第14話 ハル

 人でごった返す通りを、衛藤遥香を乗せた車椅子が窮屈そうに走る。

 さっきまでの元気はどこへ行ったのか、うつろな顔で一言も発しない。

 まるで抜け殻のようだ。

 

 その後ろを飛鳥は静かに付いていく。


「すみません、道を開けて下さい……」

 飛鳥は申し訳なさそうに呟きながら、ちょっとずつ車椅子を移動させる。


「お願いします。道を開けて下さい」


 車椅子に気付いた歩行者の大半は立ち止まってくれるが、中には苛立ちを隠さず敵意をむき出しにする連中もいた。


 やがて車椅子はある男と激しく衝突する。


「いってっ!」

 膝を抑えながら男は遥香を睨みつける。


「何すんだ!……って」

 相手が車椅子だったとわかると、慌てたように口をつぐんだ。

 人形のような遥香を見て困惑する。


「ごめんなさい! 大丈夫ですか!?」

 大慌てで男に近づく飛鳥。


「ああ、いい。大丈夫だから」

 男はめんどくさそうに飛鳥の手を振りほどき、足早に去る。

 

 その背中を見送った遥香は、ニヤリと笑って本性を現した。

 全てが演技だったのだ。

 

 二人はすぐさま近くの喫茶店に飛び込む。


「楽勝だったわね」

 遥香は上機嫌でスマホの画面を飛鳥に見せつける。

 

 遥香が見せたのは、ドリトルの会員証のデータ。

 故意にぶつかった男のポケットに入っていた会員証を最新のデジタル機器と遥香の魔法でスキミングした。


「やっぱりあの男、バイヤーだったわね。あいつだけじゃない。金持ち御用達の連中が世界中から集まってる。今回のオークションはそれだけガチってことよ」

 

「うん……」


 飛鳥はゴクリとつばを飲みこむ。

 彼は緊張すると、とことん萎縮するタイプであり、逆に衛藤遥香は緊張をとことん楽しむタイプだった。


「さあ、悪いことしましょ」


 ルンルンと悪魔のような笑みを浮かべながら、カードサイズの超小型3Dプリンタをスマホと接続する。

 小さな音を立ててプリンタが動き出した。


「今からあなたはヤンファンエイク社の営業だからね。何食わぬ顔でオークション会場に入って、目的のものが出てくるまで待つの。あなたの発動機レガリアがメインディッシュになるはずだから。これを使って」


 偽造したドリトルの会員証を飛鳥に差し出す。


「こんな見た目で大丈夫かな?」


 飛鳥が気にしているのはヘッドホンだ。

 いくら完璧な会員証があっても、この見た目で怪しまれてしまう。


「心配しないで。私の魔法を使う」


 人目に触れないよう隙を見計らって飛鳥の顔に手をかざし、ロシア語で詠唱する。


「できた。スマホで確認して」

「えっ、これ……?」


 童顔の可愛い顔をした男の子が、疲れ気味の中年男性になっている。

 信じられないと自分の顔を触りまくる飛鳥を遥香は満足げに見る。


「いい? ベルちゃんを救うチャンスは一度だけ。客の前に現物が出てくる瞬間を狙うの。ここってタイミングで私が会場の電源を落として停電させるから、その隙にあなたのマグネットスキルでベルちゃんを奪い返す。そんで逃げる。以上」


 飛鳥は硬直する。


 億を超える発動機レガリアを競売に出す闇の大イベントだ。

 おかしなことが起きないよう凄腕のガードマンが大勢いるに違いない。

 とても難しいミッションだ。

 

 まるで不治の病を告知されたような顔の飛鳥を見て、遥香は吹き出してしまった。


「大丈夫。やばくなったら私が何とかする。それにね」


 遥香は飛鳥をじっと見る。

 急に真顔になったので飛鳥はどぎまぎした。


「魔法が使えないことが弱点だと思ってるでしょ? それは違う。そんなものなくても、あなた強いよ。それだけわかってれば大丈夫」


 凄すぎる魔法を連発する遥香に言われると、自信に繋がる。

 この人は誰にでもおべっかを使うようなタイプじゃない。


「衛藤さん、ありがとう……」


 何度お礼を言っても足りない。

 彼女がいなければ、ドリトルって何だと呟きながら今も町をさまよっていただろう。

 

 しかし遥香は表情一つ変えない。


「好きでやってるだけだからお礼なんかしないで。あと名字で呼ぶのもやめて。ハルでいい」

 吐き捨てるように呟いて喫茶店を出て行く。

 飛鳥は慌ててその後を追った。


「じゃ、ここからは別行動ね。上手くやりましょ」

 

 背を向けて車椅子を走らせるハル。

 こんな人混みの中を一人で行かせて大丈夫かと不安になるが、彼女には何の問題もなかった。


「はいはい、どいてどいて! ぶつかるわよ!」

 

 ぐいぐい車椅子で突っ込んでいくので、みなが慌てて道を開ける。


「凄い……」

 

 ハルも飛鳥も障がいを抱えている。


 飛鳥にとって聴覚の不具合は、つまりだった。


 しかしハルはどうだ。

 人目なんか気にしない。それどころか、自らのハンデを巧みに使って飛鳥には到底できないことをした。


「凄いや……」


 飛鳥は自然と笑顔になった。

 この胸の高鳴りは何だろう。


 屋敷にいたときは「祖父のように強くなれ」といろんな連中に口酸っぱく言われたけど、そんな気には一度もなれなかった。

 

 だけど今、衛藤遥香のようになりたいと思った。

 いや、なるべきだと思った。

 彼女のように「そこをどけ」と言える強さが欲しい。


「行こう!」


 頬をぴしゃりと叩いて気合いを注入し、飛鳥は動き出した。

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