第40話 からっぽの戦い

 誰もが知っているし、もしかしたら歌ったこともある「幸せなら手をたたこう」が、神武学園の全校舎に鳴り響く。

 子供たちが明るく朗らかに歌う懐かしの童謡は、せわしない神武学園の時間を停止させるのに十分な意外性を持っていた。


「……?」

 動きを止めてスピーカーを見上げる飛鳥とハル。

 おそらく校舎にいる全生徒が同じ反応をしていたことだろう。

 

 そんな中、飛鳥とハルは誰よりも速く、異常事態が起きていることに気づいた。

 階段から歌川美咲が転がり落ちてきたからだ。


「ちょっと、何?!」

「大丈夫?!」


 駆け寄る飛鳥とハルだったが、美咲の制服の右肩部分がビリビリに引き裂かれ、ツメで引っかかれたような傷から血がたれていることに絶句する。


 階段から落ちてもこんな傷にはならない。


 痛みを与えないようにそっと起こそうとする飛鳥の手を美咲は押しのけ、叫ぶ。


「星野さんを止めて!」

「え?」


 美咲の視線の先に、星野桃子が立っている。

 階段の上から、後光をバックにだらっと突っ立っているではないか。 


 飛鳥は桃子の様子がおかしいとすぐに気づいた。


 息づかいが変だ。

 人の呼吸じゃない。

 グルルルルと、威嚇する動物そのものだ。

 そして、ウイーンという駆動音が桃子のゴーグルから聞こえてくる。

 今までこんな音はなかった。


 そしてハルも半開きになった桃子の口と、彼女からほとばしる異常な魔力を肌で感じ、表情を変える。


 何があったかわからない。

 それでも今の桃子は危険だと直感した2人は、反射的にそれぞれのレガリアを立ち上げた。


 その瞬間を待っていたかのように、桃子の手が前方に突き出される。

 飛鳥の体が宙に浮く。


「うわっ!」


 そして床に激しく叩きつけられる。


 メイヴァースにセットしていたスリーウォールが起動したおかげで体に痛みはなかったが、起き上がろうとしても体が動かない。

 体に重石をのせられたようで、廊下にはりつけにされる。

 重力操作魔法グラビティホールドって奴だろう。


「聞き取れなかった……」


 桃子の詠唱は、喋るというより、うめき声だ。

 何をするのか読めなくて、攻撃をもろに喰らってしまった。

 スリーウォールがなかったら、骨が砕けていたかもしれない。


 そして飛鳥の真上をハルの体が飛んでいく。

 同じように桃子に放り投げられたようだが、ハルは重力攻撃を打ち破り、両足でしっかりと立った。


「この悪い子!」


 軽口を叩く余裕すら持って、桃子の動きを止めようとショック効果のある微弱な雷攻撃サンダーボールを繰り出す。

  

 しかし桃子には効果が無かった。

 避けもしないで全身で攻撃を喰らったのに、のしのし歩いてくる。

 

「ええっ、そりゃないっしょ!」


 文句を言ったところで桃子はリアクションしない。

 ハルの目の前にずんと立つと、その頭をつかんで壁に吹っ飛ばした。


「あだっ!」


 壁に掛かっていた連絡用大型モニターに激しく衝突し、画面に大きな亀裂を走らせる。

 

「まじで……」


 こんなまともにダメージを食らったのは久しぶりなので、事態を飲み込めずに目をぱちくりさせる。


 一撃でハルと飛鳥を無力化させたにもかかわらず、桃子は2人にはとどめを刺さず、あの美術部の部室まで歩いていく。

 どんな言葉をかけても一切反応しない桃子の背中を見て、ハルは事態の深刻さを受け入れることにした。

 

「こらモモっ!」


 背後から桃子に飛びつき、


「目を覚ましなさい……!」

 

 すべての元凶がゴーグルにあるとふんで、強引に外そうとするが、桃子はハルの小さな体をつかむと今度は天井に向かって投げつける。


 2度もダメージは食わないと、シールドで身を包んで抵抗するが、


「むむっ!」

 体が天井の角に張り付いたまま落ちない。

 桃子の重力魔法がとうとうハルを押さえつけたのだ。


「やるじゃないのよ……」

 舌打ちしながら、桃子の束縛を逃れようとロシア語で詠唱するハル。


 桃子の力がハルに向けられたからか、飛鳥を拘束していた重力操作が解けて動けるようになる。

 

 ハルちゃんが駄目なら今度は僕の番だと、あのゴーグル目指してハイスピードで接近するが、背中に目でも付いているのか、桃子は振り向きもせず手をひとふりしただけで飛鳥の身体を麻痺させてしまう。


 ふたりとも、今いる場所から動けない。


 そして桃子はとうとう美術部の教室に戻ってきてしまった。


 ハルに画材を破壊され、怒りと哀しみに包まれていたので、桃子の姿に気づくと、性懲りも無く戻ってきやがってと口汚く罵り始める。


 1人の男子生徒の頭部を桃子がつかんだ。

 踊れ踊れとけしかけた同学年の男だ。


「なんだお前」


 やるってのか。

 そう言おうとしたところで、事の異常さにようやく気づいた。


 桃子の指が、自分の頭を砕こうとしている。

 今の桃子にはそれができると男は気づいた。

 頭蓋骨くらい平気で貫通することができる握力と、何よりそれを遂行しようとする殺意がある。


 散々馬鹿にしてきたロボ子の黒いゴーグルに、恐怖で歪む自分の顔が映る。


「ま、まて、まてよ!」


 しかし、男子生徒は死ななかった。

 

