第39話 暴走への助走

 あの衛藤遥香がとうとう時間通りに登校した!


 とはいえ車椅子を押すのは飛鳥で、本人は爆睡状態。

 遅刻とたいして変わりない気がするが、ハルと一緒に登校できた飛鳥はとても満足していた。

 

 噂の天才魔法使いを初めて見る生徒達も多いようで、あの車椅子の子だとじろじろ眺める。聞いていた以上の可愛らしさだと見とれる生徒も多かった。


 昨夜、桃子に空組の教室で会いたいというメッセージを送っていたので、桃子とはすぐに接触することができた。

 

 だが、桃子の顔色は病的なまでに悪く、右手は包帯でぐるぐる巻き、さらに、かったるそうにふらふらすることも多かったので、


「大丈夫……?」

 と思わず声をかけてしまうほどだった。

 

 しかし桃子はお構いなくと強がり、話ってのはなんだと飛鳥を急かす。


「ほう、フィルプロですか……」


 飛鳥の話に桃子は興味をひかれた様子。


「調べるのは簡単ですが、ちと用事を済ませたいのです」


 そういって桃子は空組を出て行こうとする。

 授業が始まるまで時間はある。


「美術部をクビになったのですが、画材がまだ部室にあるのです。引き取りに行きたいのですよ」


「そっか」


 朝だから部室は無人である。

 誰にも見られないうちにやることをすませておきたいという彼女の気持ちを飛鳥は察して、一緒に付いていくことにした。


 しかし、今日に限って美術部に人がいた。


 生徒会の歌川美咲が美術部部長を呼び出していたのである。

 無論、美術部がクレームをつけて追い出した星野桃子に関することだ。

 

 桃子が作品を書くとき、トレースなどしていないと知った美咲は、彼女が美術部に戻れるよう誤解を解こうとしていた。


 当初は美咲と部長の1対1のやり取りになるはずが、何かを察した部長は、自分だけでなく、ほとんどの部員達を呼び出していた。


 彼らは美咲を取り囲むように座っている。

 まるで無言の圧力をかけるかのようであったが、美咲はそれくらいで怯む人間ではない。殺し屋相手でもそれなりに動いてしまう子だ。


「昨日、星野さんが実際に絵を描くところを見ました」

 

 美咲は部長にはっきりと伝える。


「へえ、あの子がね……」

 部長はめんどくさそうに長い髪を指でいじる。

 他の部員達もあからさまに反抗的な態度で美咲を見ている。

 

 その態度に美咲はひとつの確信を抱いたが、湧き出る怒りを抑えながら冷静に話を進めていく。


「彼女はトレースを一切していないと証明してくれました。あなた達の訴えには信ぴょう性をまるで感じられないのですが、彼女がトレースをしたという証拠はあるんですか? 教えてください」


「証拠っていっても、ねえ?」


 部長と部員達が顔を見合わせてヘラヘラ笑う。

 耐えられなくなった美咲はとうとう言った。


「不正はしていないと知っていた上で、あの子を追い出そうとしたの……?」


「まあ聞いて下さいよ、副学長」


 1年生の男子がニヤニヤしながら言い放つ。


「あいつ、めちゃくちゃキモいんですよ」


 その言葉に部員達が一斉に吹き出す。

 

 運が悪いことに、このタイミングで桃子が部室に近づいた。部員達は桃子に気づくが、悪びれもせずに美咲に訴える。


「絵を描くときにニワトリみたいにグニャグニャ首動かして、やめろっていってもやめないし」


 1人が発言したのを皮切りに一斉に部員達が悪態をつき始める。


「あんな動きしたら笑っちゃうじゃん。笑うなっていわれてもさ」

「しまいにゃひとりでどっか行って誰ともつるまなくなるし」

「これ見てよ、これ」


 ある女子部員が美咲にスマホを見せる。

 桃子が絵を描いているときの動きを隠し撮りして、彼女のゴーグルや口からビームを発して、街を壊していくという合成動画を作っていたらしい。


「めっちゃうけるっしょ!」

 

 大受けする美術部達。 

 彼らの姿を呆然と見つめる美咲。


 1年の男子が美咲に熱っぽく語る。


「これSNSに流して良いかって聞いたら、そんなことしたらうちらを殺すって逆ギレしたんですよ。だからこっちから打って出ただけですよ。殺人ロボに殺される前に追い出して何が悪いんです? 正当防衛ですよ!」


 そうだそうだとまくしたてる部員達。

 部室の入り口で桃子が立っているのは当然気づいている。


「……」

 桃子は何も言えず、立ち尽くすだけだ。

 その震える身体を飛鳥とハルが後ろから見ている。


 飛鳥は泣きそうな顔で桃子を見つめ、ハルは無表情。

 しかし、無表情なときほど衛藤遥香は恐ろしい。


「おい! 星野!」


 女性部員が桃子に向かって叫ぶ。

 この時点でようやく美咲は桃子がいることに気づき、ハッとした。


「踊れよ、ここで。中学の時はそうだったんだろ?」


 挑発する女子は心から桃子を嫌っているようだ。


「こいつ、踊れって言うとさ、ロボットみたいにガシャガシャ動いたんだって!」


 それを聞いた部長、桃子をけしかける。


「じゃあここで得意のダンスを見せてくれたら、美術部に戻ってきてもいいよ」


 その言葉を合図に踊れ、踊れ、と部員が騒ぎ出す。


「……」

 耐えきれなくなった桃子はぷいっと背中を向けて走り出す。


「星野さん!」

 美咲は自分の失態に歯ぎしりしつつ、桃子を追いかける。


「おら、持ってけよ!」

 桃子が持ち帰るつもりだった画材道具を部室の外に投げ捨てる男子たち。


 一向に騒ぎの止まない美術部員達。

 彼らを黙らせたのは飛鳥だった。


 美咲と入れ替わるように部室に入ると、わざわざメイヴァースを起ち上げて、壁に貼ってあった部員達の絵やスケッチブックをマグネットスキルで自分の手元にむりくり引き寄せる。


