第3章 僕の野心と彼女の余生
日常を生きる生徒
第61話 また追放
葛原昇がイギリスへ飛び立ってからちょうど1週間。
神武学園の生徒会役員が一斉に集まる定例議会で嵐が起きようとしていた。
生徒会長、花岡修司は開口一番こう切り出した。
「では、空組の教室を現在の校舎最上階から、第3倉庫に移転する案についてみなの決を採りたい」
「ええっ?」
空組にクラス替えしたばかりの歌川美咲にとってはまさに青天の霹靂。
「第3倉庫って……」
広大な神武学園の敷地外にある倉庫。
生徒たちにとっては道に置かれた石のような存在でしかないから、中に何があるか誰も知らない。
わかっているのは、とにかく古い、ということだ。
「待って下さい。あまりに突然……」
しかし美咲の横に座っていた1年学長の藤ヶ谷が真っ先に手を上げた。
「賛成」
その言葉をきっかけに次々と役員達が「賛成」「異議なし」と声を上げていく。
「……もう」
やられた。
実はここ数日間、美咲は空組の環境改善のために精力的に動いていた。
彼らが置かれた現状は倫理的にふさわしくない。
そして彼らに対する偏見と誤解があまりにも多いと、今日の定例議会で訴えようとしていた。
それがまさかの不意打ちで、発言をする機会すら失われた。
これは学長の藤ヶ谷の仕業だ。
彼が裏であちこち根回しをしたのだろう。
飛鳥の暴力事件や桃子と美術部の争いから始まった校舎破壊など、1年生発のトラブルが多発したことで、生徒どころか教師たちからも苦情が殺到した。
学長としてその責任を問われると焦った藤ヶ谷が、すべての責任を空組におっかぶせた。その結果が空組追放である。
美咲が何をしようとしているか承知の上でだ。
やってくれる……!
じろりと横目で黒幕を見る。
その視線に気づいているくせに、藤ヶ谷はしれっとしていた。
だが彼が諸悪の根源というわけではない。
あくまで導火線に火をつけただけ。
空組へのヘイトは想像以上に蓄積していた。
藤ヶ谷が何もしなくても、いずれこうなっていたかもしれない。
なにしろ美咲以外の全役員が賛成という圧倒的敗北。
自分が現状を訴えれば皆もわかってくれるなんて思い込みは甘々だった。
こうなった以上、追放という結論は覆せない。
美咲は抵抗を諦め、譲歩を迫る現実的な行動に移る。
「待って下さい。あの倉庫は古すぎて空調設備がありません。これからもっと暑くなるのに、炎天下では授業が……」
「うんうん」
生徒会長の花岡がニコリと微笑む。
イケメン過ぎる生徒会長としてナンバーワンの人気を持つ男は、相変わらず笑顔がキラキラ輝いていた。
「もちろん承知している。その点に関しては臨時予算を空組に割り当てるから、君の方で処理してくれ」
金は出すがそれ以外は何もしないということらしい。
要するに手切れ金ってことか。
あまりに雑な処理だと美咲は苛立つ。
「空調設備だけではありません。長い間放置されている場所です。ハウスダストで苦しい思いをする生徒たちだっています」
空組生徒には体が弱い子達も大勢いる。
ハウスダストに反応してアレルギー症状を起こしてしまったら……。
とにかく第3倉庫には行きたくない。
行かせるわけにはいかない。
「いろいろ意見はあるだろうが、すべて君に任せる」
ばっさりと花岡は言い切った。
これ以上議論を続ける意思は無いとばかりの強い口調。
「引っ越しは金曜日までに行ってくれ。それ以上過ぎたら今度こそ警察に頼らざるを得ない」
「えっ!?」
美咲だけでなく、追放案に賛成した役員達ですら驚く強行スケジュール。
何しろ今日は水曜日。
おまけに期日を過ぎたら警察を呼ぶなんて……。
これには副会長の長崎玲香も黙ってはいられない。
「花岡、ねえ待って」
いつもなら敬語を使うのだが、あえて1人の友人として、花岡にブレーキをかけようとする。
「さすがにその日程は無理があるわ。空組には空組の都合があるし、彼らが全員従うとも思えない。もう少し慎重に、穏やかに行くべきよ」
冷静に、それでいてはっきり主張しつつ、美咲をちらりと見て強く頷く。私が上手くやるから心配しないでと言わんばかりに。