 桃子がその手に力を入れようとした刹那、ハルが背後から強力な風魔法を桃子の腕に絡ませたのだ。

 桃子のしなやかに伸びた腕が見えない刃で切りつけられ、真っ赤に染まっていく。


 あとちょっとで潰れたカボチャになるところだった男子生徒が、悲鳴を上げながら逃げ出す。 


「モモ、ごめん」


 ハルにとっては苦渋の決断だった。

 もしかしたら一生残る傷を負わせてしまったかもしれない。


 本当はこんなねじ曲がった連中を助けたくはないが、このままだと桃子が人殺しになってしまう。


「あんたたち、早く逃げなさい!」

 

 投げやりに叫んでも、美術部達は下がらない。

 目にもの見せてやると、それぞれの手に炎や雷のパワーを込めたエネルギー弾を作り出す。

 彼らには神武学園の厳しい試験に合格したという自負がある。

 確かに同世代の若者と比べると魔力は図抜けて高いから、自分たちで解決可能だとたかをくくっているのだろう。


 しかしハルからすれば無謀で愚かな行為でしかない。


「ばかっ! むやみに撃ったら……!」

 

 相手がどんなスタイルで戦っているのか全くわからない状況で、むやみやたらに攻撃などしたら倍返しを喰らう可能性だってある。


 そしてハルの不安は的中してしまう。


 美術部員達が一斉に放った魔法の集中砲火は、すべて桃子にキャッチされてしまった。そんな馬鹿なと絶句する部員達。


 それだけではない。


 桃子は、受け止めた攻撃をひとつのエネルギーの固まりにまとめ、炎、雷、風、氷など、ありとあらゆる属性がごったになった超強力なエネルギー弾を作り上げてしまった。


 桃子の頭上に、小さなオレンジ色の球体が浮かぶ。

 まるで太陽のように異常な熱を発する球体に誰もが意識を奪われる中、 


「やばい!」


 ハルは焦りで顔をゆがめながら、両手で素早く印を作っていく。


「飛鳥っ! 遠くへ逃げて!」


 どこかにいるはずの飛鳥に向かって叫ぶ。

 あんな強烈なパワーの集合体が爆発したら、校舎が全壊してしまう。


「ユル、ハウ、グラス、バウマ、フル、ベル、トウ、あとなんだっけ……!」


 魔法の原型とされる創世魔法を繰り出すために、専用の単語を次々と詠唱して強烈なシールドと強風を作り出す。


「ジャスクだったかな!?」


 半信半疑で繰り出した創世魔法と、桃子が作り出した全属性エネルギー弾が激しくぶつかり合った。


 嵐のような強風があたりをつつみ、部室がめちゃくちゃになっていく。

 洗濯機の中に放り込まれたかのように中にいた生徒達が風に飛ばされあちこちに体をぶつけるが、桃子が作り出したエネルギー弾も風に乗せられ、壁を突き破って上空へ飛んでいく。


 どかーんと花火のような光と音が学校の外で、それこそ町中に輝き、そして鳴り響いた。

 どうにかそれくらいの爆発ですむようにハルが弱体化させたのだ。


 それでも損害は凄まじい。

 

 美術部教室は校舎の四階、しかも角にあったので、壁を突き破ったことでまるで断崖絶壁のようになってしまった。

 破壊されたガレキが大量に地面に落ちていく。


 奥にいた生徒数名が、足場が崩れたことでガレキと一緒に落ちていったが、事態を予測していたハルの素早い魔法によって、すぐに浮き上がって美術室に戻ってきた。


「逃げなさい、はやくっ!」


 ハルはそう叫んで桃子と向かい合う。

 呆然と突っ立っている桃子の攻撃を受け止めようと身構えるのだが……。


「……」


 攻撃を遮られた桃子はハルに背を向け、これ以上近づくと落ちる寸前の所まで歩いて、大穴の真下を静かに眺めている。


 本当に動物になったかのような気分屋の動きに戸惑うが、とにかく今はチャンスだ。


「はやく逃げろっての! 洒落にならなくなるわよ!」


 そう叫んでも、騒ぎはもう美術部だけにおさまらない。

 なにが起きたんだと生徒達が一斉に集まってくる。

 そして美術室に突如開いた大穴を遠目から見て唖然と立ち尽くすだけだ。


「だから逃げろってさっきから言ってるでしょうが!」


 本気でイライラしてきた。

 真剣に戦わないと桃子を救えないと悟ったハル。

 まわりなんか気にしないで戦いたいので、とにかくここから出て行って欲しい。


 こうなりゃ桃子より先に私がこいつらをぶっ殺してやろうかと思ったときだった。


「ハルちゃん、あとお願い!」


 飛鳥が猛スピードで横切った。


「え、何?」

 と思った時には飛鳥はどこにもいなくなっていた。


 ラグビーの試合のように桃子にタックルをかまし、そのまま一緒に落ちていったのである。

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