第23話 ひかれあう人達
神武学園の校舎屋上に一人の女子生徒がいた。
まず目に付くのが顔半分を覆う漆黒のゴーグルだ。
ヘッドホンがないと生きていけない葛原飛鳥と同じく、彼女もこのゴーグルがないとまともに生活ができないのだが、真っ黒なレンズのせいで瞳が隠れてしまっているので、変に見られたり、からかわれたりすることも多い。
聞こえすぎるのが飛鳥なら、見えすぎるのが彼女の苦しみだったが……。
「おお、なんたる動き、なんたる魔法。凄いじゃないですか……」
独り言多め、早口、オーバーリアクション。
オタク感が強い。
どうやらさきほどの飛鳥と桐元達のいさかいから、衛藤遥香が桐元の車を放り投げるまでの出来事を屋上から目の当たりにして興奮しているらしい。
リュックからノートを取り出し、凄い速さで絵コンテを書き殴っていく。
「うふふふ」
気味の悪い笑みを浮かべながら書く絵は、ラフを通り越して完全な実写だ。
飛鳥の動きを完全に再現しただけでなく、遠くで見ていた歌川美咲や他の生徒の表情、身につけていたカバンの造形まで詳細に描き、さらには桐元が乗っていた車のナンバーまでもがはっきり書かれている。
彼女の桁違いの視力と技量が可能にした超絶技巧だ。
「これは良い。今週の課題はこれを提出しましょう」
たった数分で10ページにもわたってハイクオリティな絵を描き上げた。
満足げに読み返していると、あることに気づく。
「むむ。我ながらこれは何?」
ミニバンが宙を舞うさまを書いたパート。
雲一つ無い快晴の空に切り傷のような黒い線がある。
「これはまた……何でしょう」
絵を描いているときの彼女はトランス状態だ。
視界に入ったものすべてを手が勝手に書いてくれるから、書いた本人にもわからない部分が出てくる。
「またあのドローンですか……」
思い切ってゴーグルを外し、裸眼で空を見てみる。
百人いれば百人とも目で追うほどの可愛らしい顔立ちがあらわになる。
ふわっとした長髪と、その大きくて丸い目はまるで人形のように愛らしい。
赤い瞳がカメラレンズのように収縮を繰り返す。
その視力は数分前の出来事も見通すことが可能だ。
「むむ。これは……暗号?」
ゴーグル無しの状態だと激しい頭痛とめまいでひっくり返ってしまうため、これ以上は無理だと諦める。
わずかな時間で得た情報を吟味した彼女は、頷きながら言った。
「関わるのはやめておきましょう」
「おい
赤い腕章をつけた男子生徒が屋上にやって来た。
彼女の名を呼ぶ声はイライラに満ちている。
「生徒会室に来い! お前に苦情が来てる!」
へはっ? と大きく口を開ける星野。
「あたしゃ悪いことなんかしてないっすが……」
それでも男は声を荒げる。
「美術部の課題にトレースした作品を提出しているそうだな」
「ほあっ?!」
あまりにひどい言いがかりに星野は地面を蹴るくらいに怒り出す。
「私がそんなことするわけ無いでしょ、失礼なっ!」
しかし相手は冷たい。
「言い分があるなら生徒会室で言えよ」
さらにこうも言う。
「終わったなロボ子。
「むむむ……!」
星野は悔しさで拳を握りしめたが、それ以上は何も言えず、ふくれっ面で校舎に戻っていった。
星野桃子。一年生。
ゴーグル無しでは生きられない彼女が葛原飛鳥と接触するまであと数時間。
彼女だけではない。まるで何かに導かれたかのように、飛鳥のまわりにワケありの連中が集まってくる。
一人の少年がいる。
小学校高学年くらいの背丈で、黒いジャージを着ている。
幼い顔立ちだが、このまま成長すればかなりのイケメンになるだろう。
ただこの少年、かなりの問題児に見える。
ハルに吹っ飛ばされたミニバンが交差点で大渋滞を引き起こしている光景を満足げに眺めているのだが、その右手には缶ビールがある。
「やるじゃねえか、あいつら……」
そう呟いて缶ビールを一気飲みすると、今度はレモンサワーの缶を開ける。
小学生が白昼堂々とアルコールに溺れる姿は異様であり、通りすがりの人達が思わず立ち止まってしまうほどだ。
桐元が乗っていたミニバンの事故対応でやって来ていた交通警察の方々も少年を見て困惑していた。
大破した車の撤去や渋滞の解消に集中したいのに、あんな目の前で豪快に酒を飲まれたら、手を止めて注意するしかない。
若い警察官が作り笑いを浮かべながら少年に近づく。
「あのねボク、わかってると思うけど……」
少年は警察官を見ると、黙ってスマホを突き出した。
「およ?」
スマホに表示されたコードを警察官が持っていたタブレットで読み込むと、少年の身分証明書が表示される。
「
タブレットと少年の顔を何度も見比べる警察官。
こういう反応になれているのか、不動は冷静だ。
「レガリアの事故で成長が止まっちゃったもんで」
「そ、それは失礼しました」
許してくださいと反射的に敬礼する若き警察官。
綺麗な敬礼を見て不動少年もわざとらしく敬礼する。
いいってことよと言いたいらしい。
しかし尋問はこれで終わらなかった。
「ってか君、まだ高校生なの?」
「おおよ。れっきとした高校5年生だ」
グビグビとレモンサワーを飲み干す不動。
「学校はいいの……?」
まさか二十歳の男にこんな事聞くとは思ってもいないので、言葉がさぐりさぐりになる警察官。
「俺のことは気にしないでいいって!」
見た目は小学生の不動が警察官の背中をポンポン叩く。
「それよりミニバンの中、空だったっしょ?」
その言葉に警察官は目を輝かせた。
「お、もしかして、事故を見てた?」
「おうよ。一から百までずずずいとな」
思わぬ収穫に警察官は飛び跳ねんばかりに喜ぶ。
「良かった! 事故車には誰も乗ってないし、誰に聞いても知らないって言うし……。何を見たか教えてちょうだい!」
メモ帳を取り出し目を輝かせる警察官に不動は言った。
「葛原製作所の桐元哲朗、その部下の大橋、吉田、中川、殿山……。車を捨てて逃げ出した。おそらく奴らは……」
「ちょ、ちょっとまって」
警察官の顔色が変わった。
ペンを動かす手が震えだす。
「葛原って言ったね? クズハラって……」
その青ざめた顔を見て不動は失望の溜息をついた。
「言ってない」
その言葉に警察官は情けなく笑う。
「だよねぇ! 何も言ってない! 何も聞こえなかった! そういうことで!」
そして慌てて離れていく。
葛原と聞いただけで逃げ出した警察官に不動は怒りや失望は感じず、むしろ哀れみを覚えていた。
「厳しいねえ……」
不動大輔はレモンサワーの残りを一気飲みする。
「嫌な世の中になったもんだぜ、なあ昇さん……」
そう呟くと、今度は缶ビールをレジ袋から取り出してまた飲み始めた。
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