第12話 (ライアン視点)4

「――兄上、そもそも好意とは――、その人を妻とし、一生を共にしたいと思うようなことですよね。俺は、ソフィアに対してそこまでは――、確かに良いですし、色々と力になりたいとは思っていますが……」


 好意、好意と頭の中で言葉を反芻し、何とかそう言うと、今度は兄が「――は?」と声を上ずらせた。


「お前はどこまで硬いんだ……、いや、俺のせいで小さい頃から山奥に行かせてしまったせいか……」


 可哀そうなものを見るような目で兄は俺を見た。


「好意というのは、女性として相手を好ましく思っていれば十分だろう」


「女性として好ましく……ですか」


 俺は首を傾げる。

 確かに、ソフィアは知っている女性の中では人間として好ましく思う相手ではあるが。

 兄は面倒くさそうに「ええい」と呟いた。


「例えばだ、彼女が別の男と親しくしていたら不満に思うとかは、ないのか」


 俺は黙り込んだ。

 ソフィアが別の男……、例えばレオと親しくしていたら……嫌か?


 想像して眉間に皺が寄った。


 ――嫌だな。でもそれはレオがよく街に出ては、街娘を引っかけているような軽薄なやつだから、ではないだろうか。


「まぁ、とにかく」


 黙り込んだ俺を見て、兄上はため息交じりに言った。


「アリス嬢との話については、お前にはその気がないことを俺からも母上と父上には重ねて伝えておこう。お前もこの後、自分の口から話に行け。そのソフィア嬢の話はまた別だ。父上と母上に話すかどうかはお前に任せよう。まぁ、話せば、ではそちらと婚約を、とその気になるだろうがな」


 トントンっと俺の背中を叩いて兄は部屋を出て行った。


 ――ソフィアのことはとりあえず置いておいて、母上と父上にははっきり言わねば。


 俺も後を追うように部屋を出た。


***


「まぁまぁ、何が気に入らないと言うのです」


 母は「婚約話を進める気はない」という俺の言葉に立ち上がって気色けしきばんだ。


「あなたと来たら、ろくにお話もせずにすぐに席を立ってしまって……、それでお相手の何がわかると言うんですか。お断りするにしろ、それなりの理由が必要よ」


 それはその通りなのだが……、ソフィアの話をしようと思って俺は言葉を飲み込んだ。

 『そちらと婚約を、とその気になるだろう』という兄の言葉が思い浮かぶ。

 その話をすれば、この母はすぐにソフィアを連れてきなさいというようなことを言うだろう。こちらでそんな話を勝手にされても、ソフィアに迷惑なはずだ。


 ――ちょっと待て、例えば本当にソフィアとの婚約話が出たとしてソフィアにとって迷惑かもとは思うが……俺としては別に良いのか?


