第15話 嵐の前の静けさ
時刻は13時55分。
駅前にあるライブハウス、パーカークイン。
地下の会場へと通じる階段の前に男が立っている。
鍛え抜いた体を見せつけたいのか、着ている服はピッチピチで、半袖から伸びる腕は丸太のように太い。
飛鳥は緊張を抑えながら男の前に立った。
男は無言でスマホを突き出してくる。
偽造した会員証をスマホに近づける。
ピッという音ともに液晶に表示された情報を見て、能面のようだった男の顔がぐらついた。
「ヤンファンエイクの方とは知らず失礼しました。参加者リストに入っていなかったもので……」
「こちらこそ急でごめ、いや、申し訳ない」
大男の目に映るのは、ヘッドホンをつけた弱気な飛鳥ではなく、ヤンファンエイクの優秀な営業マンだ。できる限りの演技力で大人っぽく笑ってみる。
それにしても、あの大企業ヤンファンエイクが犯罪組織と付き合いを持っていることに驚く。
「急いで中へ。もう始まります」
ありがとうと礼を言って階段を降りる。
パーカークインは千人の収容能力を持つ、ライブハウスとしては大きな会場だ。
ただ今回は音楽イベントではないので、普段と違って人はまばら。
いつもと客層も違う。
みなが正装で、みながスマホを片手に持ち、それぞれ会話を交わすなんてことは無く、会場は異様な静けさに満ちていた。
ベルエヴァーを取り返したらすぐ逃げられるように、飛鳥は出口に近い柱に寄りかかった。
ここまでくると緊張を通り越して、頭の中が真っ白になってきた。
とにかくハルに言われたことをこなすロボットになる、それだけを考える。
14時ぴったりに背の高い男がステージに立った。
高いスーツを着た、頭の良さそうな男。目つきが鋭く、近づき難い雰囲気がある。肌の質も、目も、口も、すべてが蛇のようだ。
男は深々と頭を下げた。
「ドリトルの佐世保光安です」
その名に飛鳥は息を飲んだ。
渡辺に奪われたベルエヴァーを買い取った男だ。
佐世保は集まった客に丁寧に謝罪した。
「まず急な告知になってしまったことをお詫びします。また東京以外の場所を選ばざるを得ず、皆様に大変なご足労をかけてしまったこともお詫びします。全ては皆様の安全を考慮した上での判断だとご理解下さい」
再び頭を下げても、誰も反応しない。
そんなこといいからさっさと進めろという無言の圧力を感じる。
それは佐世保も理解しているのだろう。
「告知にもありましたように今日の品数は5点です。すべてレガリア関係となっており、いずれも名品です。では始めさせていただきます」
とうとうこの時が来た。
失敗は許されない。
ぎゅっと拳を握りしめ、ステージを睨みつける。
最初に競売にかけられたのは80年前に作られた初期型のレガリア。
ダンボールのような味気ない箱で、今じゃ信じられないが、ランドセルのように背負って使っていたという。
いくら状態が良いからといっても今となってはタダのガラクタ。
これがいきなり一千万から始まり、最終的に三千万で落札された。
「うそだろ……」
つい言葉が漏れてしまって飛鳥は慌てて口を塞ぐ。
こんな世界があったなんて。
何かと金がかかる学園生活の中、学業に専念するためには毎日いくらで過ごせば良いか考えていた飛鳥にとっては信じられない世界だ。
腹が立ってきた。
ここにあるもの全て盗難品だとしたら、自分と同じように悔しい思いをした人がいるはずなのだ。
それを金持ちが、投資だとかコレクションだとかで大金を投げ合う。
間違ってる。
ここにいる連中みんな痺れさせてやろうかという憤りを、歯ぎしりしながら必死でこらえる。ハルの合図を待たなければ。
飛鳥はこの場に溶け込もうと必死になった。
バイヤー達が電話で雇い主とコンタクトをとりあう状況下で、飛鳥だけ何もしないとさすがに目立つし、怪しまれる。
