第58話 君はどう思う?

 葛原昇とその関係者を乗せた輸送機は順調に飛行を続けていたが、警戒は怠っていない。

 特に人一倍、いや十倍くらい心配性の秘書、遠山はあいかわらずキョドっている。


「英軍と連絡がつくまで油断するなよ。どこから攻撃が来るかわからんのだ。もしそうなったら……」


 死んじゃう、死んじゃうようと震える遠山を彼の部下たちがなだめる。


 そのかたわらで、飛鳥の母である麻衣は流れる涙をハンカチで拭っていた。


「少し見ないうちにあんなにたくましくなって……」


 優しすぎて虫も殺せなかった息子が、まさか四輪バギーを投げ飛ばすなんて思ってもみなかった。

 やり過ぎと言えばやり過ぎだけど、とにかくホッとしている。


「あの子ならちゃんとやっていける……」


 それに息子のそばにはあの不動までいた。

 彼が息子と一緒にいたことも、彼の過去を知る麻衣には望外の喜びだった。


 しかし、ある少女の姿が浮かんできて、母は複雑になる。


「あの子……」


 もちろん衛藤遥香だ。


「凄すぎて、ちょっと心配になるわ……」


 驚異的な力はもちろんのこと、それを見事に使いこなす判断力が並外れている。

 ただ、麻衣は優れた魔術師だからこそ感じ取っていた。


「きっと苦労してるはずよ……」


 麻衣のように、何かの弾みで凄まじい魔力を手にしてしまった人は、皆、幸福とは言えない人生を歩んでいる。


 彼らのほとんどが権力に食い物にされるのだ。

 

 なにしろ麻衣がそうだった。


 ただ彼女の場合、流れ着いた先に昇がいたことで、思わぬ幸福と安らぎを手に入れてしまった。

 ただそれは宝くじの一等が当たったような奇跡であり、誰もが同じ境遇になるとは言いがたい。


 優れた魔術師は擾乱じょうらんを呼び、人を不幸にする。

 麻衣を鍛えた魔術師の口癖だった。


 あの天才魔術師が飛鳥と接触することで何かいい結果が生まれれば良いけど、逆に飛鳥が悪影響を受けたりしないか、親としては気がかりではあった。


「昇さんはどう思う……?」


 そう尋ねたのに、夫は不機嫌そうだった。


「どしたの?」


 せっかく息子と再会できたというのにむすっとしている。

 いつもなら俺の息子が立派になってと泣きわめくのに、腕を組んで唇を真一文字に結んだまま目を閉じていた。


「ベルエヴァーを着けてなかった……」


「え?」


「俺が送った発動機はつどうきを使ってなかったんだよっ!」


 飛鳥が使っていたレガリアは懐中時計タイプで、ベルエヴァーは腕時計タイプだ。

 その道のプロである昇は、パッと見ただけでメイヴァースの特徴をつかんでいた。


「あれは装備者の感情の高ぶりに応じて能力を無制限に向上させるヤツだ。つまり久野が作った発動機はつどうきに違いない! あの馬鹿のだ!」


「……ああ、そう」

 呆れたように額に手をやる妻。

 ライバル会社の天才クリエイターのこととなると夫は子供になる。


「よりによってなんであの馬鹿が作ったものを着ける!? あの野郎、いったい飛鳥に何を吹き込んだんだ! 大体なんであいつがここらにいるんだよ! くそっ、俺の息子を寝取りやがって!」


「なに言ってんのよ……」


 こうして昇を乗せた輸送機は慎重に、それでいて騒がしく、日本を飛び立った。


 葛原十条の支配から逃れるための計画はかなりのドタバタを引き起こしたが、とりあえず上手くいった。

 とはいえ、大事な1人息子を連れて行けなかったという点で、完全に成功したとは言いがたい。

 日本に飛鳥がいる以上、葛原十条の人質という状態に変化はない。

 

