第60話 老人と孫
片腕を失い、体を包帯まみれにして、高熱にうなされながら、それでも目の前にやって来て土下座する桐元を、葛原十条はじっと見つめている。
老人とは思えない強靱な体と、魔法の使いすぎで血のように赤くなった瞳。
そして両腕に巻かれたふたつのレガリア、グレンヴァルドとベルクヴァウ。
日常的にレガリアをふたつ着けたまま普通に暮らせる人間なんて、おそらく彼しかいない。
どんなに年を重ねても自分の肉体と野心を持て余す男。
それが葛原十条であった。
彼の手には桐元がよこした資料がある。
今回の戦闘で役に立った者と、期待外れだった者、さらに敵前逃亡した者など、戦いに関わったすべての社員の戦績が事細かに記されていた。
このリストにバツ印を着けられた者は、泣きたくなるくらいの減給で済めばラッキーで、最悪の場合、この世界に最初からいなかった扱いになる。
いつもなら意気揚々と恐怖のリストを主に見せるのが桐元の役目だったが、今回に関しては自分自身が最悪の戦犯なので、脅えるばかりである。
十条は資料を一字一句丁寧に読み終えると、
「桐元、その体はいつ動くようになる?」
と、重々しく切り出した。
「はっ! 今すぐにでも……」
「お前の意見ではない、医者の意見だ」
「あ、いや、医者とはあまり話をしておらず……」
オロオロする桐元をつまらなそうに十条は見る。
「なら医者が良いというまで休め」
「え、いや……」
こんな対応、初めてで動揺するしかない。
そんな配下を十条は鼻で笑う。
「これが戦場であれば、体たらくな働きだと咎めようもできるが、一族のつまらん揉め事に社員を巻き込んだとなると、関わったすべての連中に申し訳がたたん。やる気が無くて当然、逃げて当然。今回は何もなかったのだ」
魔法でぼわっと資料を燃やす。
「は、ははあっ!」
なんて寛大なお裁きと額を畳にこすりつける桐元であったが、
「だが、最初に背を向けたヤツだけは処理しておけ。はっきりと、わかりやすくな。妙に勘違いされて気を抜かれても困る」
「は、はいっ!」
これでこそ我が主と笑顔になってしまう桐元。
「私はもう一度、東京に行く」
独り言のようにつぶやく十条。
「今回の情報を流した大元に興味がある。そいつと話がしてみたい」
「わかりました。ではご家族の件は……」
ふむと両目を閉じて思案にふける十条。
「昇の件はあえて手を緩めろ。他国の保護にある状況で突っ込んだことはできん。だが飛鳥が日本にいる以上、あいつも好きには動けないだろう」
「では、その飛鳥様については」
その時、十条が笑った。
それはとても珍しいことで、桐元は釘付けになった。
「放っておけ。逃がした魚がどうなるのか見てみたくなった」
「は、はあ……」
「だがいずれにしろ、あいつと交わることはないだろう。もし大魚にでもなったら、その時、杭につければいい。その方が派手で、人目も引く」
葛原十条にとっては家族ですら道具でしかない。
使えるか、使えないか。それだけで彼は判断する。
自分の野心を遂行するために。
「まずは塔の計画の立て直しだ。フィルプロが使えない以上、かわりとなるものを考えろ。頭を使うくらいならベッドの上でもできるだろう」
「当然です」
丁寧に頭を下げる桐元。
いつもなら言うだけ言ってどこかに去って行くのが常だったが、今回はまだ出て行かない。
あれっと主を見ると、十条は両目を閉じて何やら思案している。
これもまた珍しい。
「目下の障壁は、衛藤の小娘だな……」
「は、はいっ……」
ハルの姿を思い浮かべるだけで傷が痛むのか、肩を押さえて苦い顔をする桐元。
そんな部下を十条は失望のまなざしで眺めている。
「警告したはずだ。衛藤の名が付く娘なら千人がかりでも足りないと。腕一つで済んだことを幸運に思え」
「はっ……」
桐元はもはや衛藤遥香への怒りや恨みは湧かないようだ。
髪を逆立てて、こちらに迫る姿を思い起こして恐怖を感じるだけ。