「おい、何すんだ!」

 飛鳥に詰め寄ろうとする男子を近くにいた部員達が慌てて制する。

 あの渡辺を退学に追い込んだヤバイ奴だと耳打ちされ、動きを止めた。


「ふうん」

 飛鳥は手に吸い付いた絵やデッサンをひとつひとつ眺めては床に落としていく。


「どれもこれも全然大したことない。星野さんのと比べたら」


 実は両親に影響を受けたことで少しばかりアートに詳しい飛鳥。


「これはマグリットの真似。これはセザンヌもどき。これは印象派の形ばかりなぞってオリジナリティなにもない。これは鴻池淳三郎のパクリ。これも風見順の真似。どれもこれも、俺って凄いだろ、人と違うでしょの枠から1つも出てない」


 ううっと言葉に詰まる部員達。

 実は鴻池淳三郎も風見順も、この場で思いついた架空の画家なのだが、そんな奴いないと断言するものが1人もいないのを見て、飛鳥は失望した。


 こうなるとさらに容赦が無くなる。


「星野さんならきっと、今の時点でプロの漫画家からアシスタントになってくれって声がかかるくらいのうまさがある。あんなに緻密な絵を、あんなに速く書ける人はいないもの」


 それに星野桃子の絵はただ上手いだけじゃなかった。

 一枚絵なのにすべてが動いているような臨場感はアマチュアの域を超えていた。

 だからこそ飛鳥は知っている。


「星野さんは絵で食べていける人だ。でも君たちは無理だろうね。それくらい君たちも気づいてるんだろ。だけど認めなくない。つまり嫉妬だ」


 とどめを刺されて、部員達がわああっと叫び出す。

 怒りにまかせて飛鳥に飛びかかろうとした奴もいたが、まわりに止められた。


「おまえら空組にばっか金が行くから、俺たちの道具は一向に新しくなんねえんだよ!」


 その言葉に部員達がそうだそうだと同調する。


「何年前の道具使わされてると思ってるんだよ!」

「おまえらなんか邪魔なんだよ!」


 怒りの矛先が空組に向かう中、


「あらそう?」

 

 離れたところで見ていたハルがくるりと手をまわす。


 美術部にあった筆やキャンバス、そして絵の具など、すべての画材がグシャグシャに歪んで押し潰されていく。

 悲鳴を上げる部員達にハルは冷たく言い放つ。


「絵が下手なのが道具のせいなら新しくしてもらいなさい」


 そして飛鳥とハルは部室を出て行く。

 朝から嫌なものを見てしまい、2人とも無言だ。

 そもそも何のために桃子に会おうとしたのか、それすら忘れている。




 一方、どこかに走り去っていった桃子を追いかけていた美咲は、空組へと続く階段の真ん中で苦しそうにしゃがみこんでいた桃子に追いついた。


「星野さん、大丈夫?!」


 昨日の張り切りすぎが原因で体調不良に陥っていた桃子は、立ちくらみを感じてその場から動けなくなっていた。

 体はすでにボロボロなのに、今日のことで心までズタズタにされた。


 こんな見た目だから邪険にされるのは仕方ない。悪意だって毎日感じていた。 

 それでもどうにか出る杭にならないよう周囲の目を伺いながらバランスを取っていたのに、歌川美咲に台無しにされたという苦々しさが桃子を支配している。


 慌てて駆け寄る美咲の手を乱暴に払う。


「ずいぶんと恥をかかせてくれましたね……」


 美咲を睨みつける桃子。


「ごめんなさい。近くにいると思わなくて……」


 なんて情けない言い訳だと惨めになる美咲。

 それは桃子も同じだ。

 美咲に文句を言ったところで何にもならないことはわかっているのだが、この悔しさや惨めさを彼女にしかぶつけることができない。

 

「あんたの余計な自己満足がみんなをおかしくするんです」


「そんなつもりじゃ……」

 そう口では言いつつ、美咲は自分の限界を思い知っていた。

 確かに今までの自分は自己満足を消化しようとそれっぽい人を探していただけなのだ。私はちゃんとやってると他人に認められたいだけだった。


「もうこれ以上、私に関わらないで下さい」

 

 駄目だ。こんなこと言っちゃいけない。そう思っていても止められない。


「あんたみたいな普通の人達は、遠くから可哀相、可哀相って言いながら見ているだけで良いんですよ! 何ひとつ受け入れるつもりなんかないくせに!」


 その時、音楽が鳴った。

 学園にあるすべてのスピーカーから、子供たちの合唱が騒々しく響き渡る。


 幸せなら 手をたたこう

 幸せなら 手をたたこう

 幸せなら 態度でしめそうよ

 ほら みんなで 手をたたこう


 誰もが聞いたことのある童謡が普段より速い速度で再生されている。


「なに、これ……?」

 戸惑う美咲に大きな影が重なる。


 ふらりと立ち上がった星野桃子の様子がおかしい。

 モデルのように美しいしなやかな体がぐにゃっと猫背になる。

 

 この奇妙な動きを見たのは、つい昨日のことだった。


「星野さん……、駄目!」


 美咲の悲鳴が虚しくこだました。

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