どこにも繋がっていないのにスマホを耳に当て、適当に手を上げつつ、いちおう競売には参加する。
かといって本当に落札してしまうと、払いきれる金などあるわけ無いから、その後の手続きで素性がばれてしまう。
だからこそ競りには勝つな、空気を読めとハルは言う。
「そういうの、あなたなら得意でしょ?」
と、皮肉のおまけまでつけて。
確かに祖父やいじめっ子の顔色ばかりうかがっていた経験が効いたのか、これ以上踏み込むと危険だなという領域が肌でわかる。
一応競りには参加しつつ、良いところで負けるという状況を上手くこなした。
ただ時が経つにつれ膨らんでくる緊張はどうにもならない。わあっと叫んで逃げたくなる衝動に何度襲われたことか。
それでも飛鳥は必死でこの状況をしのいだ。
「では、これが最後の品になります」
この佐世保の言葉で空気が変わった。
まさしく、殺気。
全てはこの時間のための前座に過ぎなかったと気付かされる。
「著名なレガリアクリエイター、
ステージの上に目的の品が運ばれてきた。
ベルベットの台に乗せられたアナログ腕時計。
全ての照明がベルエヴァーに注がれ、まるで宝石のようなきらめきを放たせる。
「非常に希少価値のあるものですので
ステージの奥にあった大きなモニターに小型カメラを繋ぎ、ベルエヴァーを撮影する。文字盤の裏にあった刻印がでっかく表示され、バイヤー達が一斉にその文をメモにしたためていく。
その姿を佐世保は真剣な顔で見つめる。
「この品が本物であると認めてくださいましたでしょうか。ご存じの通り、葛原昇のオーダーメイド品はこの世に二つしか無いとされていました。彼の父親が持つエヴァラスト。天才魔術師A氏が三十億で購入したという通称アグリィ。いずれもレジェンドクラスのレガリアであり、このベルエヴァーもそれと肩を並べる歴史的名品であることに間違いはありません」
そして佐世保は驚くべき事を口にする。
「噂によると、これは親族へのプレゼントだそうですが、諸事情あってやむなく手放さざるを得なかった、ということです。そのような経緯から認証解除の処理を必要としますので、そこはご了承ください」
「……!」
よくもまあ、ぬけぬけと嘘を言ってくれた。
渡辺を使って盗んだくせして……!
「それではまず三億円から行きましょう」
その言葉とともにバイヤー達が一斉に手を上げる。
「三億一千、五千、四億」
価格がどんどん上昇していくと同時に、飛鳥の気持ちも高ぶってくる。
欲しいものは目の前にある。
誰かの手に渡る前に、早く。
頼むからハルちゃん急いでくれ!
「では十億二千……」
高騰を続ける状況に場の空気は熱気を帯びていく。
これまで冷静だった佐世保も頬を赤くする。
会場の電気が一斉にシャットアウトしたのはその瞬間だった。
静まりかえる場内。警察が踏み込んだのかと身構えるバイヤー達の中にあって、飛鳥だけは燃えていた。
来た!
すぐさまメイヴァースを起動させ、右手をベルエヴァーに向けて伸ばした。
どれだけあたりが真っ暗になろうと、大事なものがどこに置かれていたかくらい、既に記憶の中にとどめている。
「こっちに来いっ……!」
全身全霊でマグネットの術を使う。
飛鳥の願いに呼応するかのように、何かが手の中に飛んできた。
「あれ?」
感触が違う……。
手にあるのは、どこの店にも売ってある使い捨てのタブレットPCだ。
飛鳥は気付いた。
はめられたとわかった。
さっきまで見ていたベルエヴァーは、あくまでタブレットPCから立体表示された映像でしかなかったのだ。
やられた……!
最後の最後という段階で飛鳥は追い詰められた。
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