もともと長崎は美咲を自分の後継者にしようと考えるくらい彼女を評価していたので、役員達の中では美咲に同情的ではあった。
しかし花岡は言った。
「空組のおかげでどれだけ貴重な時間が失われたかわかるだろ? これ以上生徒たちから教育の場を失わせるわけにはいかない」
長崎が圧されるくらい花岡の目は怒りに燃えていた。
「神武学園の目的は社会で即戦力になる人材を育て上げることだ。国のえこひいきでなんとなくやって来た連中にこれ以上かきまわされるなんて馬鹿げてる」
この一言には美咲が黙っていない。
「それは違います。彼らはきちんとした……」
「そういう議論は大人になってからEテレでやってくれ」
「……え」
美咲は理解した。理解させられた。
花岡はもう聞く耳を持っていない。
何より彼自身が空組を邪魔だと思っているし、それを隠そうともしないし、その点について考えを改める気すら無いと。
「そもそも最初から間違っていたんだ。まともな人間と空組を同じ校舎に溶け合わせると言うことがさ。空組にいる生徒たちは残念ながらハンディを持つものが多い。その事については可哀相だとは思うが」
花岡の頬が赤くなってきた。
彼自身が興奮を抑えきれていないようだ。
役員達も唖然とするしかない。
こんな生徒会長、初めてだ。
「俺たちと空組とではパーソナルエリアの大きさが違いすぎる。固体距離が干渉して、ぶつかりあった結果どうなったと思う。あっちが悪い、向こうが悪い。こっちの都合にあわせろ、差別をするな。まるでオウムのように同じ文字を発するだけ」
はあーっと大きな溜息をつく生徒会長。
「じゃあ聞くが、差別をしてほしくないわりに特別扱いしろってのは何だ。矛盾も良いところだ。こんな何の結論も出ない不毛な意見がぶつかり合って、残ったのは苛立ちと憎しみだ。こんなことを俺たちが生まれる前からずっと続けてきてる。つまり無駄だ。無駄なことに関わってられる時間はこの学校にはもうない」
皆、何も発言しない。
世の中には思ってはいても、言ってはいけないことが多々あるが、冷静沈着で温厚篤実で知られた生徒会長がその領域にずんずん踏み込んでいく。
いまや生徒会の定例議会は、1人の高校生が怒っているだけの場所になった。
「いいか歌川さん。俺たちと空組は、離れた方がよりよい関係を築くことができると思う。平行線だ。言っている意味わかるか。どこまでも垂直に伸びて決して交わることのない線だ。お互いが見える位置にいながら、決して交わることない関係。これが最適だと思う」
そして生徒会長は持参していた水筒の冷水をぐいっと飲んだ。
美しき髪が汗でキラキラ光る。
何をするにも絵になる男が、これ以上無いくらい美貌をさらけ出していた。
「平行線ではあっても進行方向が同じなら、それでいいじゃないか」
「……」
もう関わるのは止めようということか。
花岡の話を聞いている内に、美咲は心の中がすっと冷めていくのを感じた。
圧倒的な拒絶を浴びると、こんな空っぽな気持ちになるのかと思っていた。
「わかりました。空組は空組で好きにさせて頂きます」
もうこれ以上、ここにいる必要はないと美咲は立ち上がる。
「先輩。残念です」
そう告げても、花岡は流れる汗をハンカチで拭くだけで美咲を見ようともしない。
それどころか言いたいことが言えてすっきりした感じだ。
しかし残りの役員達はこんなことになるとは思わず、動揺を隠せない。
特に藤ヶ谷はやべえことになった、どうしようの顔である。
「お世話になりました」
あえてそう吐き捨てて美咲は生徒会室を出て行く。
長崎が書記の新藤に何か呟く姿を見た。
会長の発言は記録するなと耳打ちしたのだろう。
「何なのよ、もう!」
何度も壁を叩きながら早足で歩く美咲だったが、
「落ち着くのよ美咲、ピンチはチャンス……」
頭の中に浮かぶのは、豊臣秀吉から関東に国替えされた徳川家康である。
作り上げた駿府から未開の地に移されて弱体化したと思いきや、そこで街作りをして関東に大都市を作り上げ、天下統一の礎を築いたのだ。
「見てなさいよ……」
美咲は瞳に炎をたたえて空組の教室へと戻っていった。
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