼女のテンションが低かった。


 最強と思っていたコンビですらどうにもできない壁にぶつかったからだ。


「ハルちゃんが倒したドリトルの連中がね、次から次へと留置所の中でおかしくなってるのよ」


 多忙すぎて美容院にいけず、中途半端に伸び、少々痛んでもいる髪の毛先を険しい顔でいじるスエちゃん。


「おかしくなるって、どういう意味?」


 コーラをストローを使って一気飲みするハル。

 彼女に関してはいつもの如く、冷静で、ちょっとだけ眠そうだった。


「まるでカカシみたいになっちゃうの。たぶん、一生ね」

「へえ、怖いわねえ……」


 他人事のように呟くハル。いつものことではある。

 一方、スエちゃんはフライドポテトを丸太のようにしてつかんで口にぶっ込む。


「ドリトルは思っていた以上に恐ろしいって、上の連中がビビり出してる」


「手をひけって?」


 無念そうに頷くスエちゃん。


「悔しいけど、相手の出方がつかめない状態じゃ何が起こるかわからないでしょ。ひとまず私も同意した。けどずっとじゃない。いつか絶対ぶっ潰す」


 力強い言葉を浴びてハルは微笑む。

 いつまでもスエちゃんは特撮ヒーローのようにを信じて疑わない。


「ハルちゃん。ドリトルの連中があなたを狙うってこともあり得るから、もし身近なところで危険を感じたらすぐ言って。私が何とかする」


「ありがと。私もずっと暇だから、なんでも言って」


 励ましたつもりだったのに、スエちゃんの顔は曇ったままだった。

 外の景色をぼんやり眺めながら、まるで他人事のように呟きはじめる。


「初めて会ったときのこと覚えてる? あなた、言ったわよね。私は今、余生を過ごしてるって。私の人生にもうドラマはいらないって」


「言った」


 ロボットのような口調で呟くハル。


「約束通り、あなたについてなにひとつ調べてないから言えちゃうけど、本当にそれでいいの?」


「何が?」


「これからじゃない。あなたは」


 スエちゃんがハルの心に踏み込もうとするのはこれが初めてだったので、ハルは苦笑いするしかない。


「心配してくれてありがたいけど、私は変わらない。これからもずっとね」


 その答えをスエちゃんは予想していたようで、あっそう、とサバサバした顔になる。


「なら謝らなきゃ……」


「ん?」


「偉くなるとね。聞きたくないことでも勝手に耳に入ってくるのよ。あなたの友達の樋口明菜さんのこととか」


「ああ……。そうでしょうね」


 空になったグラスに入っていた氷を口の中に放り込んでゴリゴリ噛み砕く。

 冷静を装っているが、内心は驚いているようだ。


「ここ数週間で、様子がひどくおかしくなったって報告があったらしいわ。ひとことも喋らずに、目を見開いたまま壁を見てるって。心当たりある?」


「それが普段だった。としか言えない」


 淡々と呟くが、目が泳いでいるのが自分でもわかる。

 明菜のこととなると、どうしても落ち着かなくなる。


「樋口さんのような内にこもる子供に慣れているはずのプロですら恐がってる。あの事件のように全員殺されるんじゃないかって。まるでレクター博士みたいに彼女を扱って……」


「あの子は理由もなく人の命を奪ったりしない」


 しかしスエちゃんはハルの手に自分の手を置いて、強く訴える。


「それを信じる人間が身近に誰もいないのよ。ねえ、一度会ってみてくれない?」


「私が……?」


「あなただけなんでしょ。樋口さんとまともに会話できたのって……」


「かもしれないけど……」


 それはハルにとって恐怖であった。

 会いに来てくれるなら安心して迎え入れる。

 けど、自分が会いに行ったとして、明菜がハルを迎え入れてくれるかどうかはわからない。自信が無かった。


「ごめん、考えさせて……」


 ハルはそう呟くと、逃げるように車椅子を走らせてファミレスを出て行った。


 これはハルに訪れた初めての試練だったかもしれないが、彼女と同じく、分岐点に立たされた少女がいた。


 ドリトルのスパイ。新藤青である。


 直接の上司である南翔馬に神武学園で起きたことを事細かに報告するのが彼女の日課だった。


 飛鳥やハルが所属する空組が教室を追い出されたこと、その件で生徒会が荒れに荒れたことを詳細に説明すると、南は驚いたように頷くばかり。


「あっちはあっちで変化を求められているようだね。神武の生徒会長に関してはもう少し突っ込んでみようか。利用価値がありそうだ」


「はい。ではタオの奪取に関しては……」


「ああ、今日はちょっと真面目な話をしようよ」


 南は読んでいた資料を脇に追いやり、その端正な顔で新藤を見つめる。


「新藤くんってさあ、野心とかある?」


「え……」


 こんな個人的なやり取りを南としたことがないので、戸惑うしかない。


「俺にもあるし、他のみんなもあるだろう。けど、君はなさそうだよね」


 南は相変わらずニコニコが止まらない。


「君の場合はあれだろ? ドリトルに拾われた身だから他に行くところがない。だからドリトルがやれと言うことにひたすら従うだけ。それで良いと思ってる」


「それの何が……」


 南の責めるような口調に対して、ついつい反抗的になる新藤。

 実際南の言うとおりではあるのだが。


「新藤くんもわかってると思うけど、俺たちの仕事はまともじゃないんだ。守るために奪い、手に入れるために傷つけ、稼ぐために殺す。やることなすこと、道に逸れてばかりだ。こんなことを続けていけば、いずれぶっ壊れる。そうならないための野心なんだ」


「……」


「ここにいる連中がまともでいられるのは野心があるからだよ。自分らのしていることが世の中をよくすると信じている奴もいるし、自分の家族のために稼ごうと決意している奴もいる。野心が心の安定を生み出してるわけだけど、君にはそれがない。君はドリトルで何をしたいのかな?」


 新藤は戸惑いつつ、正直に告白した。


「考えたこともありません……」


「だよな。けどね。このままだと君、まともになっちゃうよ」


「え?」


「君の仕事はスパイだ。毎日神武学園に出向いて、まともな連中とまともな日々を過ごしている。野心がなければ、きっと君はそいつらに引っ張られるだろう。いつか自分のしている仕事に良心の呵責を感じるようになるだろう」


「……」

 新藤は恐ろしくなった。

 南の言ったとおりだと思ったからだ。

 

 あの日、生徒会長が美咲に乱暴な言葉を吐き続けていたのを見たとき、美咲が心配になった自分がいた。

 美咲はずっと優しかったから……。


 私は、まともになっているのか……。


「新藤くん。俺は君を高く評価している。できればずっとここにいていい。だけど君はまだ未成年だ。こんなヤバイ連中とずっと足並みを揃える必要はない。もし、自分がここにいることが耐えられないと感じたら、正直に言いなさい。一度だけ、すべてを許し、すべてを忘れて、君を外に送り出すことを約束する」


「……」

 これは南の優しさだと思うが、それ以上に彼が恐ろしくてたまらなくなった。

 この男に嘘はつけないし、嘘をついたとしても絶対に見破られる。


「ありがとうございます。でもまだ私にはわかりません……」


 南はうんうんと頷く。


「ゆっくり考えなさい」


「あの、ひとつ聞いて良いですか?」


 その言葉に南は皮肉っぽく笑った。


「もしかして、俺の野心を聞きたい?」


「はい」


 深く頷く新藤に、南はあっけらかんと言った。


「もちろん、世界平和だよ」

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