第21話 さらなる脅威

 飛鳥の衝動的な告白は、ハルの巧みな逃亡によって中途半端に終ってしまったが、飛鳥は満足していた。


 あの反応を見る限り、ハルが飛鳥を恋愛対象と見ていないことは明らかだ。

 それはしょうがない。

 そもそも衛藤遥香という人間と釣りあえるほど自分が魅力的だとも思っていない。


 自分が人を好きになれたことが大事なのだ。


 ようやく人間になれたというか、年相応のことをしていると思うとワクワクが止まらなくなる。

 ここからが僕のスタートなのだと。


 佐世保たちと戦ったダメージで、歩くだけで体の節々が痛むが、それでも飛鳥は学校に行くことにした。


 もちろん、ハルに会いたかったからだ。

 別に用があるわけじゃない。ただ近くにいたいだけ。


 とはいえ、ハルが住むマンションの前で待ち伏せなどしたら流石にストーカーなので、校門前で偶然出くわす、というプランを練り上げた。

 まあこんなことを企んでる時点でもうストーカーかもしれないけど……。

 

 というわけで飛鳥はいつもよりだいぶ早く学校に向かった。

 ほぼ一番乗りである。


 しかし彼はわかっていない。

 あの衛藤遥香が時間通りに登校するはずがない。

 遅刻確定まであと数分という段階においてもやってこない。

 

 実は久野が捨てた店の向かいにあった惣菜屋「岡田おかず工房」を気に入ったハルは、朝からそこでメンチカツを買って、店の前でバクバク食っていたのである。

 学校いいのかと心配する店主の岡田をよそに、ほんとに美味しい、コロッケもちょうだいと催促するハルはこの上なく幸せだった。


 そんなことも知らず、飛鳥は校門でハルを待っている。

 彼の腰には彼女から預かった「レッドカインの杖」がぶら下がっていた。


「ハルちゃん遅いな……。何かあったのかな……」


 想い人の身を案じる飛鳥の横で、女子生徒が腕組みして立っている。


「まったく衛藤さんは今日も遅刻じゃない。どこで道草食ってるのかしら……」


「ん?」


 同じ人間のことで、一人はうろたえ、一人は怒っていることに気づき、目が合う。


「あなた、衛藤さんの知り合い?」

 

 ジロッとにらんでくる女子生徒は赤い腕章を身につけている。

 これは彼女が生徒会の一員であることを意味していた。

 腕章には「一年生、副学長、歌川美咲うたがわみさき」と彼女の名がでっかく明朝体で記されていた。

 

 神武学園は他の高校と比べて特殊な教育機関だ。

 なにしろ教師は教育以外のことは一切干渉せず、すべてを生徒に任せている。

 これが社会に出て即戦力になるための神武学園の方針なのだ。


 つまり学園の治安、校則、季節のイベントなど、教育以外のすべては生徒会が管理していた。ゆえに彼らはとても強大な権力を持っている。

 このやり方には当然賛否あるが、神武学園生徒会経験者から多くの政治家や起業家、そして魔術師を輩出しているので、輝く実績が外野を黙らせている。


 そんな生徒会において、1年生の副学長という立場は、とにかく凄く偉い人ということになるので、飛鳥は狼狽した。


「あなた衛藤さんの何?」


 丸みの帯びたボブカットを揺らしながら飛鳥に詰め寄る歌川美咲。

 口元のほくろが印象的な美人だが、どんな冗談も通じなさそうな生真面目さが全身からほとばしっていた。

 

「えっと……」


 生徒会に追求されたことで飛鳥は萎縮した。

 ある程度立場が上の人間になれば、気に入らない生徒なんか一声で退学にできるくらいだから……。

 

 おろおろする飛鳥のヘッドホンを見て歌川の顔色が変わる。


「あなた、授業をめちゃくちゃにした人でしょ! 葛原くんね!?」


「はい……」

 ばれるよな、そりゃ。


「先生方から苦情が来たのよ。今後このようなことがあったら授業をボイコットするって。それがどういう意味なのかわかる?」


「ごめんなさい。もうしないです……。たぶん」


 最後の一言を聞いた歌川は悲しそうな顔をした。

 

「大人しくて勉強熱心だって聞いてたのに、急にどうしたの……?」

「話すと長くなるから、これで……」


 教室に逃げようとする飛鳥の腕を歌川はぐっとつかむ。


「ダメよ。悩みがあるなら教えて。これ以上退学者は出したくないの」


「退学?」


「渡辺くんたちよ。良くない連中に騙されて悪いことしたって」

「へえ……」


 どうやらそういう話で落ち着いたらしい。


「荒っぽいところはあったけど、仲間思いで面倒見も良かったのに……」

「……」

 

