第57話 ハルの本気

 まるで生気の無い人形のように、だらりと立つ飛鳥。

 

「だ、だめだ。俺は降りる!」


 耐えきれなくなった社員のひとりが武器を捨てて逃げ出す。

 

 それを機に、まるでダムが決壊したような勢いで、クズハラの社員達が我先にと逃げていく。


「おい、待て!」


 桐元が慌てて部下を呼び止める。

 目の前を通り過ぎる男の肩をつかみ、容赦なく殴りつけた。


 あっと倒れる社員。

 なにしろレガリアを5個も起動しているのでパワーだけはあるから、殴られた男は気を失って動かない。


 だが桐元ひとりの力でこの流れは止められない。

 ルガルーへの恐怖が社員達の戦意を完全に奪い、桐元は求心力を失った。


 飛鳥の捨て身の選択は絶大な戦果を生んだ。

 ひとつの魔法も使わず、大勢の敵を逃亡させたのだ。


 しかしその代償は大きいのか。

 飛鳥は生気の無い人形のように立ち尽くすだけだ。


「む……?」


 棒立ちの無能少年を桐元は疑わしげに見つめる。


 本来なら目に映った人間を手当たり次第に襲うはずなのに、ただふらふら立っているだけではないか。


「は、ははは……!」


 桐元は笑う。

 あのルガルーですら上手く立ち上がらないとは。

 

「元がダメなら大したことにはならないか」


 まして今の自分は強力なパワーを手にしている。

 

 この馬鹿息子を殺して地獄に道連れにしようと、ナイフをかざして飛鳥に近づこうとするが、


「待ちなさい」


 ハルの手が桐元の腕をつかむ。


「あの子を殺していいのは私だけよ」


 その言葉がカギになったのか、飛鳥が頭を抱えてうーっと苦しみ出す。


「見ろ、ルガルーとすら噛みあわんのだ。これ以上の無能があるか」


 そして、かっと目を見開いてハルにまくしたてる。


「心配しなくても飛鳥の次にお前を殺してやるよ」

 

 とにかく今はどけと、レガリアのパワーに任せてハルの手を振り払おうとするが、ハルは微動だにしない。

 レガリアの多重起動の副作用が体を重くしているのか、それ以上にこの娘の力が強いのか。ハルの手を引き剥がすことができない。


「くっ!?」


 どう抗ってもハルの手が離れない。

 その細い腕にはベルエヴァーがしっかりと巻き付いていた。


 ハルの大きな瞳に、驚く桐元の顔が映る。

 

「私たちはね、飛鳥ちゃんを信じたからここまで来たの。怪我したり、怖い思いをしたってかまいはしない。覚悟の上よ」


 ハルの手が力を増す。

 骨を折られるのではないかというくらいの痛みに桐元の顔が歪む。


「だけどね、あんたに付いてここまで来て、あんたに背中を焼かれた人達に、あんやはいったいどう責任取るつもりなの?!」


 管制塔からの一撃を喰らった社員。

 そしてサラマンダーの炎で焼かれた社員達が、今も苦しそうに地面に横たわっている。

 アーマーとレガリアのおかげで死は免れたようだが、ひどい火傷を負ったことに間違いは無く、もしかしたら一生その苦しみを背負うものもいるかもしれない。


 彼らのことを思うと、ハルの怒りは収まらない。無念すら感じる。


「はっ」


 そんなことかと笑う葛原製作所の重役。


「主のために犠牲となるのだ。名誉の負傷だよ。考え得るなかでもっとも美しい死に繋がる栄光への傷だ」


「ああそう」


 その言葉を待っていたとばかりにハルは微笑む。


「なら、私も気兼ねなくあんたを殺せる」


「……!」


 桐元はわかっていなかった。

 この場に残ったクズハラの社員達もそう。


 まして不動や桃子、美咲すらわかっていなかった。


 衛藤遥香という人間の底知れぬ魔力に。


 ハルにつかまれていた桐元の腕に風の刃が結集する。

 見えない刃の冷たさを全身で感じ取った桐元の顔が絶望に覆われた。

 