 自問自答している俺に、父親が声をかけた。


「ライアン――お前の母親の言う通りだぞ。少し話したくらいで何がわかる。ローレンス公爵もお前の態度に困ってらした。あれでは失礼であろう」


「それは、悪かったと思っておりますが――」


「ローレンス公爵は明日もここに滞在する。お前はアリスに城下町でも案内をしてあげなさい」


「――はい?」


 聞き返してから渋々「はい」と頷いた。父親に言われたことを無下に断ることもできない。


「ゆっくり話してみて、それでも断りたいというのであれば、無理は言わん」


 父親はため息交じりにそう言った。


 翌日、俺は城下町の地図を睨みながら朝食を済ませた。

 案内しろと言われても、城下町にはほとんど行かないし、行ったとしても魔道具屋や薬屋くらいだ。


「広場と劇場と大教会くらいに行っておけばいいだろう」


 兄にそう言われて、成程と地図を閉じると重い腰を上げた。

 正直、これ以上話すこともないし、アリスを連れて歩くのは気乗りがしなかったが、一応客人なのだから仕方がない。


 昨日と同じ兄の服を借りて、王宮の一室に滞在している彼女を迎えに行った。


「ライアン様、今日は城下町をご案内してくださるとか……。とても嬉しいですわ!」


 扉から抱きつかんばかりの勢いで飛び出してきたアリスは満面の笑顔でそう言った。


「――昨日は早々に席を立ってしまい、失礼しました」


 一応、社交辞令として詫びを言うと、顔の近くで彼女はぶんぶんと首を振った。

 香水の香りが周囲に舞い散る。


「とんでもございません! ライアン様とお会いできると思っていなかったので、お会いできただけでとても嬉しかったですわ」


「――そうですか、早速、城下町をご案内します」


 俺は後ずさって少し距離を取りつつ、彼女の手を引いた。


「とても大きくて、賑やかですね。ツェペリの王都とか比べ物にならないわ」


 ひとまず広場に連れて行くと、彼女は感嘆したように呟いた。


「劇場や大教会が有名ですが……アリスさんは行きたいところがありますか」


「そんな丁寧な口調はよしてください。アリスで結構ですわ」


「……わかりました。では行きたいところは?」


 そう聞くと、彼女はじっと俺を見つめた。


「お小さい頃の絵しかないんですもの。どんな方かと思っていましたら、こんな素敵な方でとても嬉しかったです」


 そう言いながら俺の指に自分指を絡める。

 確かに、俺の絵は小さい頃のものしかないな……、というか、ちょっと待て。

 距離の近さに、思わず後ずさって、建物の壁に背中がぶつかる。

 彼女はそのまま距離を詰めてきた。


「今日は城下町へ行くということでしたので、街娘のような恰好をしてみましたの。――どう思います?」


「――よく、お似合いだと思う」


「街では、襟ぐりの深い方が流行りなんです。それに合わせてみましたが……首元が涼しくて――少し恥ずかしいわ」


 アリスが胸元に腕を寄せる。

 俺は壁に手をついて視線を反らした。

 彼女は、ソフィアの実の妹……だよな。

 姉妹でこんなに性格が違うものか?

 ――まぁ、俺と兄上も性格は違うが……腹違いだし……。


 そんなことを考えながら話題を変える。


「君の姉上は……どんな人だ? ――君にとって」


 ローレンス家にとってのソフィアがどういう人物なのか聞いてみようと思っていたので、そう聞いた。

 ぴたりとアリスの動きが止まる。


「――は?」


 俺は思わず「え」と声を漏らしてしまった。アリスは眉間に皺を寄せ、厳しい表情をしていた。


「えぇと……俺には兄がいるが……この服も兄が見繕ってくれてね。結構、仲は良いと思う。もし結婚するのであれば――兄夫婦のような関係が良いなと思っている」


 急に姉のことを聞くのはおかしいか……。言葉を取りつくろう。

 ――兄と義姉あねのように、お互いに気負わずに一緒にいられるような夫婦が良いと思うのは本当だ。


「君は姉上とどんな関係なのかと思って」


 そう聞くと、アリスは少し考えるように顎を押さえて、それからふっと笑った。


「姉は……そうですね、一言で言うと、みっともない人です」


「みっともない?」


「見た目も、勉強も、教養も、ダンスも何一できないくせに、努力しようとしないんですもの。何でも豚みたいに食べて。挙句、使用人の真似のようなことをして……、私、姉にはローレンス家の名前を名乗って欲しくないですわ」


 彼女は何か思いついたように口元に手を置き、くすりと笑った。


「面白い話があるんです」


 首を傾げると、アリスはくすくすと笑いながら話を進めた。


「王宮でパーティーがあった時ですわ。お姉さまったらドレスのサイズが合わないのに、ダンスも下手だから、ホールで回った瞬間にコケたんです。その時にビリって大きな音がして、見たら背中が全部出ていたの。……みんな大笑いでしたわ」


 俺は黙り込んだ。何ていうか、言葉が出ない。


「それでお姉さまったら走って1人で屋敷に帰ってしまって……パーティーが終わってから帰ってみたら、それが、使用人の恰好で厨房で料理なんかしているんですもの。しかもお皿に盛りつける前からぱくぱくスプーンですくって食べてるんですよ。食べながら気味悪くにやって笑って。あんなに大恥をかいたくせに、意地汚く食べ物を食べて笑ってるんです。恥ずかしいって気持ちもないのよ――みっともない人」


 ……ソフィアは……食べ物の味に関しては熱心だもんな。俺は肉ごとに調味料を変えて味比べをして1人で笑っていたソフィアを思い出した。作ってるうちに辛いのは忘れたのかもしれない。


 ……といっても、そのドレスの一件で傷つかないわけではないはずだ。


「それは面白い話、か?」


 自分でも驚くほど低い声が出た。


 「え?」とアリスは顔を上げた。

 俺は大きくため息を吐いて背を向けた。


「――王宮へは自分で戻ってくれ。俺は君とは婚約する気はないし、これ以上案内しても無駄だろう。――道中気をつけてツェペリまで帰ってくれ」


 それだけ伝えて街中を歩き出した。

 ソフィアのことをああいう言い方をされるのはイライラするな……。

 これは、好意があるからだろうか。


 はぁ、と息を吐いて顔を上げて俺は固まった。

 広場の雑踏の中に、何故か並んで屋台で売っている焼き菓子を食べているソフィアとレオがいたからだ。


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