 この子、何にも知らないんだ……。

 あいつが、飛鳥や、飛鳥と同じような弱者にどれだけひどいことをしてきたか。

 

「せっかく神武に入ったんだからみんなで卒業したいじゃない。これ以上先生方の信頼を無くして授業の機会を失うわけにはいかないわ」


「そう、だね……」

 渡辺のことを抜きにしたら、確かに歌川の言うとおりだと思うが……。


「なのに衛藤さんはまるで授業に参加しないのよ! 入学式の次の日からずっと遅刻、ずうっとサボり! なんなのあの子!?」


 怒りマックスの歌川だが、飛鳥はよくわかっている。

 ハルちゃんほどの魔術師がここで何を学ぶのだろう。

 むしろ教える側でもいいくらいだ。


 保健室で初めて会ったときから「今日もつまらない」と嘆いていたが、彼女は本当に日々退屈していたのかもしれない。


 だとしたらあのベルエヴァー争奪戦はさぞかし暇つぶしになったことだろう。


「あ、そうか!」


 場違いな声を上げる飛鳥。


「僕がいると退屈しないって思わせれば良いんだ……」


 一人で納得する男に歌川は困惑する。


「誰に何を思わせたいって?」


「あ、こっちの話」


 ニコリと微笑む飛鳥を見て歌川はぱっと赤面した。

 

 葛原飛鳥はよく見ると整った顔をしている。

 

 父親がそもそもハンサムだし、その父に誰をあてがわせれば優秀な人間が生まれ出るか計算して導かれた母も美しいので、彼らのいいところがミックスされた飛鳥は、男とも女ともいえない中性的な美しさがあった。

 生い立ちの辛さから来る自信なげな表情や、おどおどした態度、まるでしゃれっ気のないボサボサ頭の弊害で誰もその事に気づいていなかったが、色々あって前向きになった飛鳥は少しずつ本来の自分になりつつある。


 ほわーっと真っ赤な顔で見とれる歌川を尻目に、飛鳥は考える。


「なんか他に面白いことないかな……」


 しかしそんなことで悩む必要はなかった。

 葛原飛鳥にはまだまだ色々なものが絡んでくる。


 真っ黒いミニバンがクラクションを鳴らしながら校門につっこんできた。


 うわっと逃げ出す生徒達。グラウンドの真ん中で止まるミニバン。

 事故が起きてもおかしくなかった乱入に飛鳥は驚く。


 見覚えのある車。

 葛原の家が法に触れるようなことをするときに使う車だ。

 

 あの車に投げ込まれた人間は二度と表を出歩けない。

 祖父に逆らった役員。祖父の発動機レガリアを盗もうとした泥棒……。

 まさかこんな所であの車を見るなんて。


 わかってる。狙いは自分だ。


 一方、何も知らない歌川美咲。


「なんて無礼なの!」


 正義感一杯に、迷うことなく車に接近していく。


「あ、行っちゃだめ!」


 大声で叫んでも歌川はプンプン肩を怒らせて歩く。


 ミニバンからスーツを着た男が5人出てきた。

 5人の内、若い4人の男は見覚えがなかったが、1人はよく知っている。


 真っ白な髪、小柄だけど鍛え抜かれた体。

 

 桐元きりもとだ。

 祖父の秘書として彼に絶大な忠誠心を抱き、率先して汚れ仕事を引き受けてきた。

 葛原の傘の下にいなければ、今頃刑務所にいるはずの男。

 温和で優しそうに見えるが、その本性はとても危険で残酷な性格であることを飛鳥は知っている。

  

 そんな桐元に対し、歌川は正面から堂々と抗議する。

 

「あなたたち、ここをどこだと思ってるんです?!」


 しかし男たちは反応しない。

 それどころか、彼女を見た若い男がスーツの胸ポケットに手を突っ込んだのを見て、飛鳥は大いに焦った。

 すぐさまメイヴァースを立ち上げ、マグネットスキルで歌川を引き寄せる。


「きゃあっ?!」


 小さな体が飛鳥の腕の中にすっぽり収まる。

 背後から抱きしめるような形になり歌川の顔はまたも真っ赤になるが、飛鳥は険しい顔で彼女の耳元に囁く。


「乱暴なことしてゴメン。動かないで待ってて」


 そして桐元に近づいていく。

 不敵に笑う桐元と、その後ろで飛鳥をにらむ男たちを見る限り、ただの話し合いで終わりそうな気配ではない。


「お久しぶりです」


 桐元はわざとらしく馬鹿丁寧にお辞儀をした。

 じっと飛鳥を見つめるその唇は冷笑で歪んでいる。


「……」

 かつての飛鳥なら桐元が怖くなって逃げていたかもしれない。

 しかし、もうかつての無能王子ではない。

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