 そもそも、イギリスに逃れて安全を確保した後、十条とその部下たちの「計画と悪事」をさらけ出してやろうという目論見があった。

 しかし息子のことを思うと、おおっぴらに動くことはできないようだ。

 空輸港を飛び立ってから5日経っても、葛原昇のイギリス逃亡は明るみに出ない。


 まして、あの空輸港の戦いですら、倉庫にあった精密機器の不具合による火災ということになってしまった。

 今回の戦闘には全く関わっていない「工場長」なるおっさんが大勢の報道陣を前にへこへこ謝罪して、事件はおしまい。 

  

 まるであの戦いが嘘だったかのように穏やかな日常が続いている。

 しかし戦いに関わった全員がわかっていた。


 このままでは終わらないと。


 そんなヒリヒリした日々の中、完治した金村がこの町を出ようとしていた。

  

 早朝の駅で彼を見送りするのは不動と黒川だ。

 飛鳥も見送りしたいと言ったが、関係者に見られたらまずいという判断から、同行を拒否している。

 

「世話になったね。何から何まで君たちのおかげだ」


 人の少ない駅のホームで、金村は不動と黒川に深々と頭を下げた。


 ドリトルの連中に襲われ毒を盛られたことで、かなり痩せてしまったが、その瞳の生気は失われていない。

 それどころか、ますます彼の意思は強くなっているようで、それが黒川には心配のタネであった。

 

「本当なら、あなたもイギリスに行った方が良いと思うんですが」


「いやいや、そういうわけにはいかないよ。やることがたくさんあるんだ」


 金村は笑う。

 かつての上司である昇と並んで葛原製作所の二大イケメンともてはやされるくらいの人なので、いちいち笑顔が眩しい。


「なるべく多く協力者を集めたい。君たちのようなね」


 頼もしげに若いふたりを見つめる金村。

 彼にとって不動と黒川は希望なのである。


「何かツテでもあるんですか? もし人手が欲しいなら……」


 ニヤッと笑って自分を売り込もうとする不動。

 彼の本職は探偵である。


 すると金村はとても興味深いことを言った。


「久野英一を探そうと思ってる」


 おお、と驚く不動。


「あの元ヤンファンエイクの、今どこにいるのかわからないっていう。そのせいであちこちの企業の株価を下げまくってる困った人ですか」


 深く頷く金村。


「彼が最近までここにいたと飛鳥くんから聞いた。おまけに彼が使ってるレガリアは久野の手作りだそうだ。それを聞いて俺は確信した。久野はまだ日本にいる。彼ならきっと俺たちに協力してくれるだろう」


「久野と昇さんはめちゃくちゃ仲が悪いって聞いたけど」


 首をかしげる不動に金村は苦笑する。


「あれは子供の意地の張り合いだよ。どっちが良いレガリアを作るか張り合っていただけで、結局目指すところは同じだった気がするんだ……」


 そこまで言うと金村は周囲を伺い、近くに人がいないことを確認した。


「葛原十条はレガリアを使ってこの国を戦前に戻そうとしている。どんな手を使ってもね。フィルプロを失ったくらいでその野心はなくならないだろう。君たちはそれを聞いて、どう思う?」


 試すような金村の言葉に、不動と黒川はほぼ同じタイミングで即答した。


「冗談じゃない」

「許されることではありません」


「よかった」


 金村はホッとしたように微笑んだ。


 彼が乗る予定の電車がホームにゆっくりと入ってきた。


「葛原十条にノーと言える人間を俺は探す。君たちはタオを頼む。めんどくさいやつだが優秀だ。使い倒してくれ」


 こうして金村はこの町を出て行った。

 そしてその姿を見送った不動は断言した。


「要するに、戦争が始まるってことだな」


 まずはタオを眠りから覚ますことだが……。


「あの大量のメモリを一個一個抜き差しすんのかよ……」


 青ざめる不動に黒川は肩をすくめるだけだった。

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