 レガリア5つ分のシールドなど何の意味も無かった。

 

 差がありすぎる。

 そもそも勝ち目など無かったのだと桐元は全身で感じ取った。


 まるで野菜を切るように、ハルはいとも簡単に桐元の腕を肩口から切り落とし、投げ捨てた。


 飛び散る鮮血に皆があっと声を上げる。


 そしてハルは桐元の体を蹴りとばして地面に転がす。

 

「な……」

 

 痛みとショックで顔面蒼白。

 肩口を手で抑えながら、這いずってハルから離れようとする。

 しかしその両足はあらぬ方向に曲がり、その痛みで桐元は絶叫した。


「衛藤さん! もういい!」


 不動が耐えきれずに叫んだが、ハルは無視する。


「……あ、ああ……」


 もううめき声しか出せない桐元。

 片腕を落とされ、両足は粉砕され、イモムシのようになった男をハルは見下ろす。

 

 そして桐元は動かなくなった。

 かろうじて息はしているようだが、いつまで持つか。


「最高に苦しんで死になさい」

 

 右手を掲げて魔力を結集させる。


 もう誰も手を出せない。

 これから起きる凄惨な光景に皆が視線をそらす中、逃げなかった部下が3名わあっと桐元に駆け寄った。

 

 桐元を殺すなら俺を殺してからにしろとばかりに立ち塞がる部下の姿を見て、ハルは怯んだ。


 そして、


「ハルちゃん、もうやめよう」


 なぜか飛鳥の声が耳に飛び込んできた。


「むむ」


 どんな銃声より、どんな言葉より、飛鳥の声がハルの殺意を失わせる。

 

「……甘くなったわね、私も」


 舌打ちしながらくるりと背を向け、桐元から離れる。


「さっさと行って」


 その言葉に部下たちは桐元を抱えて去って行く。

 深手を負った社員達も担架で運ばれていき、救急車のサイレンが激しく鳴り響く。


 空輸港に残ったのはひとりの留年生と、4人の学生だけ。


「まったく、何なのよ」


 ルガルーを使っていたはずの飛鳥にハルが近づく。


「どういうこと? 意識あるじゃない……」


 文句を言う愛しい人に飛鳥は得意げに笑う。


「叫んだだけで大勢追い払うなんて凄くない? 三国志の張飛みたいでしょ」


「もう、何なのよ……」


 その場に倒れ込むハル。ついでに不動。


「結局、しらふのままなわけ?」


「うん。曲を流して、それっぽく叫んだだけ」

 

 あくまでルガルーを使った振りをしただけだったのだ。

 

「勘弁してくれよ……」

 脱力する不動。

 

「ごめんなさい、これしか思いつかなくて……」

 

 敵を欺くにはまず味方からって言うでしょと得意げに語るが、疲れ切った顔のハルと不動を見てちと調子に乗りすぎたと気づいた。


「嫌なことさせてゴメン」


 汚れ仕事はすべてハルに押しつけてしまっている。

 そもそも自分が追放なんかされたからこんなことになったわけで、強くなろうという決意を飛鳥は改めて抱いた。


「なに言ってんのよ」


 ハルはふんと強がる。


「てか、あんたなんでいるの? 飛行機に乗ったんじゃないの?」

「やっぱり行くなら、ハルちゃんと一緒が良いなって」

「……」


 だんだんハルの扱いが上手くなってきた飛鳥。


「……あんたといると、調子狂うわ」


 めんどくさそうに髪をかきむしって歩き出す。


「でも、ま、お帰り」

 

 背中で話しかけるその声は、わりと優しい。


「ただいま」

 

 そのやり取りに喜びを感じつつ、バスから手を振る桃子と美咲に、飛鳥は両手を振って応える。

 その姿を見た不動が満足そうに言った。


「よし、とりあえず逃げるぞ!」


 関係各所に土下座して、弁償金を支払って、揉み消せるものは揉み消して、


「そんで家に帰ろう……」


 不動は空を見て、輸送機を探した。

 もうそこには何もなかったが、不動はそれで良いと笑った。

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