「いいか、真っ向勝負では勝てぬ相手だ。策を使え」
「といいますと……」
「衛藤家の連中は、自分たちで集めた養子たちに計画的に殺されたということになっているが、実際は違う。奴らはたった一人の小娘に皆殺しにされたのだ。自分たちが産み出し、育て上げた怪物にな」
初めて耳にする事実に桐元は激しく驚いた様子。
「もしや、その怪物というのが、あの……」
しかし十条は静かに首を振る。
「いや、衛藤の小娘は怪物を解き放っただけだ。覚えておけ、怪物の名は樋口明菜。衛藤家を皆殺しにした後はすぐ投降して、現在は警察の保護下で静かに過ごしているそうだが、精神は今だ不安定、だそうだ」
「樋口、明菜ですか……」
そして十条は立ち上がった。
「どんな手を使ってでも樋口をこちら側につけろ。ヤツを衛藤の小娘にぶつける」
「は、ははあっ!」
主の勢いに押されて思わず土下座する桐元。
「それでも駄目なら、私がやる」
そう呟くと、葛原十条は屋敷を出て行った。
祖父が孫に対する考え方を変えたというのは、飛鳥にとってひとつの成果かもしれない。まあ、結局行き着く先は変わってないどころか、明確に殺意をもたれてしまったけれど……。
いずれにしろ、飛鳥は日々を楽しんでいた。
桃子と一緒に、不動の事務所に臨時バイトとして雇われることになったのだ。
彼らの目下の仕事はフィルプロの魂、マスターAIタオの復旧である。
学業を終えるとすぐに事務所に飛ぶ。
不動は、かつてハルが寝泊まりした最高級の部屋の中に、タオが住む予定の「家lをこしらえた。
あとで請求書見たら泣くかもしれないと不動が言うくらいのウルトラでハイパーなスペックの電子機器を大量に導入したらしい。
この部屋に、タオのデータが入ったUSBメモリが足の踏み場もないほど散らばっている。
各メモリにはきっちりとナンバリングがしてあったのだが、これが厄介だった。
機械音声の指示に従って同じ番号のメモリを探す不動達。
まるで百人一首状態。
「続きまして、F1の155」
声はタオだが、あくまで復旧したのは声だけで、かつての人格を取り戻してはいない。
「くっそ、想像以上にめんどくせえな……」
不動が頭を抱える。
ひとつひとつのメモリを「家」に戻すだけでも難儀なのに、まさか順番が決まっているとは……。
「あったですよ!」
桃子がメモリを拾い上げて歓声を上げるが、
「あ、これはF3だった……」
ぽいっと投げ捨てる姿を見て飛鳥がおののく。
「ダメだよ! 拾ったやつはきちんと記録しないと、また探し回ることになる!」
「むむ」
雑な動きをさっきから飛鳥に注意されてばかりの桃子。
「あたしはこういう作業が苦手でやんすよ!」
やってられんとその場に倒れ込む桃子。
「俺もダメだ。魂に火がつかねえ」
不動までもがやる気を無くし、とうとうテレビのリモコンを手に取ってしまう。
「おっ、シン・相棒の再放送だ。休憩しよう」
「またですかぁ……?」
仕事している時間より休憩時間の方が長い気がする……。
「あーあ、殺人事件とか起きねえかなあ」
「私はドロドロの不倫調査をしてみたいですよ」
だらけるふたりをよそに、飛鳥はせっせとメモリを探す。
「あった! F3の155!」
まるでライオンキングのように探し出したメモリを掲げるが、
「おめでとうございます。次はF6の395になります。その後、B3の258、F4の123、J5の35を10秒間隔で、流れるように、ひねりこむように、夢に花、花に風、君には愛を、そして孤独を、つつみこむように、といった作業となりますので、4つのメモリをすべて見つけてから作業を行うことを推奨します、ガンバ」
「タオ……、もう戻ってない?」
とにかく飛鳥は日々を楽しんでいたが、彼らは気づきもしていない。
大人たちの思惑と、神武の生徒達が彼らに抱く不満の大きさに……。
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