第1章 僕と彼女と発動機

無能の人

第1話 追放

飛鳥あすか、お前はもう葛原くずはらの人間ではない。出ていってもらう」

「……」


 葛原飛鳥くずはらあすかは頭を畳につけたまま祖父の冷酷な声を一身で受け止めていた。

 

 予感はしていた。

 同じ屋敷にいても目も合わそうともしない祖父が、わざわざ呼び出してくる。

 縁を切られると瞬時に理解した。


 部屋には祖父、葛原十条くずはらじゅうじょうと飛鳥の二人だけ。

 上段の間にどかっと座って飛鳥を睨みつける祖父には、孫への愛情など欠片も残っていなかった。


 還暦を過ぎているとは思えないくらい鍛え抜かれた強靭な体は、華奢な飛鳥くらい、ひとつかみで粉々にしてしまいそう。

 おまけにオールバックにした純白の長髪はライオンのたてがみのよう。威圧感がありすぎる。


「お前は私が求めるものすべてが足りていない。魔力、体力、野心、向上心、何もかもすべてが欠けている」

 

 もう二度と会うことはない15歳の孫に今までのうっぷんを浴びせる祖父。


「これほどまでの失敗作は今まで無かった。こんな欠陥品に私の血が流れていると思うと見ているだけで吐き気がする」


「……」

 飛鳥は動けない。


 彼にとって祖父の存在は恐怖そのものだ。

 その無関心と失望の眼差しに毎日心を折られていた。


 祖父の声を聞くだけで目まいがして、体も痺れてくる。


「いいか。お前は葛原の癌だ。切り捨てなければ、やがて癌が全身を蝕んで死に繋がる。だからこそお前を捨てる。わかったな」


「……」

 返事もせず脅えるだけの飛鳥に祖父は苛立つ。


「聞こえているのか!?」


 雷のような怒号が屋敷を揺らし、飛鳥の体がビクッと震える。

 その弾みで身につけていたヘッドホンが滑り落ちる。


「ああっ……」

 慌ててヘッドホンを拾い上げる孫の姿に祖父は失望したように溜息を吐く。


「貴様、まだそれに頼っているのか?」

「は、はい……」


 彼の両耳はヘッドホンで塞がれている。

 これが無いと日常生活を満足に過ごすことができない。


 祖父はつばを吐くように悪態をつく。


「お前のそれにいくら金を注ぎ込んだか。すべてが無駄だったな」


 そして厚みのある封筒を無造作に飛鳥に向けて投げ捨てる。

 手切れ金だ。


「これだけあれば大学までは楽に生きていけるだろう。無駄に使うなよ」


 そして祖父は立ち上がった。


「もう行け」


 広間を出て行こうとする祖父を見て飛鳥は慌てて顔を上げた。


「最後に両親に会わせて下さい! 顔を見るだけでも……!」


 やっと大きな声を出した孫に祖父の動きが止まる。

 しかし、白い髭に覆われた口から吐き出される声は相変わらず冷たかった。


「奴らはもう未練を断った。惑わすな」

 それだけ呟くと、結局出て行ってしまった。


「……くっ」


 ようやく飛鳥は感情をさらけ出す。


「くそくそくそっ!」


 何度も畳を叩いた。 どうにもならないとわかっていても。


 こうして葛原飛鳥は一人になった。

 大きな屋敷を誰の見送りもなく出て行く。


 門を出て、城のようにそびえる立派な屋敷を呆然と見つめる。

 

 まず住む家を探さなければ。

 

 学校はどうしよう。 

 合格したとはいえ、このまま神武じんむ学園に入学して大丈夫なのだろうか?

 大金をもらったとはいえ、先のことを考えないとお金なんてあっという間に消えてしまうし……。


 と、その時だった。


「おいっ! 危ない!」


 誰かの声が聞こえた。


「あっ」


 考えすぎて周りが見えなくなっていた飛鳥。

 赤信号にもかかわらず歩道を進んでいた。


 気付いたときにはもう遅かった。

 大きなトラックがクラクションをならしながら突っ込んでくる。


 もう逃げられない。

 目の前が真っ白になる。


 しかし……。


 トラックがクレーンに釣られたかのように宙に浮いて、頭上を飛び越え、ゆっくり道路に着地した。


 トラックの運転手が窓から顔を出して怒鳴ってくる。


「バカッ! そんなもん着けて歩いてるからだ!」


「ご、ごめんなさい!」


 謝罪してもヘッドホンは外さない。

 

 外せないのだ。

 

 それに大音量で音楽を聞いていたわけでもない。

 ただのモスキート音がずっと流れているだけだが、こればかりは見ただけでわかることでもなく、どんな時でもヘッドホンをつけている状態だと、相手には失礼かつ非常識な人間に見えてしまう。


「ちょっと! ウチの子になんてことさせるのよ!」


 子供を連れた母親が血相変えて飛鳥に迫ってきた。

 よく見れば子供の腕輪から黒い煙が出ている。


「あんたの年なら車くらい浮かせられるでしょ! 買ったばかりの発動機レガリアが壊れちゃったじゃないの!」


 発動機レガリアとは、人を最大で15分程度、超能力者、すなわち魔法使いにすることができる人類最高の発明だ。

 当然のことながら、とても高価である。


 どうやら飛鳥をトラックの脅威から救ったのは幼い子供であり、力を使いすぎたことでレガリアをクラッシュさせてしまったようだ。そのせいで親が怒っている。


「ごめんなさい……」

 

 謝罪したところで母親が許すはずがない。


「弁償。親に電話。今すぐ!」

「あ、いや……」

 

 親はもういない。

 うろたえるばかりの飛鳥に母の怒りは増していく。


「その態度失礼すぎない?!」

 その目はもちろんヘッドホンに注がれている。


「真剣な話をしてるんだから取りなさいよ!」


 怒鳴りながらヘッドホンを奪い取る。


「あっ! ダメっ!」


 頭からヘッドホンがなくなった瞬間、飛鳥はうめきながら地面に膝を突く。


 ありとあらゆる音が爆音で体中を突き刺す。

 

 車の走行音、誰かの足音、風を切る音、話し声。

 すべての音、すべての声が、脳内で暴れる。


「う、ああああああっ!」

 耳を塞いで悲鳴を上げ続ける飛鳥。


「な、なによ……」


 女性は脅え出す。

 気でも狂ったのかと思うほど乱れる飛鳥と、何が起きたんだと近づいてくる周囲の視線に耐えられなくなる。


「なんなのこいつ!」


 子供の手を取って逃げだそうとするが、優しい子供は母の手を振り払い、飛鳥にヘッドホンをかぶせたあと、母の後を追っていった。


「あ、あぶなかった……」

 

 呼吸を乱しながら飛鳥は立ち上がった。

 

「ありがとね……」

 去っていった子供に手をあわせて感謝するが、周囲の視線を一斉に浴びていたことに気づき、慌てる。


「すみません……」

 好奇の目から逃れようと、早足で町を駆けていく。


 葛原飛鳥くずはらあすか

 十五才にしてもなお、魔法を発動できない男。

 彼は生まれ持った「真聴覚しんちょうかく」という障がいスキルに苦しんでいた。

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